35人が本棚に入れています
本棚に追加
①月と流れ星(えがお)
~*子供はやっぱり可愛い。*~
――――公開告白だって。
その噂が教師陣に広まるのも早かった。
「青春だよなぁ」
「青春ですねぇ」
仲の良い体育教師との居酒屋。働いた後のビールは美味い。
近元朔太郎(ちかもとさくたろう)はジョッキのビールを呷る。避けた焼き鳥の串はまだ少ないが、すでに三杯目だ。しかし近元がザルであることを知っている体育教師は驚かない。
「始業式! 二年で同じクラスになったその日に教室で告白なんてするか普通」
「我慢出来なかったんでしょうねぇ」
「いじめとかに発展してねぇのか? お前のクラスだろ?」
「今のところは特に」
思い出すように目を天井へ。教室を見渡すように動かしてもそんな雰囲気があった記憶はない。
「でも少ししたら告白された女子生徒の方に声掛けてみるつもりです」
「その方がいいな」
体育教師はレモンサワーを傾ける。こちらはまだ一杯目。だがもう頬は赤かった。
「でもいいなぁ、若いって。俺らが職員室で公開告白なんかしてみろ、白い目で見られるぞ」
「そりゃ我々は大人ですから」
もうあの頃とは違う。
同じ校舎で過ごしているけれど、高校生という肩書きと教師という肩書きは天と地くらいの差がある。
仕事中にアオハルなんて言語道断。給料分の働きを約束している身だ。馬車馬のごとく走らねば。
「でもプライベートの方はどうよ、近元先生」
ゲフと炭酸プラスアルコールのゲップをし、生徒に面談をしているかのように近元を見た。
「もう二十八だろ? 親に結婚云々言われないのか」
「言われないこともないですけど、両親共々あんま気にしてませんね」
「実家の農業は? 跡継ぎとかいいのか」
「それも気にしてないみたいで」
あっけらかんと笑って答えるけれど、きっと下がり眉が余計なお世話を焼いて苦笑に変えてしまう。
近元はこの下がり眉のせいで勘違いされることが多いのだ。
それを相手は知っている筈だが、それでも目に見えるものを否定するのは難しい。彼も下がり眉になって謝った。
「すまん。つまらん話したな」
「いえいえ全然。むしろその話題はありがたいんですよ」
こちらも本音。
確かに嫌な話かもしれないけれど、自分の中にあるモヤモヤを吐き出せる良いチャンスだ。アドバイスがもらえるならもらいたい。ありがた迷惑ならそれはそれだと割り切れる性格だ。
「将来教師をやめて農家を継ぐとして、そうなると後々必然と農家のお嫁さんになるじゃないですか」
畑に出なくていいと言っても、早寝早起きのリズムになるし、同じ家で暮らすなら都会から離れることになる。
「それでもいいって言ってくれる人ならいいけど」
農業もやりがいがあって、収穫の時なんか気持ちが良いし、どこか誇らしくなる。都会から離れても構わないと近元は思っているけれど、それをプラスと取るかマイナスと取るか。人それぞれだろう。
「農家やってる家の娘さんを嫁にすればいい」
「そうなると少し早く教師をやめないと。三十過ぎたらみんなほぼ人妻です」
それに、と今度こそ本当に苦笑した。
「俺、教師やってるのも好きなんですよ。でも農業も好きで。どちらを選ぼうか決心出来てないんです」
「難しい問題だなぁ」
「まぁそこまで追い詰められてはいませんけどね」
ジョッキを持ち上げ、ビールをグビリ。
「俺、じいちゃんに鍛えられた頑丈メンタルなんで」
「それはよく知っとるわ。ただその下がり眉に騙される」
体育教師に指さされ、近元が眼鏡を中指で上げ直す。そしてドヤ顔。
決めポーズみたいなそれに、体内のアルコールが神経に爆笑を指示。ドッと二人の席が沸く。酒を呑むとよく分からないものまで楽しくなってくる。
「すみません、生おかわりで!」
これだから酒はやめられない。
「あー楽しかったー」
近元は夜の住宅街を歩く。
春の夜は昼間より涼しい。乾燥しすぎず、寒すぎず。肌に柔らかいベールがあるような感覚。だがそんな期間はあっという間に過ぎてしまうのだろう。現に、もう昼間の太陽は熱を帯び始めている。
「おわー、ピカピカな月だなぁ」
五杯の生ジョッキ。でも足下はしっかりしているし、意識だってちゃんとある。ただいつもより上機嫌だ。
見上げた月はまだ満月ではないものの、三日月とも言いがたい姿。だが煌々と輝くそれは美しい。
「月が、綺麗ですね」
自分は数学の教師だけれど、こういう時は国語の先生もいいなと思ったりもする。我ながら単純だ。でもそういう単純なところも嫌いじゃない。
「あれ、近ちゃんじゃね?」
聞いたことがある声に、ピタリと足を止める。
月を見上げていたため、前方に人がいることに気がつかなかった。顔を戻せば、そこにいたのは自分が受け持つクラスの女子生徒。
茶髪でクルクルと巻かれた髪の毛は、まるでお嬢様だと教師間でも話題になったことがある。口調は全くお嬢様ではないけれど。
「やっほー、近ちゃん。こんばんは~! って、酒くさ!」
月を背負うように彼女は笑って手を振った。
「……玖凪さん」
玖凪朱莉(くなぎあかり)と、月。
その景色にほんの少し見蕩れてからハッとする。時計を見ずとも月の輝きから、遅い時間なことは分かっている。
「玖凪さん、こんな時間に一人?」
「そそ。バイト帰り~」
笑って手に持っているエコバッグを揺らす。
高校生のバイトは午前五時から、午後十時まで。今度こそ腕時計を覗けば、針は二十一時半を指していた。問題はなくとも、この時間に女子高生がひとり歩いているのは心配だ。一気に酒が身体から抜けていく。
「先生は呑み帰り?」
「うん、呑み帰り」
「めっちゃ酒臭いもんね」
「玖凪さんはいつもこの時間にバイト帰り?」
「そだよ」
「そっかぁ」
いつも遅い時間に一人で歩いているのか。
住宅街だし、電灯はちゃんとあるし、そこまで危なくないのかもしれないが、それでも絶対安全とは言えない。しかし毎回家に送り届けるわけにもいくまい。
「こんな時間までお疲れ様」
「近ちゃんも、お疲れさんです!」
「ありがとう。ちゃんと気をつけて帰るんだよ。何かあったら大きな声で叫ぶこと」
「ありゃ、心配させちゃったかー」
ペチンと自身の額に手を当てる。そして近元を覗き込んだ。
「さっきまで折角ご機嫌だったのに~。めんごめんご。でもダイジョーブ! 朱莉ちゃん、叫ぶのは得意だから!」
グッと親指を立て、それから「えーっと」とエコバッグの中を探った。出したのはよく知る昔ながらのお菓子。
「あげる!これはお礼!」
「お礼?」
普通心配させたお詫びとかではないのか。いや、それ以前にどうしてご機嫌だと分かったのだろうか。
下がり眉は健在だ。あぁもしかしたら月に向けて笑顔だったのかもしれない。だがそれすら苦笑に変えてしまうのがこの眉毛。しかし彼女は近元の機嫌の良さを見抜いた。先ほど一緒に呑んでいた体育教師も間違えるそれを。
(どうして分かったんだろう?)
クエスチョンマークをいくつか浮かべながら朱莉からお菓子を受け取ると、彼女は「ニシシ」と嬉しそうに笑った。
月にも負けない笑顔が、星みたいに弾ける。
「近ちゃん楽しそうにしてたじゃん? それがアタシも嬉しいから! ハッピーのお裾分けもらっちゃった! だからお礼!」
「ハッピーのお裾分け……」
「アタシのことは心配ナッシング! 近ちゃんも気をつけて帰ってね! バイバーイ」
手を振って走り出す朱莉に、近元も手を振り見送る。
スキップでもしそうな、どこか軽快な歩き方は廊下でも見たことがある。自分の中では元気で好印象だったそれが何故だろう、今は妙に輝いて見えた。
まるで弾けた星(えがお)が流れるように。そしてその流れた星は近元の胸にトスっと刺さった。
ハッピーのお裾分けとか可愛い。
子供が好きで教師になった。小学校の教師でも良かったが、難しい思春期を一緒に悩みながらも青春を謳歌できるように楽しく一緒に過ごしたいと思い、高校を選んだ。
確かに難しい年頃の子供たち。でもそんな彼らが好きだ。先ほどみたいに可愛いことも言ってくれるから。
「やっぱり教師やってて良かったなぁ~」
軽快に去って行った彼女を真似て、近元もスキップをしてみる。少し跳んだだけでも月に近づいたかのような錯覚に胸が躍る。そして手には生徒からのハッピーなお裾分け。
今日も素敵な一日だったと、近元は笑った。
最初のコメントを投稿しよう!