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第8話『新しい世界が開かれる音がする』
ミラが十歳の誕生日を迎えて、様々なお茶会へ呼ばれる様になってから数カ月が経過した。
既にミラの噂は国中で広まっており、その主な内容は幼い身でありながら博識である点と、上位貴族や王族にすら気に入られており、光の魔術を使うという点であった。
しかし、それらの情報だけではミラという人間の外見や性格を知る事は難しく、大抵の人間は直接出会った時に、見た目の情報で殴られ、善性だけを集めて精製した様な精神性に叩きのめされる事になる。
悪意を以って近づいても、ただ敗北し、自らの汚さをミラという鏡を通して見せつけられるだけだった。
故に。
賢明な者はミラに近づき、その味方である様に振る舞った。
そうすれば少なくとも大衆の側に立つ事が出来たし、無駄に敵を作る事もない。
そして己の醜悪な精神を見せつけられる事もないからだ。
しかし、どんな世界にも場の空気や流れというものが理解出来ぬ者は存在する。
そう。アイラ・メディ・クメンタル伯爵令嬢もその一人である。
彼女はヴェルクモント王国に住まう少女にとってさほど珍しくもない、セオドラーに恋をしている人間の一人であった。
そう。セオドラーは非常に整った顔立ちをした少年であり、特に日の光を溶かし込んだ様な黄金の髪と、結晶の様に透き通る風の魔力石を思わせる様な翠の瞳はとても印象的で、街を歩くだけで誰もが振り返り、年頃の少女は皆恋に落ちると言われる程であった。
さらに、セオドラーは非常に優秀な頭脳を持っていた為、他者とのコミュニケーションには気を付けており、トラブルを起こさぬ様、慎重に話す人間であった。
それゆえに、セオドラーと同年代の少女は皆、彼に恋をしているとまで言われたのである。
例外と言えば、セオドラーの幼馴染であり、厄介さを詰め込んだ様な三人衆くらいであろう。
ハリソン、フレヤ、イーヴァ。
言うまでも無いが、全員セオドラーに恋などしていないし。むしろセオドラーの周りで暴走し、セオドラーの胃を痛めつけているくらいだ。
少々話が逸れた為、本題に戻ろう。
そう。セオドラーに恋をするアイラという少女の話である。
彼女は今よりもっと幼い頃にセオドラーに出会い恋に落ち、今日までセオドラーと結ばれる為に努力してきた人間である。
それゆえに、今の状況は大変面白くなかった。
ミラがセオドラーの婚約者候補筆頭等と呼ばれる様な状況は。
「ちょっと良いかしら」
「はい」
「少し顔を貸しなさいな」
「えと、はい。少々お待ちください」
「何? 準備? なら早くして欲しいのだけれど」
「いえ。どこかへ行くときはセオドラー殿下に言うようにと言われておりますので」
瞬間。アイラは自分の中に怒りという名の炎が燃え上がるのを感じた。
いきなりだ。
喧嘩腰で話しかけたアイラも悪いのだろうが、それにしてもいきなりセオドラーとの仲をアピールされたのだ。
これで怒りを感じなければ、ミラに話しかけようとも思わなかっただろう。
「いいから! 来なさいよ!」
「え。でも」
「別にどこかへ攫おうって訳じゃないわ! 皆から見える場所で話す。それで良いでしょ!?」
「えと、はい。わかりました」
よく勘違いされる事だが、ミラという少女は基本的にコミュニケーション能力が高くはない。
むしろ低い。
周りが気を遣っているからコミュニケーションが成り立っているだけであり、ミラは周りに合わせるという事がまるで出来ない人間であった。
自分の意見を押し通すか、相手の意見を全て受け入れるか。
この二つしかミラは持ち合わせていない。
故に。
今回の話であれば、アイラの意見を全て受け入れる事。それがミラの選んだ行動であった。
「ここで良いでしょ。それで。話があるんだけどね」
「はい」
「貴女。セオドラー殿下と出会って何年?」
「え、と。八歳の時に会いましたので、二年ほどでしょうか」
「そう。私はセオドラー殿下が五歳の時に出会ってるから、今年で十一年になるわ!」
「はい」
「私の方が多いの!」
「はい。そうですね」
「……」
「……」
ほぼ意味のない会話であった。
先ほど、ミラはコミュニケーション能力が低いという話をしたが、残念ながらアイラも非常に低かった。
そう。アイラは察するという能力が非常に低く、同時に察してもらうという能力も非常に低かった。
結果。アイラは意味のないマウントをミラに取り、よく分からないが頷いておこうの精神で頷くミラとの、空中戦が行われたのである。
そして、この謎の戦いは、何も感じていないミラと、一人ミラという幻想と戦っているアイラの間で果てのないぶつかり合いが行われ、アイラが先に折れる事となった。
当然だろう。戦っているのはアイラだけなのだから。
「ふ、ふん! 貴女。自分が完璧な人間だと思ってるんでしょ?」
「いえ」
「思ってるでしょ!」
「いえ」
「……思って無いの?」
「はい。むしろ欠点だらけだと思っています」
「そうなの?」
「最近は特にそうですね」
「最近?」
「はい。つい先日、騎士団の訓練を見に行く機会があったのですが、私も試しに剣を持たせてもらいました。しかし、格好良く振り回すどころか、持ち上げる事すら出来なかったのです……!」
「そりゃ。貴女みたいな細腕じゃあ無理でしょう? なんで剣なんて持とうとしたの? 必要無いでしょ。貴女みたいな貴族の娘には」
「いえ! 必要はあります! だって、私は! いずれ世界中を旅して、歴史の真実を紐解き、失われた伝承を……!」
「ちょっと待って! ちょっと待って! 貴女、冒険者にでもなるつもり!?」
「冒険者……とは何でしょうか?」
「そんな事も知らないの? 冒険者っていうのは、平民とか貴族の跡継ぎじゃない人がやってる仕事よ。森に探索に行ったり、魔物と戦ったりしてるの。今お茶会で出てる珍しいお菓子だって、冒険者が手に入れてきた食材が使われてるのよ? まぁ、貴女たちみたいな平民を下に見た貴族は知らないだろうけどね」
「……知らなかったです。まだまだ勉強不足ですね」
「フン。良いわよ。別に。貴女みたいのが普通よ。むしろ知ってる方が珍しいくらいだわ」
「でも、アイラさんはご存知だったんですよね?」
「私は! 私は……兄さんが冒険者をやってるから、それで知ってるだけ。苦労とか色々あるのよ。民の安全を守る為だ。なんて言って、危険な魔物と戦ってるからさ」
「騎士の方はいらっしゃらないのですか?」
「フン。それこそ。平和ボケした王都の貴族らしい発言だわ。良い? 騎士が居るのはね。王都と一部の大きな都市だけよ。国の外れに行けば行くほど騎士なんて居ないし、居ても手が回らない。だから冒険者組合があるし、平民は自分たちの大切な人を守るために冒険者になるのよ。指くわえてれば、誰かが助けてくれる様な世界に生きてる貴女には分からないでしょうね」
「……」
ミラはショックを受けた様に立ち尽くしていた。
しかし、それと同時に何かに気づいた様にドレスには不釣り合いなバッグから一冊の本を取り出し、ページをめくる。
「うわっ、突然なに!?」
「……ここ。確かに記載があります。ずっと意味が分かりませんでしたが、そういう事だったんですね」
「なに? 一人で何ブツブツ言ってるの!?」
「アイラさん!」
「ひゃい!」
ミラは本を大切そうにバッグの中にしまい、アイラの手を取った。
そして勢いよく頭を下げる。
「私、アイラさんのお陰でようやく聖女セシル様のお言葉が少しだけ理解出来ました。『聖女とは、選ばれた者だけを照らす光ではない。世界を照らす光なのだと』」
「は……? 何の話?」
「アイラさんのお話を聞いて、私、夢が出来ました。そうです! 私は世界の光になりたい! 歴史に消えてしまった魔術を探す事も、真実を見つけ出す事も、世界中の人を癒すのも! 全て! 私の世界にある物でした。私の夢はここにあったのです!」
「え? は? なに?」
「ありがとうございます! アイラさん! 私、アイラさんに出会えて良かったです! ですがそうと分かればこうしてはいられません。急いで冒険者について調べなくては!」
ミラは一人で納得し、一人で会話をしながら、そのまま走り去っていった。
一人残されたアイラは訳も分からぬまま呆然と呟くのだった。
「……いったい何なのよ」
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