1 涙の再会

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1 涙の再会

もし、時を巻き戻せたら。 そんなことを考えたことはあるだろうか。 僕はそれを毎日願っていた。 あの日、愛する先生をこの世から失ったその時からずっと…。 気づくと、僕は懐かしい高校の制服を着ていた。 そこは1年2組の教室でこの席は一番後ろの端。 窓際で誰もが羨ましがるその席はとても心地良かった。 しかし今日は何月だ? やけに暑いこの教室では、ほとんどの生徒が机に突っ伏して眠っている。 そんな中で僕は黒板に書かれた訳のわからない英語の文章をボーッと眺めてから外を見た。 校庭ではどこかの学年が体育をやっていて、皆暑そうに服で汗を拭いている。 強い日差しの中走らせるとかあり得ない。 そんな暑がる生徒たちに厳しく大声を出し指導しているその先生は、確か武田と言ったか。 武田は息を切らして立ち止まる生徒にまだまだ走れるだろ!といい休憩することなど一切許さないようだった。 懐かしいな、なんて思いながらその様子を眺める。僕は武田が心から嫌いだった。 さて、そんな武田はどうでもいいとして。 これは一体どういうことだろうか。 いくら冷静に考えても頭が追いつかないし、きっとまた夢でも見ているのだろう。 それにしたってやけに現実的で鮮明な夢だけど。 ふと黒板の右下を見ると、そこには5月20日と書かれている。 うん、まあ確かに仕事で任された資料の提出期限がこの日だったのは間違いないので5月20日ってことに違和感はない。 けど何よりも違和感があるのは、今ここに僕が制服を着て教室にいるということだった。 だって僕は、確かついさっきまで普通に会社へと出社する途中だったのだから。 別に会社に不満もなかったし、暮らしていくには十分なお金もあった。 ただ毎日毎日変わらない電車、変わらない通勤ラッシュ、変わらない景色、変わらない日常を過ごして生きる希望はとっくになくしていたけど。 今年で確か30歳を迎えるはずの僕が、何故今ここにいるのだろうか。 流石に三十路突入のおじさんが高校生の服を着てここにいるのはきついだろ。 周りの皆もそう思わないのか? というか一番後ろの席のせいで皆の反応見れないし、そもそも夢なのに暑いのをどうにかしてほしいし。 ツッコミどころならたくさんあった。 そんなことを思いながら、僕は欠伸をして皆と同じように机に突っ伏した。 うーん、まぁ、夢だろうな。 何せ最近はこの夢ばかり見るし。 ここまで鮮明なのは初めてだけど。 あの14年前の、まだ"あの人"がいた頃の幸せで大好きだった時の夢を。 いくら夢を見たところで、"あの人"を救える訳ないのに。 ただ会いたい。 夢の中だけでもせめて、彼に会いたい。 30歳という僕の人生で、一番愛したあの人に。 もう今は、亡きあの人に。 そんなことを考えていたら、いつの間にか目の前に英語の教師だった立花が立っていて僕に頬を膨らませていた。 茶色の髪に、綺麗に整えられた真っ直ぐの前髪。長いその髪を後ろに一本に結んで、白いワイシャツにシンプルなタイトスカートを履いている。 ん?確かコイツ、学校でかなり人気の美人教師だったか。 男子生徒の中で胸がでかいだの背が小さくて可愛いだの噂されてた奴だ。 まあ僕は興味ないけど。むしろ嫌いだ。 そう思いながら周りの男子生徒が若干頬を赤らめているであろう中、僕はそいつから目を逸らして何も見えないフリをした。 だって僕の記憶だともうすぐコイツと"彼"は結婚して、更に1年後に"彼"は自殺する。 一番傍で支えられていたはずのコイツは先生が自殺した年、確かその時高校3年だった神楽遥斗と浮気していたのだから。 目の前で頬を膨らませていた立花に怒りが増して僕は逸らしていた目を再びそいつに向け思い切り睨んだ。 「まったく蓮野くん。授業はしっかり受けなさいよ」 うるせぇ。 他の奴だって寝てるのにこっち来るな。 そんなことを思いながら僕は聞こえないふりをして机に突っ伏し寝たふりをした。 どうせ夢なんだ。 そんなことを思っているとやがて立花は諦めて前へ戻った。 それと同時に学校のチャイムが鳴って、授業は終わりを迎えた。 複数の分かりやすい男子生徒たちは奴の元へ行き楽しそうに会話している。 そんな中で僕は一人机に突っ伏して未だ寝続けた。 にしても、長い長い夢だ。 よりによって立花の授業なのは最悪だし、"彼"には会えないし。 こんな夢なら早く覚めて欲しかった。 まぁいいや、どうせ暫くすれば現実に戻ってまた出勤するだけだから。 「落ちたよ、蓮野」 「…ぁ?」 寝てから少しもしないうちに僕は誰かに声をかけられ顔をあげた。 そこにはサラサラ黒髪の人生勝ち組君である同級生が立っていた。 コイツ、名前なんだっけ? 女子生徒が毎回キャーキャー言ってることくらいしか覚えてない。 背は高く、すらっとした足。前髪は少しだけ切れ長の目にかかっていて男から見ても整いすぎたその顔。それを見ていたらなんか負けた気がして少しだけ腹がたった。 そもそもコイツとはほぼ喋ったことはなかった。 まあいつも人から少し孤立していた僕に構う物好きなんて元々いないけど。 1年生であまりにイケメンで俳優みたいだと入学当初から噂になっていたのは知っている。 しかも確か成績優秀、スポーツ万能、感情はほぼ表に出さないがそれがまた良いとどこかの女子生徒が毎日のように話していた気がする。 それを思い出したら益々気に食わなくて、片手に僕の教科書を持ったそいつからそれを受け取れば、僕はスッと外を見た。 人気者とは極力仲良くしたくない。 変に反感買うのは面倒臭いから。 「…礼くらい言えないの?」 「…アリガトウゴザイマシタ」 確かに、礼くらいすればいいのに大人気なく無視を決め込んだ自分が哀れになった。 表情一つ変えないそいつはそのまま近くにいた女生徒に連行され姿を消していった。 「ねー!神楽くーん!次移動教室だよー!」 「侑斗、一緒に行こ〜!」 「神楽、話したいことあるから私と行こ!」 まったく人気者は大変そうで。 ズイズイと引っ張られて行ったそいつは、やがて教室から姿を消した。 まったくどうしてこんな夢が続くんだ。 彼に…五十嵐先生に会えないなら、もうこんな夢見たくないのに。 とにかく、僕は教室のざわめきが消えるまでそのまま眠っていた。 「…ぃ、おーい蓮野、蓮野りんくん?起きてるか〜、生きてるか〜?」 「…?」 何故か愛しくて懐かしい声が聞こえて、僕は再び目を覚ました。 教室内は生徒が出払っていて静かである。 そんな中で、僕の耳にはずっとずっと聞きたかった大好きな声が届いていた。 まさか。 今まで、夢の中でさえ現れてはくれなかったのに。 でもこの声は、紛れもない愛する人の声だ。 僕が彼の声を、忘れるはずがない。 「…ぃ、がらし…」 震える胸を抑えながら顔をあげれば、そこにはあの頃と何も変わらない大好きな五十嵐先生が立っていた。 その黒髪、細くて長い瞳、広い肩幅、血管の浮いた腕。 前髪は目にかからないようにセンター分けされていて本当に何も変わらない大好きなままのその人がそこにいた。 夢だとは言え、やっと彼に会えたことに僕は言葉を失った。 五十嵐と呼び捨てをして、毎回僕は彼に五十嵐先生な、なんて注意されていた。 「五十嵐"先生"な」 そして懐かしいそのやりとりをして、僕は動きを止めて彼を見つめた。 ずっと会いたかった、心から会いたかったその人が目の前にいる。 そう、そこにいたのは紛れもなく五十嵐伊織という人間で、この教室の担任で、僕の人生で一番愛した先生だった。 これは、夢…のはずだ。 それにしてはあまりに鮮明で、切なくて、気づくと僕は涙を流していた。
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