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 迷宮には巨大な門があった。一度深く息を吐き、俺は中へと進んだ。  門をくぐってまっすぐ歩いた先、迷宮の大きな扉が開いていた。中に入ると、壁よりにいた小さな魔物がこちらを見て怯えていた。魔物は怪我をしていた。無害な魔物だと判断した俺は、治癒の力のある特殊な酒の入った小さな瓶の栓を抜き、そいつの近くに置いて通りすぎた。次の扉が見えた時、そっと入り口を見た。小さな魔物は未だに警戒しており、瓶に近寄らなかった。俺は舌打ちをしてそいつに歩み寄りながら、短剣で左手の甲を切った。  小さな魔物の前でしゃがみ、目の前で瓶の酒を少し飲んだ。すると手の甲の傷口が塞がった。それを見た小さな魔物は、両目を大きくして驚いているようだった。 「やるよ」 そっとそいつに言うと、俺は立ち上がって背を向けた。次の扉の前で振り替えると、小さな魔物は瓶の酒を飲んで怪我を治し、匂いの強い花をそこに置いて外へ出ていった。  大きな通路を壁伝いに歩き、目印に古い洋服のボタンを落としながらひたすら前に進んだ。入り口も見えない程かなりすすんだが、人や魔物の気配が全くなかった。  僅かに聞き慣れた知らない歌が聞こえた。巨大な門を開けっ放しにしてある為、外から聞こえるのだろう。歌っているのは風ではなく、この近くの町の者なのだろう。そう思うと少し高揚した。魔王バアルを倒して国王へ報告した後で、そっちも探そうと心に決め、壁よりに腰かけて座って仮眠をとった。  翌日もその翌日も、俺は先に進んだ。仮眠を四回ほどしたある日。毎日聞こえてくるあの歌声が、次第に大きくなっていることに気がついた。まさかと考えながら先に進むと、恐ろしいオーラが目の前の扉の奥から感じ、そこからあの歌も聞こえた。俺はそっと扉を開け、部屋の中を覗いた。中は多くの四角く白い石がいくつも並んでおり、それら全てが墓だと悟った時、すぐ近くで声がした。 「誰だ、お前」 背後に立っている大柄の男が魔王バアルだとオーラで悟った。 「お前を殺し来たんだよ、悪趣味魔王っ」 俺は素早く剣を抜き、扉を蹴飛ばしながら距離をとって背後の魔王を切った。が、切れたのは魔王の影だけだった。 「……そうか」 黒いマントとタキシードを着て、牛のような角を生やし、大きく裂けた口と赤い瞳をした魔物。間違いなく魔王バアルだ。  扉が倒れる音が響く中、魔王バアルは静かに両手をあげて話した。 「好きにしろ」 「は?」 「私も、ここにいることに飽きた……最期に一つ聞かせてくれ」 「あ?」 「私を悪趣味だと言ったのは、何故だ?」 魔王はこちらを見た。俺は少しずつ体制を整えながら答えた。 「ご丁寧に、自分(てめぇ)が殺した奴の墓をこんな大量に建ててるからだ」 「そうか。それは半分正解で半分不正解だ」 「何が違うんだよ?」 魔王は笑ってもう片方の扉を開け、墓の部屋に入った。俺は彼に剣を向けたまま続いて部屋の中に入った。 「私を殺してくれる褒美に教えてやろう。この墓はここで死んでいった者達の墓だ。人間も魔物もどちらもある」  「へぇ」 魔王は笑って奥へ歩いた。俺は一定の距離を保ったまま続いた。すると正面に白い人間の女の石像と少し大きな墓があった。 「私は、別の城で生まれた。しかし程なくして人間達が襲ってきて、両親や仲間達を殺した。人間達を殺す為に真っ先に教わった力を使って、幼い私は城の外で生きてきた」 「その力ってのは、何だ?」 「人間に化ける力だ」 魔王の答えに俺は無言で驚いた。魔王は視線を石像に移して続けた。 「それからは町を点々として生きてきた。そして数十年が過ぎたある日。私は一人の人間の女性に出会った。共に過ごす内に彼女に惹かれ、彼女も私を慕ってくれた。しかし、勇者や冒険者達が魔王や魔物を退治して称賛される日々は続いていた。それを見て、このまま一緒にはいられないと悟った私は、彼女だけに正体を明かした。彼女は魔物の私を愛してくれた」 「へぇ」 変わった人間がいるな。と胸の内で思うと、魔王は笑って続けた。 「魔物と共にいる人間は非難される。だから共にいることが悟られないよう、私はこの迷宮を作った。これなら邪魔をされないからな。両親もいないからと、彼女はそこに住むことを同意してくれた。それから楽しく平穏に暮らした……その間、襲ってきた勇者や冒険者は私が殺していた。だから私は討伐されても仕方ないと覚悟はしている」 「……そうかよ」 「しかし、それも長くは続かなくてな。数十年で彼女は死んでしまった。彼女を弔い、彼女と過ごした迷宮を守ることに決めた。気づくと多くの魔物がここに住み着いていた。それだけならいいが、迷宮の探索にやって来た人間達と殺し合いをするようになった。彼らは戦闘の末、弱り、迷った挙げ句死んでいった。魔物も人間もな……」 「……」 レイブ達もそうだったのだろうと思いながら、俺は黙って剣を強く握った。 「私がこんなものを建てたからだということはわかっている。しかし、彼女といたここを壊したくはない。だから、せめて私が生きている間は残したい。私のわがままで死んでいった者達にせめてもの供養をと思って、こんな真似をしている……傲慢だと嗤ってくれて構わない」 魔王の背中がやけに小さく見えた。魔王はこちらを見て続けた。 「私は聖歌を知らない。だから鎮魂歌(レクイエム)を作って歌っていたのだが……呪いの歌になっていたとはな」 「噂は知ってるのか」 「聴覚が悪くないんでな、人間達の噂は嫌でも耳に入る」 「あの歌……前半は鎮魂歌だけどよ、後半は女への愛の歌だろ」 俺が吐き捨てると、魔王は両目を大きくした。 「何故、それを?」 「寝やすい丘から、風に乗って聞こえんだよ」 「全部聞くと死ぬと噂があるのでは?」 「知らねぇよそんなもん。歌詞覚えちまったじゃねぇかよ」 「そうか……何だか恥ずかしいな」 魔王は照れ臭そうに笑った。俺が長年会いたかったあの歌の歌い手が目の前にいるという事実がむず痒くなり、俺は剣を収め、背を向けた。 「おい、出口教えろ」 「必要ないだろう? 私を殺せば済む事だ」 魔王バアルは笑った。俺は舌打ちをして答えた。 「殺してくれって奴を殺してやる程優しくねぇんだよ。嫌なら他あたれ」 「フフッ。いい人間だな、お前」 魔王バアルは俺に背を向けると歩いた。 「こちらだ」 「あ?」 俺が壊した扉の向かいの壁にある小さな扉から部屋を出た。俺は魔王に警戒しながらついていったが、途中から花の匂いがした。小さな魔物の礼のお陰で出口が分かったと、俺は内心小さな魔物に感謝した。  魔王は扉を開け、角に匂いの強い花が置いてある出入口へ案内した。 「ここから出られる」 「そうか。ありがとな」 「礼を言うのはこちらの方だ。ありがとう」 魔王バアルは笑った。何だかんだ生きていたかったのだろうと思った俺は、笑った。 「これでチャラな」 魔王バアルは頷いた。俺は背を向け迷宮を出て、正面の門をくぐった。すると迷宮に魔方陣が現れ、迷宮がけたたましい音を立てて一気に崩れた。少しして音が止み、何事もなかったかのように迷宮は消え失せ、只々草原が広がった。その中にいくつもの墓だけが残っていた。  この状況を理解するまで少し時間は要したが、あの歌を思い返し、ようやく全てを理解した。
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