3章

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「――宿泊料は、きちんと二人分のお金を払わなければ」 「は? なんで?」  ごろんと横になっていた私は、上体を起こした。 「僕と君が恋人同士じゃないからだ。嘘をついて、サービスを受けるわけにはいかない」 「なにいってるの、そんなことしたら怪しまれるじゃん」 「それもそうか……。しかし、これでは宿の主人をだましたことになる」  どうすればいいんだ! と、ジャックは頭をかきむしりながらうなりだした。  彼のことだ。このままだと、本当のことを言わなければと、走り出してしまうかもしれない。私はため息をついて、変装用に付けた仮面を外した。 「分かったよ。明日、チップだって言って、お金を払っておくから」 「そうか! すまない、世話をかける」  さっきまでの悩んだ表情も消え、一人すっきりした表情でジャックは私の手を取った。  その手を払い、私は部屋の奥へ足を向ける。 「どこへ?」 「誇りとカビ臭い姿だと、恋人同士の甘い旅行には見えないでしょ? 汚れを流してくるの」  昨日の夜から、動きっぱなしの上に、この男の子守までやっていたのだ。疲れてへとへとで、倒れそうだ。  私は振り向き、ジャックに仮面を投げつけた。「危ないじゃないか」と文句を言っている彼を横目に、洗面所のドアを開ける。 (だる……)  ドアを閉め、ポーチを取り外して床に放り投げる。洗面所には、陶器の洗面台と姿見があった。その奥が、浴室になっている。  鏡を見ると、顔に泥がついていた。指の腹でそれを軽くぬぐい、汚れた服を脱いでいく。 (全員守るなんて言ったけど、正直面倒くさいな)  シャワーを浴びていると、徐々に冷静な感覚が戻ってくる。自分で言い出したこととはいえ、無理な約束をしてしまったものだ。 (いっそのこと、殺人鬼が勝つ物語に作り変えちゃえばいいんじゃ? それか、殺人鬼を知っている人に全員消えてもらって……絶対、ジャックはだめって言うんだろうけど)  そもそも、初めから私が殺人鬼なら話は早かったのだ。ジャックがファイナルガールで私を殺す役なら、負ける気がしない。それに、きっと彼は私を殺せない。彼を説得して丸め込めば、逃避行もしやすかったはずだ。 「……いやいや、それじゃ意味ないじゃん。私はジャックが好きなのに」  私がジャックになってどうする。とはいえ、よく考えたら、あの男がジャックと言い切れるのだろうか。さっきも本人に言ったが、正直彼のことが本当に好きなのか自分でも疑問だ。  本物のジャックとは似ても似つかない、転生して別の魂が宿った「なにか」。ジャックの姿をした別の男だ。
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