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(これは……。まさか)
偶然ではない。
そう気づいた時だった。
「静かに……!」
薄暗い廊下の先からかすかに足音が聞こえる。ゆっくりと踏みしめるかかとの音は大きく、その人物の大きさがうかがえる。
嫌な予感がして、私は彼の口を押えた。
「誰かいる」
「お医者さんじゃないのかい?」
自販機の後ろに隠れてそっと様子をうかがっていると、のんきな声が頭上から聞こえた。この男、元の世界に戻って来てもこの調子らしい。
いや、本当に元の世界なのだろうか。不安が確信に変わりそうなとき、彼が不思議そうな声で言った。
「そういえば、よく僕を見て僕だって分かったね。目の色も髪の色も違うのに」
「なに言って……?」
「それに、君は元の世界でも変わった目の色をしているんだね。それに、顔だってあっちの世界の顔とそっくりだ。まるで、本物のノアみたいな姿で驚いたよ」
あっちの世界にあったアザを指さすように、彼は私の右目の下を指さした。
背中に冷たいものが走り、私は薄暗い廊下のガラス窓に顔を向けた。
(私の、顔じゃない)
血のように赤い瞳が、鏡のように反射するガラスに映っている。そこには、映画の中のノアそっくりな女が映っていた。
(まさか、ここは)
不安が確信に変わり、彼の腕を掴もうとした時だ。
「……どうしてここに?」
彼の視線が自販機の受け取り口の方に向く。つられて視線を下げると、そこには斧が立てかけられていた。
震える手で、恐る恐る私は斧を手に取った。そのとき、ガラスの割れる音が廊下に響いた。
「見つけた」
仄暗い廊下の先から現れたのは、鈍く光る斧を持った大男だった。白い仮面で顔を覆った男が、かかとを鳴らしながら近づいてくる。
「どうやら、あの映画には続編があったらしいね」
次はどんな役を与えられたのか。そんなの関係ない。私は斧を振り上げて窓ガラスを割ると、ジャックを横抱きにした。
「第二シリーズはジャックとノアの逃避行編ってところかな」
「なに、そんなことは聞いていないぞ。だいたい、あれはいったい――」
「舌噛んじゃうから、黙ってたほうがいいよ、ジャック」
混乱した顔も彼らしい。私は包帯の隙間からのぞくジャックの額に唇を落とし、窓に足をかけた。
病院から抜け出した後は、どんなストーリーが待っているのだろうか。どんな役を割り当てられたとしても、解釈違いだって跳ね返してやる。
悪夢の世界で愛する人を腕に抱き、私は期待に胸を膨らませていた。
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