花嫁舟と花嫁に捧げる歌

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 それから1月後、花嫁の積み荷を乗せた舟が3舟港に並びました。  その1つに花江さんが兄と乗りました。花嫁が乗る舟は、他の舟より小型で、花嫁が遠目からでもよく見えるように作られた、花嫁舟用に造られた舟です。花嫁の姿を、他の乗客や乗組員で遮らないよう、歌い手兼船頭以外は搭乗しません。花嫁は、豪華に飾られた嫁荷を背に、舟先と中央の間辺りに座ります。    港には、花嫁とその嫁荷を見ようと、港は村民で溢れていました。  花江さんが花嫁姿で、舟に乗っていきました。  見物人からため息が漏れるほど、美しい花嫁姿でした。  しかし、花嫁に笑顔はありません。    兄が”花嫁を思う親の心”を表現した曲を歌い出します。  見物人が歌を聞こうと耳を澄ます。  しばらく兄の歌が港に響きました。  1曲終わった辺りで、3つの舟はゆっくりと、ゆっくりと動き出します。  花嫁を乗せた舟を先頭に、3つの舟は港を離れていきます。  離岸しながら、兄は2曲目を歌いだします。  今度は”花嫁が故郷に別れを告げる”歌です。  切ない曲と共に、舟は沖へと去っていきます。  そして、舟が離れるにつれ、歌は港に届かなくなりました。  2曲歌い終わり、兄が花江さんに尋ねます。  「どうします? 貴方のためだけに、何か歌いましょうか? 花嫁を称える歌、別れる娘を心配する歌、色々ありますが……。もしくは故郷を偲ぶ曲もあります」  「そんな歌を、正雄さんから聞きたくないです」  「花嫁舟の船頭は、島を去る花嫁の為に歌うことが、仕事の1つです」  花江さんは顔を背けてします。 「そんなことくらい知っています。あなたは酷い人よ。私に気持ちを知りながら……」  花江さんは顔を両手で覆います。 「私はこの結婚を白紙に戻します」  兄が驚いた顔で聞きます。 「どうやって?」    花江さんが塞いだ手を顔から離します。 「あなたたも知っているじゃないですか? 花嫁舟から海に落ちればいいんです」  花江さんが海に飛び込みました。    花嫁が花嫁舟から海に落ちれば、結婚はなかった事になるのです。  でもそれは同時に、花嫁の死も意味しているからです。  花嫁は綿入りの花嫁衣装を着ているから、海に落ちたら花嫁衣装へ海水が染み込んでしまいます。花嫁衣装は、花嫁を海底に誘う重し(おも)になって、死に装束に変わってしまうのです。  海に飛び込んだ花嫁を、衣装を脱がして救う以外、方法はありません。けれどそれでは、海中でもがく花嫁にしがみつかれて、一緒に黄泉の国に連れて行かれるかもしれません。花嫁が運よく助かっても、花嫁舟から海に落ちた女として、不吉な女という烙印がついて回ります。    ――花嫁舟から落ちた女は、そのまま海に沈んで、海の魔物の嫁にした方が良い。  島の住民は、皆そう言っていました。  しかし兄は服を脱ぎ、舟につなげてあるロープの端に身体を巻いて、躊躇いもせず海に飛び込んだのです。  沈んでいく花江さん目掛け潜っていきます。  もがく花江さんの手を掴むと、花嫁を引き上げ、水中で花嫁の打ち掛けを脱がし、力ずくで舟に引き上げたそうです。  花江さんが、引き上げらえた舟の上で、これから何が起こるか、他の船のものは知っています。  だから他の船は、兄の舟から遠ざかっていきます。  兄は花江さんを寝せ、顔を傾けさせて、口の手を入れ水を吐かせました。  それから、花江さんの帯を解き、着物を脱がし、長襦袢も脱がせてしまいます。  ――海の上の風が、濡れた長襦袢を着た花嫁から、体温をどんどん奪ってしまうからです。    美しい花江さんの、白く艶めかしい裸体が現れたそうです。  しかし、兄は裸に興味を示すことはなく。  それは、花江さんが寒さで震えていて、一刻を争う状態だったからです。  兄は花江さんの嫁荷つから、花江さんの着物を取り出し着せました。  兄は、嫁荷の中から別の着物を出して、更に花江さんを包んだのです。  けれど自分で、自分の身体を温める力が花江さんにはありませんでした。  兄は自分の着物を着ると、花江さんを包むように抱いて、仲間の舟に無線で伝えました。  「手当は終わったから。来てくれ」  仲間の舟が寄って来て、仲間が尋ねました。  「まだ、花江さんは生きているのか?」  「ああ、だが。意識が戻らないし。身体は冷え切っている」  気の毒そうに仲間たちは言いました。  「ああ、いっそ、死んでしまえば良かったのに」  「生きながらえても、この先辛いだけだろう」  「島に戻っても好奇な目で見られ、次の嫁ぎ先も見つからないからな」  仲間の一人が、兄に問いました。  「何で助けた? 花嫁舟から落ちたと言うことは、そう言うことだろう?」  「見捨てられなかった」  「正雄も難儀なことをしたもんだ。海に落ちた花嫁など助けたら、とばっちりを食らうのが落ちだ」  もう一人の仲間が言いました。  「花嫁の荷物の隙間で、俺たちに見えないように、正雄が肌で温めてやれ。それしかないだろう」  「俺がか?」  「そうだ。もう正雄は、花江さんの肌を見てしまったんだろう?」  「見た」  「これ以上、花江さんの肌を見たものを増やすべきじゃない」  戸惑う兄に、仲間は言います。  「後は、俺たちが本州まで舟を動かすから、正雄は花嫁に付いていてやれ」  兄は、仕方なく花江さんを身体で温めたそうです。
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