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2024年5月20日
今日は仕事がお休みです。
朝いつもギリギリの愚息を家から叩き出し、かわゆい僕チソの奥タソのご出勤のお見送り。
ぴえん…さみちいョ…
そして諸々雑用を済ませて少し寝て今に至る。
現在12時40分。
せっかく恥を忍んで「かわゆい僕チソの奥タソ」なんていうパワーワードを晒し上げたのでついでに少し昨今の男女平等について思う事を述べる。
最初に言っておくが異論は認める。
そもそも異論を認めないなんて偉そうにほざけるほどのエビデンスは持ち合わせていないんでな。
ただの「個人的な思想」にすぎねぇんだ。
「色んな奴がいて色んな考えがある」
それが私の思い。
それが前提。
次に私がこういう類の話をする時の常套句がある。
それは
「異論は認めるが議論をする気はない」
ということ。
だってよぉ、議論てめんどくせーじゃんか。
疲れるんだよ、あーゆーのさ。
いやいやお前は間違っている!
私はお前の考えを正さねばならぬ!
とか考えなくていいからさ。
屁でもこいて自分の屁のかほりに酔いしれていてくれよ。
よーし、この痛いおっさんを俺が論破してやろう!
とか思わなくていいから。
私の負けで結構。
負け続けて四十と余年、ここまでくると負ける事になんの抵抗も不快感もありゃしねぇってもんだ。
負ける<めんどくせー
という人間なんでな。
負けて楽になるなら尻尾振って負けてやる。
えーと何の話しようとしたんだっけ?
あぁ、男女平等ね?
『なぜ妻が夫のことを主人と呼ぶのか。これは平等じゃない。召使いでもないし仕えているわけでもないのに!』
てな一文を見かけたんだわ。
あぁっとね、まぁ言いたいことは理解できる。
この一文は既婚者が書いたのか未婚者が書いたのか分からないし、それ次第で言い方も少し考えなきゃならんが…まぁ私なり考えをざっくりと述べてみようか。
あくまでも個人的な考えね。
その「主人」と呼んでいる妻から自然に「主人」という言葉が出てきたのであれば妻からしたら「主人」なんだろうよ。
そしてきっと「主人」と呼ぶ妻は、自分が召使いだなんて思ってねぇだろうな。
単純に何かをしてあげたい、何かを捧げたい、何があってもこの人について行くもしくは私が引っ張っていく、お互いそう考えている、ただそれだけだろ。
そうお互いがそう思い合っているだけだろ。
だから「主人なんて呼称はおかしい!」と思う妻の夫は「主人」の器じゃないんだろうな。
もしくはただの病的な負けず嫌いなのかってとこかな?
器を磨くのはあんただろ?
磨いてやんな。
そいつを選んだあんたが磨いてやんなよ。
それとな、夫婦てのはお互い何て呼ぼうが呼ばれようが平等で対等なんだよ。
へへーん!俺の方が年収高いぃ!お前の負けー!
パートのお前の負けでーすー!
家事全部4649ぅ!!
はーいあたしの方が高学歴ぃい!
あんたの負けぇ!!
へー!低学歴なのに結構もらってんのね!
じゃあ、明日のランチ代諭吉一枚4649ぅ!!
こういう妙な負けず嫌い精神が昨今の男女平等という柱にヒビを与えているような気がするっスね。
まぁコレを言ったらなんもならないが
「こう呼べあぁ呼べと強制は駄目だけどお互い呼びたいように呼べばいいんじゃね?」
とあたしゃ思いますよ?
こう呼ぶなんて不公平だ、あぁ呼ぶのは軽視している証拠だ!これは声高らかに発信せねば!…とかはっきりいって大きなお世話だと思いますがねぇ…。
ま、まぁ…疑問を持ち何か発信して自分の力で世直ししようというバイタリティは非常に…うぅんとまぁその…評価できる?と?思いますよ?多分ね…?
ちなみにウチのかわゆい奥タソですが私を呼ぶ際は出会ってから二十数年間変わらず「たけるくん」です。
フォーマルな場では「夫」と呼びます。
私は奥タソの事は「◯◯ちゃん」です。
もちろんフォーマルな場では「妻」と呼びますよ?
当たり前だろ?
フォーマルな場でおっさんがおばさんの事を「◯◯ちゃん」とか言っていちゃついてる絵面なんてもはやスプラッター映画だ。
お互いが思いやりを持って接していれば、そしてお互いが納得していれば、お互いが平等で対等だ思い合っていればそんな目くじらを立てて発信するほどのことではないと思うけどなぁ。
まぁどうでもいいか。
もうすぐ奥タソがパートから帰ってくるわね。
お茶とオヤツ準備してお夕飯の下ごしらえもしとかないと。
忙しい忙しい…
でもあたし…それでもいいの…
あの人が喜んでくれるから…
↑お互いこう思っていたなら勝った負けた不平等だ不公平だ差別だとかそういう概念など無くなっていくのになと我思ふ。
本日はお読みいただきまーこーとにーありがとうございます。
またのお越しをお待ちしております。
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