第1話 ゴシックロリータの君

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第1話 ゴシックロリータの君

 日差しの強い休日の昼間のことだった。僕は大学の課題を終わらせるために、大学内にある図書館にいた。席に座ってしばらく専門書を読んでいたが、うつらうつらと眠気は襲ってくる。やばいと目をぎゅっ、と瞑る。籠ったような空気感から脱するために窓の外を見ようとしたが、日が当たって光沢のある緑と黄緑の葉がこちら側に風で押し付けられたように、ガラスに張り付いている。何故かその色が目を惹くと思った。窓の近くの席には、見たことのない大学生が座っていた。彼は流行りの漫画本を枕にして寝ている。課題中ではないらしい。わざわざこんなところまで来て漫画か……と呆れていたら、バチっ、と鋭い目力でこちらを向いた。透き通ったような、キラキラした肩まで伸びた金髪の彼を、窓の外の緑が額縁となって引き立てている。『良い初夏の色だ』と思った。小柄な彼には「初夏」がよく、似合っている。少年のような、少女のような顔をした青年に声をかける。 「ねえ、君さ……」 「お前」  向こうからも声を掛けられた。 「お前、バンドやる?」 「バンド?」 「組みたいんだけど、友達がいない」 素直な物言いに思わず、笑みが溢れる……。 「じゃあ……バンド組む前に友達になろうか?」  それから彼は名前を教えてくれなかった。バンド活動をする時の為に考えた、アーティスト名の「チャト」というニックネームは教えてくれた。彼は僕の名前も、一度も聞かなかった。 「これ、何の本?」 「グリム童話」 「童話かよ? しかも怖いやつ」 「魔除けのお守り。優しいだけの話より、悪いことが起こらない感じがしない?」 「へぇ〜、じゃあお前のことはグリムって呼ぶ」  何が「じゃあ」なのかも、よく分からなかったし、僕にはチャトの思考回路がよく分からなかったが、不思議と、一緒にいて居心地が良かった。一人暮らしだという彼の部屋で、彼の女装姿を見せてもらった。黒の生地に白く少し透き通ったフリルのついたゴシックロリータ・ファッションは、彼によく、似合っていた。彼は端から、ボブの髪型をしているので女性用のウィッグは必要なく、目元を強調する化粧で、彼の目力が強調されている。現代の日本人と比べて、彼の目は特に大きいというわけではなかったが、睫毛がとても長くて綺麗な顔だ。ノーズシャドウで鼻をシャープな印象にさせ、薄めの唇にはボルドーのリップが塗られている。 「よく似合ってるね」 「V系で『女形』っているんだけど女装するメンバー。あそこまでケバくないけど、それを真似して試しにやってみたら、思いの外嵌った」 「それはバンドの時だけ?」 「ああ」  チャトは目線を下げて、ラグの敷かれた床に座り込む僕を見た。いつもは僕の方が目線がかなり高いので、この角度の近くから見る彼は、いつもの上目遣いではなくどこか大人びて見えた。 「でも、俺は男でも女でも何でもない、人間になりたい」  唯一無二の神になりたい、とビジュアル系の歌詞みたいなことでも言うように、彼は人間になりたい、と言った。 「今度、グリムの家にも行かせて」 「ああ、実家暮らしだから家族もいるけどね」 「実家なんだ?」 「大学から近いから」  長身なこと以外はよくも悪くも普通で、これといって特徴のない僕は、場の空気に溶け込むのが得意だった。下北沢の路傍にある小さなライブハウスで、何とも雅な格好をしているのはチャトだけで、他の人々は演奏側も僕と同じような、Tシャツにジーパンといったカジュアルな格好をしており、周りが仮装していたら浮くかと思案したが、それは杞憂に終わる。チャトは知り合いに頼まれ、バンド内の仲間割れで不在のメンバーに代わりボーカルを担当した。  そこで彼は歌った。ハイトーンの、その声を聴いて、悪魔のような格好をしている堕天使のようだ、と思った。天界で許されざる禁忌を犯してしまった彼を、本物だと証明するには歌が必要だった。紡がれた歌詞を自分の言葉だと偽っているのに、その耳心地よい悪魔の声を聴くと許してしまうのだ。  まことに、確かに、君は生きている。
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