6

1/1
前へ
/16ページ
次へ

6

 尾藤と会ってから六日が過ぎ水曜日になった。その間尾藤からは何の連絡もなかった。連絡がないことがかえって不気味だったが、仕事を終えた木場は優花の路上ライブに足を向けた。  優花を囲むファンは先週よりも増えていた。何人かのファンが、優花の歌う姿を毎週SNSにアップしていたのが拡散されて、人気が広がっているようだった。およそ一年前には客は自分しかいなかったのにと、木場は周囲を見渡して感慨深かった。  優花がマイクを握り、 「みなさん、決勝進出が決まりました!」  と発表するや、男たちの低い声がどよめいて、池袋の夕空に拍手が響いた。 「来週の水曜日が決勝です。公開ライブで配信もされるそうです。会場に来れる人はぜひ会場で応援してください」 「おーっ!」と、太い声の歓声と幾つもの拍手が重なった。頭の上で手作りの優花うちわを振っているファンも数人いる。木場は、まるで自分の娘の晴れ姿を見守っているような気持ちになり、人知れず涙をぬぐった。  優花は会場の場所と時間はSNSにアップしますと告げて演奏を始めた。およそ六十分のライブが終わった頃には、ファンの人数がさらに増えていた。手作りのCDも完売で、せっせとサインをする優花の姿に木場は安堵し、その場を離れた。ところが数歩足を進めたとき「きゃーっ!」と優花の悲鳴が聞こえ咄嗟に振り返った。優花の周囲がざわついていて、 「おい待て!」と誰かが叫んだ。何事かと木場も慌てて踵を返し、ファンの輪に戻りかけた時、人垣を割ってギターを担いだ男が飛び出て来るや、全力で走り去っていった。優花のアコースティックギターを担いでいる。ギターを盗まれた優花が悲鳴を上げたのだった。数十人のファンが「ドロボー! そいつ泥棒です!」と叫びながら男を追う。ギター泥棒は先週罵声を浴びせていたパーカーの男だった。木場も慌てて後を追った。  三十メートルほど走ったパーカーの男は、息が切れたのか歩道で立ち止まり、腰を曲げて息を整えていた。大勢のファンが男に迫る。木場も遅れながら追いついた。 「おい! ギター返せ! 早く!」  ファンの一人が怒声を発しながらパーカーの男に詰め寄ったその時、パーカーの男が国道に向かって優花のギターを放り投げた。木場は一瞬、時間がスローになったように感じた。優花の茶色いギターがガードレールの上に弧を描き、夕陽を背にしたギターのシルエットがアスファルトに落ち鈍い音を立ててバウンドした瞬間、走ってきたダンプカーの太いタイヤがバキバキと嫌な音を残して走り去った。木場は呆然と、もはや原型をとどめていないギターの残骸を見た。切れた弦が次々と走り抜ける車の風に煽られて、キラキラと揺れていた。息を切らしながら走って来た優花は道路に散らばるギターの残骸に、「え……」と低く漏らした切り、言葉を失ったようにヘナヘナと歩道に両膝をついた。  あまりのことに木場は、何て声をかければ良いのかわからなかったが、優花を囲むファンの輪に混ざった。皆が黙って見守っていると「……なんで……」と優花が、力無く呟いた。  誰かが「あっ、あいつは?」と声を上げ、全員で辺りを見回したが、パーカーの男の姿はどこにもなかった。  一昨日飲んだとき優花は「まだ一台しかギター持ってないんです」と言っていた。お母さんがローンを組んで買ってくれたギターだ。しかもプロも使っているような上質の木で作られた高価なギターだと言っていた。 「早く売れて恩返ししなきゃ」と、決意に満ちた目で言っていた優花が、今は肩を落として路上に座り込んでいた。一体誰がこんな酷いことを。憤りが込み上げて来たとき、尾藤の顔が浮かんだ。僕に協力させるために、今度は何の関係もない優花をダシにしたのか。木場は人の輪を離れながらスマホを取り出すと、尾藤に電話をかけた。
/16ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加