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 一週間後の水曜日の午後。木場は会場近くの喫茶店でスマートフォンを開き、イヤホンをつないだ。まもなく優花の出番だ。動画サイトを開く。代官山のライブハウスは立ち見も含めて二百人ほどの観客で満員だった。照明を落としたステージの右端にピンスポットが射し、袖からギターを下げた優花が登場すると「優花ちゃーん」と野太い声の歓声がいくつも上がった。ステージのスタンドマイクの前に立った優花は目を細め、少しの間黙って客席を見回していた。自分を探しているんだろう。木場にはわかった。  司会が「それでは優花さん、決勝の歌をお願いします」と水を向ける。  優花は小さく息を吐くと「聴いてください“リスタート”」と、前奏を弾きはじめた。  木場はスマホのデジタル時計に目をやり、スマホを閉じると席を立った。会計を済ませ店を出ると、真上から照りつける太陽に黒いキャップを目深に被り直して、もうひとつの会場に足を向けた。  優花のギターが壊された日の夜、木場は尾藤と会っていた。先週のホテルのバーラウンジに木場が呼び出したのだ。  開口一番木場は「あんたどうゆうつもりだ? 関係ない優花を巻き込むな!」と怒りをぶつけた。尾藤は「ゆか? 何のことですか?」と怪訝な顔を向けた。 「とぼけないでください尾藤さん。パーカーの男に大切なギターを盗ませたのはあんたじゃないのか」 「いや、私じゃない、神に誓って。いつもの木場さんらしくないですね、落ち着きましょう」 「本当に知らないんですか?」 「ええ、くどいですよ木場さん。何のことやら検討もつきません」  木場は尾藤が本当に関与していない気がした。いつもの人を(あざけ)るような顔つきではない。じゃあいったいあの男は誰だ。釈然としなかったが、もうそのことはどうでも良かった。 「尾藤さん。先週聞いた件、僕がやります」  尾藤が驚いたように眉を上げた。 「そうですか! さすが木場さんだ、そう言ってくれると思っていました」 「ただ一点、前金の三百万を今すぐに欲しい。それが条件です」 「あ、そんなことであれば」と、尾藤は犬に待てをするように木場に右の掌を向けて、左手のスマートフォンでどこかに電話をかけた。今すぐ持って来いと、木場の目の前で指示を出した。 「では、金が届くまでの間に依頼内容を説明しましょう」  木場は給仕に借りたボールペンで、ホテルの紙ナプキンにメモを取った。  一時間ほどで若い男が金を運んで来て、その場で三百万を受け取った。  翌日、木場は朝から楽器店を回り、優花と同じ型番のギターを二十万円で購入した。
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