8

2/2
前へ
/16ページ
次へ
 説明会場の入り口に着いた。もう思い残すことはない。ギター泥棒の正体も判明していた。男の写メを撮っていたファンが警察に相談し、防犯カメラの映像などから犯人が特定できた。優花と同じオーディションにエントリーしていた女性シンガーの親衛隊の男だった。男は下馬評で自分の推しの形勢が不利なことを知って、優勝候補の優花を潰そうと嫌がらせをしたのだった。なぜ推しの力を信じてあげないんだと、木場は残念に思った。  説明会場の受付簿に“木場英典”と書いて会場の大会議室に足を踏み入れた。パイプ椅子が百脚ほど整然と並び、半分くらいまばらに埋まっていた。木場は最前列のパイプ椅子に腰を下ろすと、先ほどの喫茶店で尾藤の部下から受け取った、ずっしりとした紙袋をパイプ椅子の下に置いた。中には改造銃を忍ばせてある。部下の男からは、心臓や頭に当たらなければ死ぬことはないと聞いている。説明会が始まって反対派のリーダーの男が話し始めたら、威嚇で何発か撃つ。そして全力で会場を抜け出し尾藤の手下が用意した迎えの車で逃走する。木場の役割はそれだけだ。尾藤曰く、反対運動に命を賭ける馬鹿はいない。つまり銃で威嚇するだけでも十分な効果が見込めるとのことだった。それでも懲りなければ、自宅の窓ガラスに銃弾を撃ち込んでやれば、どんな奴でも心が折れますよと、したり顔で言った。  説明会が始まって三十分ほど経った時、反対派のリーダーが椅子から立ち上がり、木場の前を通って会議室の中央あたりに出てきた。左から推進派のワイシャツ姿の男が現れ、やはり中央あたりで足を止めた。レジュメによると、推進派と反対派の代表による意見交換の時間だ。二人はそれぞれ、パイプ椅子に腰を下ろした。二人の距離は二メートルほど離れている。この距離なら推進派の男に弾が当たることはないだろう。いよいよだ。木場は腰かけたまま背中を丸めて、床に置いた紙袋にそっと両手を伸ばした。小型の拳銃は書類の束の間に挟んである。両手で書類ごと掴んで、真ん中が不自然に盛り上がった書類を両膝の上に置いた。書類の隙間に右手を滑らせて手探りで銃のグリップを握り、引き金に人差し指をかけ、第二関節まで入れて止めた。この指を引けば銃弾が発射される。木場は唾を飲もうとしたが口の中がカラカラで、唾が出なかった。警備会社には、今朝退職願いを出した。長年世話になった会社に迷惑をかけるのは本意じゃない。木場から二メートルほど離れたところで、反対派のリーダーが何やら熱弁しているが、内容は耳に入ってこない。木場は心の中で「よし!」と呟くと、勢いよく立ち上がり銃を握った右手を天を指すように突き上げて、天井に向けて二回、引き金を引いた。乾いたパンパンという音がこだまし、一瞬の間を置いて「きゃーっ!」と悲鳴が上がった。耳がキーンとして耳栓をしたように周囲の音がこもって聴こえた。 「みなさん落ち着いてください! 反対派のリーダーが暴力団に狙われています! 私は皆さんに危害を加えるつもりはない。今すぐ警察に通報してください」  木場は会場を見回しながら大声で一気に喋ると、腰をかがめて拳銃を足元に置いた。
/16ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加