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 容赦ない直射日光が池袋の街を白く光らせていた。四日連続の猛暑日だった。商業ビルの前の歩道には陽炎(かげろう)がゆらぎ、街全体がゆがんで見えた。歩道と並んで走る国道の向こうには近代的なビルが立ち並び、ガラスの塔がギラギラと太陽を反射していた。  木場英典(きばひでのり)は毎日九時間、この酷暑の中にいた。晴れの日は朝から憂鬱だ。照りつける太陽が老いた身体の体力を一秒ごとに削ってゆくからだ。駐車場誘導員。商業ビルを出入りする車を誘導し、歩行者の安全を守る仕事だ。痩せた身体にダブついた警備服と日焼けで黒光りした乾いた肌。骨ばった顔の大きな白目がギョロリと目立つ。通りすがりの悪ガキが「ごぼう人間!」と口走って逃げていったこともあるが、他人からいじられるなど久しぶりだったので、木場はすこし嬉しかった。  駐車場に出入りする車や歩道を行き来する人には、この街に来た目的がある。家族連れや若いカップルが自分の存在など気にもせず、楽しげに通りすぎる。街の再開発が一段落すれば、もっと多くの人で賑わうだろう。だとしても自分には関係ない。自分が死んで別の警備員に代わったとしても誰にも気づかれない。いくらでも代わりがいる仕事だが、木場はみじめに思ったことはない。たとえ猛暑がガラリと表情を変えて雷雨になろうと何も思わない。何も考えず感情を忘れて過ごすことが、目的もなく退屈な日々をやり過ごす最善の方法だ。いつからかこうして生きてきた。そして六十歳になっていた。  こんな生ける屍のような木場にも、唯一の楽しみがあった。毎週水曜日に路上ライブに訪れる優花(ゆか)の生歌を聴くことだ。このときだけは、砂漠のような心の底から湧き水のように潤いが満ちてくる。ここ一年は優花のおかげで水曜日だけは出勤が楽しみだ。  優花は木場の持ち場から十五メートルほど離れた歩道で路上ライブを行っている。毎週水曜日の夕方六時から七時の一時間だ。オリジナルからポップスや昭和歌謡まで、アコースティックギターを弾きながら、柔らかいスモーキーな声で軽やかに歌う。優花は小柄で、白いキャップの下に束ねたポニーテールと無地のTシャツにデニムの姿は、ギターを弾いていなければ中学生のように見えるが、小さな身体のどこにこんなエネルギーがあるのだろうと思うほど、パワフルな声も出す。まだ足を止めて聴き入るひとは少ないが、木場は初めて聴いたときに鳥肌が立った。間違いなく優花のファン第一号は自分だということが、木場は誇らしかった。優花の歌を聴くために木場は、水曜日だけは夕方四時に勤務が終わる朝七時からのAシフトにしている。  木場は優花と言葉を交わしたことが数回ある。ギターケースに恐々と千円札を入れた時に初めて言葉を交わした。それまでも遠目で歌を聴いていたが、足を止める人は少なく、ギターケースはほとんど空だ。このままだと優花が歌いに来なくなるのではと不安がよぎり、演奏が終わりアンプを片付けているところに近づいて、皺くちゃの千円札を入れた。 「わ! ありがとうございます!」  足早に立ち去ろうとしたが優花の声に振り返ると、こめつきバッタみたいに何度も頭を下げられて、かえって恐縮した。おまけに年甲斐もなく緊張して「歌、上手いですね」といったものの言葉が続かず、変な間ができたので小走りで去った。あんなに喜んで貰えるなら毎週でもお捻りを上げたいところだが、手取り十六万足らずで貯金もない木場にとって、千円は大きい。だから給料日直後のライブのときだけギターケースに気持ちを入れている。  二回目に言葉を交わしたのは優花が自作のCDを持参したときだった。これは千二百円で、店で売っている物とは違ってプラスチックのケースは無く、厚紙のケースに白いビニールで包んだCDが入れてあるだけの簡素なものだった。それでも木場は嬉しくて「えっとサインとか貰ったりできる?」と訊くと優花が慌てた様子で「あ……サイン特にないんですけど……」と、申し訳なさそうにボールペンで“優花”と書いてくれた。  木場は「ありがとう、聴くの楽しみだ」と返したが、この時はCDプレイヤーを持っていなかったので、次の給料日に五千円でプレイヤーを買った。  その後も、お捻りのついでにペットボトルの水を差し入れしたりして、演奏を終えた優花が帰るまでのほんの数分、言葉を交わせるようになった。  優花は水曜日以外は、居酒屋でアルバイトをしていると言った。母子家庭でバイトをしながら家計を支えているようだった。木場が優花を応援したくなったのは、歌声に惹かれたことは勿論だが、母子家庭と知ったことも大きかった。とても他人事とは思えなかったからだ。 「早く売れて親孝行できるといいね」  こんなありきたりの言葉しか言えない自分が、木場はもどかしかった。
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