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 尾藤との出会いはおよそ十六年前で木場が四十代半ばの頃だ。この当時木場は、埼玉県の戸田で町工場を経営していた。狭小住宅がひしめく住宅街の古いモルタルの二階建てに、妻と幼い娘と三人で細々と暮らしていた。経営者といっても社長兼従業員兼営業のいわゆる一人社長だ。一階が旋盤工場で二階の六畳二間が自宅の狭い家で贅沢もできなかったが、それなりに幸せだった。それが大手の取引先がリーマンショックの余波で倒産したことで一気に経営が傾き、土地建物ともに信用金庫から借り入れた運転資金の担保になった。その以前から木場は、売上の七割を一社に依存していることに危機感を持っていて、取引先を拡大するために最新の旋盤機械を揃えるなど、先行投資をしていた。その矢先の出来事だった。残りの三割の売上を上げていた取引先からの発注も全てストップし、収入の目処が立たなくなったが、信金の返済、新調した機械のローン、日々の生活費など、出費だけは毎月続いた。動脈から大量に出血しているのに止血の術がなく、早晩死を迎えることは明らかだった。娘はまだ三歳だ。妻子を路頭に迷わすわけにはいかないと、木場は日雇いの肉体労働で凌ぐ生活になった。もちろんその前に取引先に頭を下げて回ったが、どこも他人の面倒を見ている余裕などなく、工場の機械を全て中古市場に出し、二束三文で売り払うしかなかった。いつか景気が上向いたら買い戻し、工場も再開してみせる。それまでの辛抱だ。そう自分に言い聞かせ日雇い仕事で汗を流したが、そのいつかは来ないまま過酷な労働の疲労だけが身体に蓄積されていった。
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