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富重は野暮用があるからと帰り、しばらくして応接室に現れたのが尾藤だった。高そうなスリーピースに身を包んだ尾藤は、まるで信金の営業マンのようで、木場は少し緊張した。右瞼からこめかみに疾る傷に目が行ったが、この時は尾藤が暴力団の組員とは露知らなかった。
「お待たせしました、尾藤と申します」
低い声で軽く会釈をすると、尾藤は対面のソファに深々と身体を沈めた。
「木場と言います、よろしくお願いします」
木場が座ったまま頭を下げると、尾藤は応接テーブルの上に厚みのある茶色の書類袋をスッと置いた。木場が書類袋に目を落とし尾藤に怪訝な顔を向けると、
「三百万あります」と、口元に微笑を浮かべた。
「え……? まだ御社からお借りするかは、決めてませんが……」
「存じています。ただ、木場さんにはもう、借りるあても収入のあてもないと富重さんから聞いています。それとも今後も奥さん、由美子さんに食べさせてもらうつもりですか?」
木場の顔から表情が消えた。
「なんで妻の名前を……」
「娘さんは心陽ちゃん。三歳の可愛い盛りですね」
「し、調べたんですか?」
「ええ。相手の素性を調査して信用に足るか判断する。当然のことです」
たしかに尾藤の言う通りだったが、薄気味が悪くて木場はごくりと唾を飲んだ。
「もちろん木場さんのご判断を尊重します。ただ、あなたが断ると富重さんの顔が潰れます。それはご承知おきください」
意味がわからず「すみません、どうゆう意味ですか?」と訊き返した。
「なるほど、彼から聞いていないのですね。木場さんあなたは、富重さんの借金の穴埋めに利用されたのです。私は彼にノミ屋を任せていました。彼はその上がりを使い込みましてね、ざっと一千万です。彼はその返済のために、あなたのような顧客を紹介しなければならない。こうした理由です」
「え……」と言ったきり、二の句が継げなかった。僕は嵌められたのかと、何度も頭を振った。
「僕が富重さんの借金のかた……そうゆうことですか?」
尾藤は首肯し「もちろん断る選択肢もありますよ」と涼しい顔で言った。
「木場さん……もし僕が断ったら……あの人は……?」
「それはあなたには関係ないことです。しかし人がいいですね木場さんは。あんな男の心配までして……それと、もし借金をウチでまとめて頂けるならば仕事も紹介しますよ」
「仕事?」
「ええ、経理の仕事です。あなたは社長をされていたから帳簿を読める。デスクワークだから腰への負担も少ない。悪い話じゃないと思いますがどうしますか?」
木場に断る選択肢は無く「わかりました」と答えざるを得なかった。
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