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見返した日記には、一ページだけ意味のわからない箇所がある。
その箇所は、読む人によっては夢見がちな少女のただの空想と取られるだろう。俺は違うが。
――ようやく、ここからおさらばできるぞ!
俺は興奮を隠して背後の男の様子を窺った。男は半田という私立の女子中学校教師だ。書道部の顧問をしている。まだ二十代だとか。若いな。部屋にいるのは俺と半田だけ。半田はベッド横に置かれた淡い色のキャリーケースをどけベッドの下をのぞいている。しばらくすると落胆した様子で頭を左右に振って立ち上がり、今度はベッドの掛け布団を剥ぐ。半田が露わになった敷布団、白いシーツの上に手のひらを滑らせた。俺は思わず、
「先生、それはちょっと」
と、半田を止めた。咎められたのが意外だったのか、半田は怪訝な顔つきで俺を見た。
「あの、つい何時間前までその布団に女の子が寝ていたんですよ? そんなふうに触られるのは、嫌がると思います。少なくとも俺は、気持ち悪い」
俺が眉を顰めると、半田はあたふたと早口で言う。
「なっ……失礼な。変な意図はありませんよ。非常事態だから仕方なく。布団に残る体温を確認しようとしただけです。いなくなった時刻を探るために。映画とかドラマでよくやるでしょう?」
半田の言葉に俺はひどく驚いた。残った温もりで、横になっていた人物が布団から出た時間がわかる? 人間の手のひらには、そんな機能がついているのか。俺にはとてもじゃないができない芸当だ。半田が特別なのだろうか。よくわからなかったので俺は、
「そうですか。俺はドラマを見ないので」
と、生返事をした。
持っていた日記を半田の興味をひかないよう、さりげなく閉じる。色鮮やかな花柄の表紙のこのノートは半田が引率してきた書道部部員の少女の持ち物だった。
半田はカリカリしていた。
「管理人さん、これは非常事態ですよ。八人です。部員八人全員が姿を消したんだ」
と、俺に詰め寄る。半田の口から飛んできた唾が俺の頬に張り付く。俺はムッとしてシャツの肩口で頬を拭った。生徒に対する責任は教師の半田にあるはずなのに、なぜ俺を責める? 襟元を掴まれ揺さぶられる。俺は半田の手を払い除けた。
「非常事態とおっしゃいますがね。俺が先生から連絡をもらったのは十時過ぎでしたよ? 起床時間は何時だったんですか」
「……九時です」
と、半田が項垂れる。俺は呆れた。
「一時間、何してたんだ」
「いや、なかなか起きてこないなぁ、おかしいなぁ、とは思っていましたよ。でもね、あの年齢の子たちですよ。どうせ一晩中どうでもいい話に花を咲かせて、朝起きられないのだろうと。そのうち起きてくると高を括っていたんです。そしたらあっという間に時間が過ぎて」
「責任問題にしたくなくて様子見していたんですか」
「違う! だから管理人さんに電話したじゃないか」
「「だから」じゃないでしょ。俺にしか連絡してないじゃないか」
俺は思わずため息をつく。こんな先生を顧問に持った少女たちがかわいそうだ。
「警察と保護者、あと学校にも連絡しないと」
「警察! それは上の判断を仰がないと」
「上ね。じゃあ学校に電話でしょ」
俺がイライラしながら言うと、半田が、
「管理人さん、こういう事よくあるんですか。ほら、刑事ドラマだと別荘地って殺人とか強盗の現場になったりするし」
と、言いだした。突然何言い出すんだ。
「あのね、先生。俺がここの管理人になって十年経ちますけど、ドラマみたいな事件なんて一度もない」
そう、俺はこの別荘地の管理人だ。管理人の給料は安い。街へ降りればもっと割りのいい仕事がある。だが、俺にはそれでもここにいる必要がある。俺にとって生死を左右する大切な物がこの山にあるはずなのだ。俺はずっとそれを探している。それがないと俺は……などとつい、考え込んでいると、
「まさか!」
と半田が叫んだ。
「なんです? 急に大声上げて」
「お前が犯人だな!」
俺を指差し懲りずにまた唾を飛ばしてくる。腹たつなぁ、もう!
「あのね。先生が「用がある」とドアを叩けば生徒は鍵を開けますよ」
俺としては、違う可能性も示して「俺は犯人じゃないですよ〜」とやんわり言ったつもりなのに、
「管理人の貴様なら、合鍵で好き放題開けられる」
と、半田は俺に人差し指を突きつけ決めつけてきた。おいおい、そのキメ顔もドラマ仕込みかよ。俺は半田の指を乱暴に掴み引き下ろした。半田が「ぎゃ」と顔を歪める。力加減を間違えたみたいだ。痛かったらしい。知るかよ。
「いい加減にしろ。中学女子の体重が平均何十キロか知らないが、八人も運ぶなんて俺には無理だ。腰痛持ちなんでね」
と、睨んだその時、部屋のドアが勢いよく内側に開いた。
入ってきたのは上等な身なりをした中年の男だった。
「うちの娘はどこですか!」
と男が叫ぶ。男が叫ぶと同時に唾が飛んできて俺の頬にかかった。なんて日だと叫びたいのを堪えハンカチで頬を拭く。
「あなた誰です?」と半田が男に聞くと、
「安本文香の父です。子どもは、うちの子は」
と、答える。焦りを抑えつけようとしている様子だったが途中から声がひっくり返る。娘の安否を必死に心配する様子に、俺は文香という娘が少しだけ羨ましくなる。
「お父さん、落ち着いて。今探しに行くところでした。僕は部活顧問の半田と言います。こちらはこの別荘地の管理人さんです」
半田が、表情を切り替え、俺を紹介する。俺は紹介されたので父親に会釈をし、
「なぁんだ。親に連絡してたじゃないか」
と、半田に耳打ちした。不必要に半田を煽ったとほんの少し後悔する。俺を犯人扱いしたことは許さないけどな! すると半田は気まずそうに「いや、そんなわけ……」と視線をさ迷わせる。そして急に、
「学校にも連絡しようかな」
と、スラックスの尻ポケットからスマホを取り出した。すぐ次の瞬間には、半田のスマホは床に落ちゴトっと床に転がっていたが。
「そんなことより、うちの娘はどこにいるんです?」
文香の父親が、半田のスマホはたき落としたのだった。
「お父さん、落ち着いて」
ばかか、半田。相手に「落ち着いて」って言う羽目になった時は、大抵相手に「落ち着いて」もらえないものなのだ。俺にも経験がある。せっかく買った別荘なのに何年も放置しておいて、蛇口を捻ったら錆混じりの水が出たとか、庭の芝生が枯れてたとか、俺としては「ただそれだけ」のことでめちゃくちゃ文句言われるからな? そう言うクレーム言ってくる奴に限って管理費を払ってないんだ。俺だっていただくものをちゃんともらえれば仕事するけどね! 善良で真面目な別荘管理人ですから! って、……あ、話がそれた。とにかくこう言う時はとりあえず相手のムーヴに乗っかっておくのが正解だろ?
と言うことで、俺は文香の父親の腕を取り、
「今すぐ探しにいきましょう」
と、外に出た。半田ものそのそついてくる。
生い茂る木々の中を大人三人して行く。道すがら、半田が文香父に部員全員が今朝から行方不明の旨を説明した。文香父はひどくショックを受けていた。文香父の沈痛な面持ちに半田は苦しげに顔を顰め、俺も気の毒な気持ちでいっぱいになった。
とにかく探すしかない。
「おーい」「誰かいるかー」と声をかけながら歩いていると、文香父が、
「そういえば管理人さん、持っているそれは何ですか」
と、聞いてきた。
「えっ」
「だから、そのノート。ずっと持っているから気になって」
「あ。あぁ、これは生徒さんの日記で」
そういえば、ずっと持ったままだった。俺は立ち止まり二人にノートを見せる。表紙を見て文香父が「これは、娘のだ」とうめいた。
「見てみましょう。何か手がかりが書いてあるかもしれない」
と、半田がノートをのぞき込む。
俺は正直、(この父親、面倒だな)と思った。半田と二人で警察を呼びに麓へ降りてくれていいのに。
木々の緑と土の匂いが立ち込める中、大人三人が中学生の日記を見る。この状況おかしいだろ! と言ってやりたい気持ちに駆られる。とにかくおかしな状況だ、と唇を真一文字にしていると、
「ここだ」
と、安本が、ページをめくろうとする俺の手を押さえた。
――洞窟を見つけた。奥にはキラッキラな木があった。とても綺麗。ダイヤモンドみたい。明日はみんなで行ってみる。
「これは……、意味がわからないな」
と、半田が苦笑いした。
「洞窟なんてあるんですか」と安本は俺に聞いた。
「この辺りの地形は、大昔に噴火で流れ出た溶岩によってできたので。この辺り、探せば結構ありますね」
「きっとこれだ。これに違いない。みんなで行くって書いてある。探しましょう。この日記に書いてあるダイヤモンドの木がある洞窟を」
と、文香父が大真面目な顔で言う。
「や、これは流石に子供の空想では?」
「じゃあ、先生。他にあてはあるんですか」
「だって、ダイヤですよ? この山に? ダイヤ? 信じる方がどうかしてる」
「子供を信じないのか。あんた教師失格だな!」
「失格は言い過ぎだろ」
「まぁまぁ。二人とも落ち着いて。この山は俺が一番慣れているので、お揃いで警察を呼びに麓まで下りていただければ」
教師というのはとにかく批判的に言わないと生きていけない生物なのだろうか。俺はうんざりしながら、睨み合う二人の間に割って入る。その時だ。どこからかくぐもった衝撃音が聞こえた。突然地面が縦にガクン! と跳ねる。
「お!?」
「うわ!」
立っていることができない。みんなして尻餅をつく。しばらくすると揺れはおさまった。
「大きな地震でしたね」
「揺れたな」
安本と半田が顔を見合わせる。俺は思わず、
「……まさか」
と、呟いていた。
「まだ揺れるかもしれない。早く子供たちを見つけないと」
と、唇をかむ半田に安本が、
「警察は、いつくるんでしょうか」
と、聞いている。半田は視線を泳がせている。
俺はもう一度、今度は心の中で(まさか)と呟いた。
もしかして、と思う。半田は警察に連絡していないんじゃないか?
「それにしても、親御さんで駆けつけて来られたのは安本さんだけですか」
「あ? あぁ、私は、たまたま仕事が休みだったので」
と、安本……文香父もフワッと視線を泳がせる。
あと、学校にも、保護者にも。
じゃあ、どうして、安本はここに駆けつけた?
洞窟を探すという明確な目標ができたためか、それとも三人で探したからか、俺たちは洞窟をいくつか見つけた。入り口が木の枝で隠れいたり、蔓がカーテンになったりして発見しづらかったのを見つけたのは本当にすごいと思った。俺一人では無理だっただろう。だが残念なことにその洞窟のいずれにも、子供たちはいなかった。一つ目は入ってすぐ行き止まり、二つ目は奥行きはあるもののが天井が低く、四つん這いになっても入っていくのは無理だったから。
「そろそろ引き返しましょう」
日暮を心配した俺が言うと、前を歩いていた安本が不意に、
「あった! 入り口だぞ」
と、叫び駆け出した。
「今度こそ、ですかね」
と、追いついてきた半田が俺の肩をたたく。
「今度こそ、見つけてやるからな」
半田は、文香の日記を信じ始めたのか、洞窟で生徒を見つける気満々になっている。
見つけると言う点で、俺も同じだった。よようやく、ようやくだ……)「期待」で肺を絞られるように息苦しくなってくる。
洞窟は広く大きかった。こんな大きなものを、そうしてこれまで見つけられなかったのか。不満が顔に出ていたのだろう。
「ここも入り口が木で覆われていましたからね。あれじゃちょっと見わかりませんよ」
と、半田に慰められる。
その時だ。安本がしゃがんだ。草の間に転がっていた握りこぶし台の白い石をポケットに突っ込む。安本が持つスマホの明かりがあたったらしく石がキラッと光を放つのを俺は見逃さなかった。
「待て。それをこっちに寄越せ」
なるたけ冷静に怖がらせないように呼びかけたつもりだったが、安本は表情を固くした。返事をしない。
「嫌だ、取り上げる気だろう」
安本が駄々をこねる子供みたいに頭を左右に振る。俺は石を握ったままでいる安本の腕を捻り上げた。半田が俺を静止する。俺はそれを無視し、片腕だけで安本の体を持ち上げた。安本が「ギャ」と石を取り落とす。半田からスマホを借りライトを当てると石はギラギラ光った。半田が息を呑む。
「本当にダイヤだったのか?」
「くそ、独り占めするつもりでいたのに」
と、安本が唇を歪める。半田は、
「どこにもまだ連絡してないのに来たからおかしいと思ったんだ。娘が心配じゃない。ダイヤが目当てで来たんだな」
と、腹を立てた。俺は(やっぱ、電話してないんかい!)とずっこけそうになった。安本は石を取り上げられ気が抜けた様子で、
「昨日の晩、娘から写メをもらったんだ。俺は鉱物が趣味だ。たまたま見つけた石ころが何なのか聞いてみたくなったんだろう」
と、言った。
「娘じゃなくて石目当てだったのか」
「娘のことも心配してる。金が必要なんだ。事業で失敗して」
「あんた、最低だよ!」
と、プリプリしていた半田だったが、急に、
「それにしても大発見ですね」
と、俺に擦り寄ってきた。
「あんたも最低だろ。生徒が心配と言いながらどこにも連絡してないんだから」
と、指摘すると、
「管理人さんだって、電話しようと思えばできましたよね。別荘にいる間にでも」
と反論された。おっしゃる通り、俺も最低だ。むかっとして石を握りしめる。ふと、脳裏に故郷の景色が浮かぶ。あ、と思ったらガクンと地面が揺れた。
「まただ!」
「今度は揺れが長いぞ」
「待て、暑くないか?」
と、安本が額に掌を当てきょときょとと辺りを見渡す。
足元から嫌な地響きが響いてきた。
「まずいぞ。汗が滝みたいに出てくる」
「どうせおじさん三人だ。えーい、脱いじゃえ」
「ちょっと、僕はおじさんじゃありませんよ」
「生徒から見たら、私もあんたらもおじさんだ」
「俺も!? 俺はおじさんじゃない」
と言い合いつつも、謎の勢いについ乗ってしまい三人してパンツ一丁になる。靴下と靴は履いているのでなんとも格好が悪い。
「管理人さん、口が悪いですよね!」
と、半田が言ってくる。心なし口調が軽い。
「非常事態だからだ」
と、答える俺も始めほどツンケンしていない。
「そりゃそうだ。協力しましょう。子供たちを助けるんだ」
安本にまとめられ俺たちはうなずいた。洞窟の奥へ足を進めていると、
「管理人さん。この山、火山って言いましたよね」
と、半田が聞いてくる。
「ああ、およそ百年周期で噴火してる。ちなみに前回の噴火は二百年前だ」
「溶岩、溜まりまくりだ!」
と、安本が叫んだ。最初会った時の貫禄は既にどこかへ吹っ飛んでいる。大丈夫かこのおじさん。俺たちの中で一番ぶっ飛んでいる気がするのだが……と内心首を傾げていると、半田が、
「熱い!」
と、飛び上がった。見れば半田が立っていたところに亀裂ができている。そこから白い蒸気の筋が噴き出るのが見え、俺は咄嗟に半田の手を引っ張った。地面が崩れ、できた穴からとろみのある真っ赤な溶岩がこちらに流れてきた。
「うわぁ」
「助けてくれー」
俺たちは逃げた。最悪だ。パンツ一丁に溶岩なんて最悪すぎる。俺たちは足場の悪さを忘れ走った。洞窟の奥へ。つまずきつんのめり転がるように道を下る。やがて着いた行き止まりには、ドーム状の高い天井の広場のような空間だった。そして、不死美なことに明るかった。スマホのライトをつける必要を感じないほどに。広場の一番奥に光り輝くそれがあるからだ。
地面に突き立つ円筒形のもの。確かに、木に見えないことはないが……。
「あった!」
と、俺は思わず叫んでいた。疲れていた足に力が戻る。気づくと、俺はそれの前にたどり着いていた。
――ようやく、ようやく見つけたぞ!
俺は震えた。
追いついた安本と半田も目を光らせ、それを見上げる。
「ダイヤモンドの木だ。日記にあった通りだ。見つけたぞ。わーい」
「木っていうよりこれ、人工物じゃないですか」
これで帰れる。いや、帰れないのか?
背中に熱気を感じて振り返ると、溶岩が迫っている。
「わわわ、もう逃げ場がない」
「僕の生徒たち、助けられずにごめん」
俺は迫ってくる溶岩とそれを交互に見た。助かる策がないわけじゃない。しかし……これに乗り込み操作するには時間が無い。もう、おしまいなのか!
思わず目を閉じかけたその時、洞窟の天井を指して立つそれの先端から強い光が迸った。光は、ビビビ! と俺たちのすぐ後ろに命中する。岩の破片が激しく飛び散り顔に当たる。俺は両手で頭を抱えしゃがみ込んだ。石が当たって痛い。飛んでくる石や砂が収まり目を開けると地面に大穴ができていた。そこに溶岩が吸い込まれた。光線に見えたのは実は氷の粒で、その氷が膜のように溶岩を覆う。氷の膜は溶岩の上を洞窟の入り口へ向かって逆走して行った。
「ぶち抜かれた地面の下にポケットみたいな空洞があったんですね」
「その穴に溶岩が流れ落ちたんだな」
半田が凍りつく溶岩に恐る恐る近づく。霜がはりつく表面を指先でチョンと突くが溶岩が動き出すことはなかった。
「ふぅ、冷たい。一瞬で凍ったみたいだ」
一方安本は、氷のビームを放って俺たちを助けた円筒に前にぺたりと座り込んでいる
「ダイヤモンドの木じゃなかったのか」
俺は安本の隣に行くと、彼から取り上げた握り拳大のダイヤモンドを押し当てた。つるりとした円筒形の一部につぅーっと切れ込みが走った。できたのは扉で、大人三人横並びで通れるだろう高さと幅があった。現れた扉がパカっと開き、中からジャージ姿の少女たちがワッと飛び出した。
「一人、二人、三人……八人全員無事だ」
と、半田が喜んだ。安本は、
「文香ぁ」
と、そのうちの一人の少女に抱きつこうとする。少女はサッと安本を避け、
「きゃあ、先生も父さんもなんでパンツ一枚なの!」
と、悲鳴をあげた。
俺が近寄って、
「君たち何をした?」
と、質問すると、少女たちは「えぇ〜」と顔を見合わせる。
「入り口が開いてて」
「開いてたら入りたくなるでしょ」
「で、入ったら出られなくなったんです」
と、少女たちが口々に言う。最後に文香が言った。
「それで私、操縦席? て感じのパネルがあったから、そこに並んでいたボタンを出鱈目に押したんだけど」
俺は彼女たちの後ろの、安本曰く「ダイヤモンドの木」を見つめていた。
「見たことがないものばかりで興奮しちゃった。あれって宇宙船ですよね」
文香はわざわざ俺の真ん前に移動し聞いてきた。
「ね? 管理人さん」
見上げられて目が合う。無視しきれず聞き返した
「なぜ俺に聞く?」
「管理人さんが、私たちをあの船から出してくれたんだよね、父さんは石バカだし先生はカッコつけであてにならないもの」
「本物の宇宙船なら大事件だ」
「溶岩をやっつけて管理人さんにお父さん、先生も助けたのよ。大冒険です」
「……なるほど」
「それにしてもよく場所がわかったわね。昨日の夜お父さんにメールした時、場所までは教えなかったのに」
俺は文香の顔をじっと見つめ、気づいた。ハキハキと言ってくる文香の口元が小刻みに揺れている。表面上は元気そうに見せているが、実際はとんでもなく怖かっただろう。文香も、他の子たちも。
「ん、場所は……日記があったから
と、返事をしかけ俺は(ん?)となった。確か安本に見せた時、自分の娘の日記だと言っていたような。
俺は、ずっとグーの形で握りしめている自分の左手を見た。なぜ握ったままでいたかというと、別荘を出た時持ち出したノートをずっと持っていたからだった。まるでリレーで使うバトンのように、くるくる丸めたノートを広げる。表紙の花柄は砂埃で汚れ、何となくふやけて見える。俺の手汗をたっぷり吸ったせいだろう。中学生というのは多感な時期でしかも女の子というのは清潔さを好んで汚れをゴミ虫の如く嫌うとどこかで聞いた。
(マズイぞ)と俺の頭の中で警笛が鳴った。文香の顔が引き攣って見える……のは、多分気のせいではない。
「安本文香さん」
「何?」
冷たく返事をされ返事され、俺は震えながら彼女に左拳を突き出した。
「これ、返しとく」
「読んだの?」
「読まなかったら、君たちが洞窟にいるとはわからなかったわけで……」
「読んだのね。やだ、エッチ!」
文香は、両目を潤ませたかと思うと俺のことをキッと睨んだ。文香の丸くてぽっちゃりした顔の中でぱっちり開いた目の中二つの瞳の力強く輝く。ダイヤモンドに負けない輝きだ、と見入ってしまいそうになる。
「事実無根だ。エッチって、そんなことは何も」
「女の子の日記を読んだことがエッチなの!」
俺が文香と言い合っていると、急に一気に暗くなった。女の子たちがきゃあきゃあ騒ぎ出す。半田と、安本が再びスマホのライトをつける。周りがなんとか見えるようになり、キョロキョロと辺りを見回していた部員の子が「あ!」と声を上げた。「なくなってるわ」
彼女の指差す方を見れば、確かにそこにあったはずの円筒形の……うーん、面倒だ、この際宇宙船でいいだろう……が跡形もなく消えていた。
「変ね。さっきまでそこにあったのに」
と、文香が首を傾げる。俺は、
「嘘だろ……」
と、一気に力が抜け、ヘナヘナとその場で両膝をついてしまった。パンツ一丁だからゴツゴツした地面に膝が食い込んで痛かった。
思わず涙ぐんで「痛い」と素直に言うと少女たちが「大丈夫?」と聞いてくれる。うぅ、優しい。俺、全身土埃で汚れて、パン一なのに。俺は「旅は道連れ世は情け」という慣用句を頭に思い浮かべる。思い浮かべてつい、ほろりとした。
ほろりついでに告白すると、実は、俺は宇宙人だ。
今よりずっと昔、まだこの島に住む人間がまげを結い着物を着ていた頃、俺は観光目的でこの地球に降り立った。降り立って一番の驚きだったのが俺の母星と同じく、地球は岩盤でできているのに、表面に土や水草木を生やしていることだった。
俺の星は地球でいうダイヤモンドで出来た惑星で(だからもちろん宇宙船もダイヤモンド製だ)、地球のような土や木がない。地球のすべてが珍しかった。俺は時間を忘れ夢中で旅をした。旅は何年も何十年も続き、知らないうちに地上の景色は変わっていった。そして俺自分の宇宙船をどこに置いたかすっかりわからなくなった。十数年前、ようやくこの山のどこかというところまで突き止め、別荘地の管理人をしながら宇宙船を探していた。
文香たちが出鱈目に押したという操作パネル。俺たちを救った破壊光線以外のスイッチも押していたのだろう。たとえば、緊急時、自動で母星に帰還するスイッチだとか。こうして俺の船は時空を圧縮し移動するワープ航法で……。
とにかく。これで俺は自力で故郷に帰る方法を失ったというわけだ。
俺は想像する。
彼女たちが土足で上がり込んだ俺の宇宙船が母星に着く様を。俺の星の奴らは船が無人で帰ってきたことに驚き、船内に誰かいないか調べるだろう。彼らの足元の床にはきっと少女たちの靴底についていたこの山の土が落ちている。土の中には何かの植物の種が混じっているかもしれない。船内に誰もいないことを確認し船から降りた俺の仲間の足裏について土と種は運ばれる。やがて大気中の水分を吸収しタネは芽吹き、俺の故郷の惑星を緑で覆い尽くす。
いや、そんなうまいこといくわけない。地面がダイヤモンドだぞ。万が一植物が芽吹いたとしても枯れるに決まっている。それでも、俺は想像する。
故郷の仲間が土や植物からこの地球を割り出し、迎えに来る未来を。
ーーまぁ、この惑星にいるのも悪くない。そういう気分になってきた……。
期待せずのんびり待つさ。
〈了〉
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