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★小話その3『千春が好きな、カナヘビの話』
俺はバイトまで時間があって、千春は美術教室帰りで、そんな土曜日に、少しだけ会ったとき。
沢塚駅周辺をぶらぶらしていると。
「あっ、カナヘビ……!」
千春が鋭く叫んで、道端の花壇を指した。ちょろちょろと動いたカナヘビは、草花の間に潜り込んで見えなくなる。
「いなくなっちゃった」
残念そうに千春は言った。生き物好きな彼女だ、捕まえたかったのかもしれない。
「小さい頃は捕まえたな、カナヘビ」
「ですよね! 捕まえたくなりますよね! ちなみに、私は捕まえて飼ってました……捕まえまくって母さんに怒られたので、飼ったのは4匹だけですけど」
歩き出しながらカナヘビトークを続ける。また飼いたいなぁ、と千春は道端をチラチラ見つつ言った。
「私も小さかったんで、長生きするようにお世話できなかったんですよねぇ。逃がしちゃった子もいたし……ごめんね、カナちゃん」
千春はしんみりとした顔で空を仰いだが、俺は別のことが気になった。
「『カナちゃん』ってのが、名前か?」
「はい、1匹目のお名前です!」
「……カナヘビらしい名前だな」
これ以上なくカナヘビらしい名前だ。となると、2匹目は……いや、まさか。
「2匹目は?」
「ヘビちゃんです!」
「別の生き物になったな」
「なっちゃいました」
千春は無邪気にニコニコしているから、カナヘビの名前が『ヘビちゃん』でも、不都合はなかったんだろう。むしろ、3匹目の名前が気になってきたな。
「3匹目は?」
「トカゲちゃんです!」
「戻ってきたな」
良かった。だけど4匹の名前、全く予想がつかねぇぞ。
「4匹目は?」
「ムカシちゃんです!」
「また遠くなったな」
ムカシトカゲになったか。あいつらはトカゲだけどトカゲじゃないだろ。
「穂さん、やっぱり生き物にお詳しいですね! ツッコミが秀逸です」
「いや、千春が付けた名前のほうが秀逸だ」
小さい子が付ける名前としてはずいぶんレベルが高い。俺なら『カナちゃん』しか思いつかねぇもんな。さすが千春だ。
「また、カナヘビは飼ってみたい?」
「はい、社会人になったら飼いたいですね!」
「名前は?」
次の名前はなんだ……? やっぱ『コモドちゃん』と『ドラゴンちゃん』か?
千春は顎に人差し指を当てて考えていたが、やがてポンと手を打った。
「木島家の『こじまちゃん』!」
……千春は、俺の予想なんか軽々と飛び越えるよな。すげぇ。だけど千春は、すぐに「うぅん、でも」と首を振った。
「動物病院ではややこしいですよねぇ。『木島こじまちゃん』ですもんね」
「……『おおじまちゃん』にするとか?」
「えっ、穂さん天才ですか? じゃあ、『木島おおじまちゃん』と『木島しましまちゃん』ですね!」
『木島なかじまちゃん』はどこに行っちまったんだろう、とか、ペアで買うことは決定なんだな、とかツッコミどころはあったが。
独特の名前のカナヘビに囲まれた千春を想像する……その光景はなんだか幸せそうだな。ほんわかした光景だ。
「天才なのは、千春のほうだ」
彼女の頭をそっと撫でて、俺は少しだけ、笑ったのだった。
★小話その3【おわり】
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