9人が本棚に入れています
本棚に追加
/39ページ
「穂さん、ボーっとしてどうしました?」
「千春の話術はすげぇから、通報されてもいけるかなって」
「なんで通報が出てくるのかわかりませんが、お褒めいただき光栄です!」
顔を輝かせる千春と一緒に、歩き出す。
用事がない日はなるべく、塾帰りの千春とコンビニで待ち合わせて、彼女を家まで送ることにしている。
千春の家は、沢塚駅から徒歩10分。
たった10分だけど、大切な10分だ。
まだ付き合い初めて一か月だけど、この10分のおかげで、千春も俺に緊張しなくなってきた。「そういえば」と、千春は元気に話し出す。
「お腹の虫があんなに元気だなんて、びっくり! 穂さんが行った定食屋さんって、人気のとこなんです?」
「安いから、いつも混んでる。それに米の大盛り無料だし、全体的に味付け濃いめで美味い」
「うわー、美味しそう! ザ・学生向けって感じのお店ですね……あ、どうしよ、またお腹が鳴っちゃう!」
千春が深刻な表情で腹を抑えた。そして鼻をスン、と鳴らしてびっくりした顔をする。
「ちょっと待って。どこかから生姜焼きの匂いがします!? なんてタイミング!」
確かに、近くの家から生姜焼きの匂いが漂っている。俺も腹が鳴っちまいそうなくらい、いい匂いだ。
「別に、腹が鳴ったって気にしねぇぞ」
まだ千春は腹を抑えている。そもそも、腹を抑えたら鳴らなくなるもんなのか?
「私が気にするんです。うーん、でも……ずっとお腹を抑えていたら、穂さんと手を繋げませんね」
千春の左手が俺にそろそろ伸びてくる。遠慮がちに空をさ迷う彼女の手を、掴む。千春はあんまり、体温が高くない。四月の夜と同じだけ冷たくて、しっとりした手だ。
「察してくれてありがとうございます」
俺を見上げた千春は、街灯の光でわかるくらいに頬を赤く染めている。手を繋げて嬉しくてたまらない、みたいな表情。
「あからさまだったからな」
「そのお答えも100点満点中100点ですが、『俺も手を繋ぎたかった』って言ってくれると点数が上がりますよ」
「俺も手を繋ぎたかった」
「パーフェクト! 100点満点中、300点になりました!!」
「採点が甘すぎる」
風が強く吹いて、雲が千切れた。深い藍色の空に、ぽつぽつと星が瞬く。駅から離れれば離れるだけ、道路も静かで夜空も澄む。
なのに、もう千春の家が見えてきた。
最初のコメントを投稿しよう!