第23話 愛されるべき人

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第23話 愛されるべき人

「アーガイム様の憤死が確認されました」  そう報告が入ってきたのは、翌日の朝のことだ。  深夜を通して四大神殿が主力となる部隊を投入した、スカーレットハンズの掃討戦。   まずは学院を含む北部地域一帯の制圧を目指して行われた一大作戦はある意味で成功し、ある意味で手痛いしくじりを見せていた。 「憤死? 怒りのあまり死んだってこと? どうして死ぬほどの怒りに襲われたのかしら。面白いわね」 「スカーレットハンズは殿下を置き去りに――罠を仕掛けて裏切ったことに対して、怒り失望して自死した、と報告にはあります。哀れですね」 「そうかしら? ニーシャ様や他の令嬢たちを思うがままに利用して、捨てて、婚約破棄して。王家だけでなく貴族たちや学院にも迷惑かけて。どうして被害者でいられのるかしら。あと、成果はあまり上がっていないようね」 「はい、聖女様。今回、魔窟を浄化することには成功しましたが――敵の首魁は取り逃がしました」 「首魁? ただの地区担当者ではなくて?」 「各神殿ではバッカニア、と呼ばれている男をスカーレットハンズの中枢に関わる人物だと重要視しております」  我が神殿でも、と報告してきた巫女姫の一人は言いたかったのだろう。  しかし、エレンシアは左右に首を振りそれを否定する。  あれは小物よ、と言いたそうな顔を見て巫女姫は押し黙ってしまった。 「腐蝕の盗賊団……マルデレーネだったかしら。彼女の率いる部隊は、バッカニアを二度、殺したそうじゃない。だけど、連中が王都から北へと向かい開いた魔導航路を潜る時、その姿が確認されたとか」 「姿ではなく、個別も魔素反応があった模様です」    と、巫女姫は言い直す。魔素反応は個々人の魔力によってことなるもので、その反応パターンを特定し登録しておくと金庫や重要な文書などにかけられた鍵を開ける個人認証にも使われたりすることで、知られている。  今回、各神殿はスカーレットハンズのメンバーと思しき人物を40人ほど特定し、その魔素反応も割り出していたのだ。  それにより、バッカニアの反応も観測されたのだった。 「でも、逃がしてしまった。四大神殿の足並みが揃わなかったことも大きな敗因ね。でも、魔窟を浄化できたのは良かった……後の管理を腐蝕の盗賊団がおこなうっていうのは、あまり面白い結末ではないけれど」 「‥‥‥殿下が無くなられたのに、悲しまれないのですね」 「悲しむ? これだけ大きな問題を不祥事を起こしておいて、生きながられようとする王族がいたら、恥さらしでしかないじゃない」 「聖女様、それはおっしゃる通りですが――王太子妃様の死産と死亡、ニーシャ殿下の衰弱死、アーガイム殿下は怒りのあまり失望し、憤死したと報告されています」  女神メジェトは多くの犠牲を求め過ぎではないのか、と巫女姫は言いたいようだった。  いいじゃないの、とエレンシアはそれぞれの死因に興味がない、と鼻で笑ってしまう。  みんな誰かに利用され、誰かを利用した。  自分たちだけに都合よく生きた結果が、今なのだ。  ならば仕方ないではないか――女神が微笑まなかったとしても。 「いいこと? 彼らは好きにやり過ぎたの。結果として多くの犠牲者を孕んだわ。学院では違法霊薬のせいで精神や肉体を病んだ者たちがいた。王宮では国王陛下が貴族連盟により退位を迫られる事態にもなった。我が神殿も都合よく利用されそうになった。女神メジェトは特定の者に肩入れはしない」 「では、誰が死んでも慈悲などは与えられないと――!?」  聖女の側で秘書のようなことをしたり、分神殿の運営をおこなったりする女性を巫女姫という。  この巫女姫はまだ若く、いまの役職になりたてで、分別を知らないようだった。  エレンシアは言い含めるように伝えた。 「慈悲はあったわよ? 千人近くいる王立学院の生徒や関係者を、すべて浄化したじゃない。ほぼ、あの子の成果だけれども」 「オランジーナ……」  巫女姫は、巫女姫見習いであるオランジーナの聖鎚に目をやる。  階級が下のオランジーナはエレンシアの執務机の横に設置された簡易机に座り、ぺったんぺったんと印を書類に押しているところだった。  え、わたし? と顔をあげる彼女は話を聞いていなかったようだった。 「あなたよりも格下なのに、千人を浄化したの。もう見習いから巫女姫に昇進させてもいいかもしれない」 「え、本当ですか!?」  オランジーナがガタっと椅子を引いて立ち上がる。  巫女姫はぐっと顔を歪めて、相応しくないといった顔をした。  その横顔をどこかで見たような気がして、エレンシアは「ああ……」と察してしまう。 「あなた、アーガイム様の治療を受け持った一人だったわね。そう、心を許してしまったのね」 「いえ、いいえ! そんなことは――違います、聖女様!」    持っていた書類の束を取り落とし、狼狽した彼女は壁まであとずさりどんっと背をぶつけてしまう。  大勢の女性を虜にした貴公子からしてみたら、世間知らずの女ばかりが集まるこの神殿で。  男性とろくに接したこともない巫女姫の一人を取り込むことくらい、容易いことだったろう。 「最後にロクでもない土産だけ残していくのだから……。あなた、明日から地方に行きなさい。南の分神殿がいいわ」 「ひっ、そんな……」  連れて行きなさい、とエレンシアが言うと騎士たちが巫女姫を引っ張って退室させる。  王太子妃の二の舞にならないように、と命じられ他の巫女姫たちが頭を下げた。  もし、妊娠しているなどの事実が発覚すれば、あの巫女姫は秘密裏に処分されることだろ。 「おーこわ……」とオランジーナはすべてを察して、エレンシアに向かいべーっと舌を出す。 「なにかしら?」 「いえ、べっつにー……昇進、ありなんですか?」 「好きにしたらいいわ。もうそろそろ、暗部との兼任もまとめようと思っていたの」 「‥‥‥、といいますと?」  オランジーナはもう五年ほどエレンシアの秘書を務めている。  と、いうか雑用係として耐え抜き、彼女ほどエレンシアの無茶ぶりに耐えられる逸材はいない、と一部では噂されるほどだ。  執務室の壁に居並ぶ数人の巫女姫たちは、次は自分の身かといまよりさらに激務に晒される未来に身を竦める。   「リンドネルを騎士長から、団長にしようと思うの」 「えっ」 「黒騎士団。騎士長はもう数人いるから、そのまとめ役に、ね。で、あなたは彼とわたくしをつないでもらいたいの。今よりさらに堅固に」 「が、頑張ります! 励みます!」 「じゃあ、いまから巫女姫だから。辞令はあとから回しておくわ。わたくしの分の書類もよろしくね、昇進したんだから、仕事が増えるのは当たり前でしょ?」 「はああああっ!?」  エレンシアは執務机から立つと、巫女姫と騎士たちを従え部屋を出ていく。  パタン、と閉じた扉に向かい、オランジーナは「聖女様の極悪人――っ!」と悲鳴を上げていた。  廊下に響いたその怒声を耳にしながら、「やりすぎでは?」と古参の巫女姫の注意を受けエレンシアは「いいのよ。あれでもまだ余力あるんだから」と笑って受け流す。 「しかし、聖女様。オランジーナはもう10年も巫女見習いを……」 「大丈夫。今だけよ。明日からは独立した部署で励んでもらうから」 「そうですか、ならば宜しいのですが」  オランジーナは騎士団団長となったリンドネルの秘書官として、対外交渉などを請け負うことになるだろう。  彼女は優秀な巫女姫になる――次期、聖女を目指せるくらい。  エレンシアは窓に映った夜の星々を見上げた。  女神が託した聖具の能力を自在に操り、わずか数週間で千人に至る人々に奇跡の神聖魔法を発動させ成功させる巫女見習い。  オランジーナがとんでもない才能の塊であることを知る人はまだ少ない。   だからこそ、いまは育てなければならなかった。  女神が帰還したそのとき。  新たなる旗手として、四大神殿の政治闘争がひしめくこの王都で、メジェト神殿を導けるようにオランジーナを教育しなくては――。 「いつ戻るの、メジェト。あなたから託された力は――」  わたくしが女神からあずかった聖なる力、聖女の魔力は今回の奇跡の連発でそろそろ尽きようとしている。  次、同じ規模の大災害などが起こればもう、奇跡は起こせないだろう。  そして、スカーレットハンズの逆襲は近い――。  自分はもう限界だ、エレンシアは最近、なんどもそう思うようになっていた。  廊下を歩きながら、古参の巫女姫はあらたな話題を持ち出す。  それは、リンドネルとオランジーナとともに魔窟浄化戦に参加した天才魔女ナウシカの扱いだった。 「あの子を、暗部に加入させるのはまだ早いかと」 「でも、闇の衣で暗殺を請け負う武装巫女のなかには、10歳から任務を担う者がいると聞いているわ。あいにくと、あそこはこのメジェト神殿の管轄であるようで、そうでないところだけれど」 「武装巫女は奴隷から暗殺者へと育てられるのです。しかし、ナウシカは才能を認められて学院から神殿大学に飛び級ではいってきた天才。一緒にするには問題があるかと」 「‥‥‥才能がある者は、いつかその身を利用されるときがくる。あの子はまず、自分の身を守る術を身に付けなくてはなりません。魔法の才があれば、王家は宮廷魔導師として登用し、軍属とするでしょう。エルムド帝国との戦いは魔法戦が主流」 「はい。もし軍属となれば殺戮兵器へと身を投じることに――」 「だから、いいのよ。この神殿で戦い方、世俗の生き方を学べば、ね」  リンドネルやオランジーナとは仲良くやっているみたいだし、とエレンシアは言葉を続ける。  魔獣討伐だけに任務を絞れば、ナウシカの負担は少なくなるはずだ。  だけど……、とエレンシアは首を傾げる。 「あの子、女神様の加護もなしに神聖魔法だの、星路を開いたりだの……才能だけでは成し遂げられないことをやってないかしら?」 「だからこそ、天才ではないのですか! かつての大魔導師シルド公に匹敵する才能やもしれません!」 「うーん……」  まさか、女神メジェト神殿に属する魔法使いに、他の神殿の女神たちが力を貸すとも思えない。  星路は自分が補助して成立したし、魔法に愛されているなら、他の神々が気まぐれに力を貸すことはあるかも――。  気まぐれ、か。そう思い、エレンシアは偶然だよね、と忘れることにした。 「あーあ。あんなこと言ってるよ?」  女神メジェト神殿きっての才媛、魔女ナウシカは遠く離れた神殿の片隅で交わされた会話を魔法で集約し、内容に聞き入っていた。  才能を褒められるのは嬉しいが、危険にさらされるのはあまり嬉しくない。   「まだ若いし、怪我したくないんだけどね……ボク。ねえ、君もそう思わない?」  ナウシカの座るベッドの上には、一人の少女が浮かんでいる。  透き通った外見は幻を投影したようで、ナウシカが手を出しても触れることはかなわない。  でも、会話はできるようだった。 『エレンシアにはまだ言えないわ』 「えー、君が選んだ聖女だよ? 恋人を求めてこの世界を捨てた君に代わって、10年以上も神殿と王国を守ってきたのに。可哀想だよ」 『だって』 「だって、なに?」  少女はエレンシアと同じような赤髪に翡翠の瞳をしている。対してナウシカは金髪に碧眼だ。  しかし、ここにエレンシアがいて三人が並べば、とある共通事項に人は気づくだろう。   『あなたとエレンシアの瞳は同じ。私ともよく似ている。それは聖女の資格ともいっていい』 「ボクのこの瞳は生まれつきなんだけどね」  そう言うと、少女はふいっと視線をそらしてしまい窓の外をじいっと見やる。  そこには赤い月が煌々と夜空に輝いていた。 『……エレンシアは私がいなくても聖女の能力が涸渇することはなかった。そうしてしまったのは彼女よ』 「例えば、子供を産んだから聖女の資格を失って、世界とつながる器ではなくなってしまったから――とか?」 『……否定はしないわ』 「そう。ふーん……でも、ボクはその器を持っている。お陰様で」 『次代の聖女はあなたでもいい』 「なら、さ」  ナウシカは少女に詰め寄り、額がくっつくほどの距離でそっとささやく。 『なに?』 「君が帰還したことを話すべきだよ、お母様に。でないと、ボクはその任命を受けられない。でしょ? 話してきなよ、エレンシア様に。当代の聖女はお母様だから」 『……もう少しだけ待って。まだ時期じゃないの』 「どれくらい?」 『あと――二ヶ月』  二ヶ月かあ、とナウシカはふむむむっと難しい顔をする。  暗部に加入することが正式に決まったら、聖女に任命されたりするといろいろと任務が増えて面倒くさいことになるからだ。 「なるべく早くしてね。ボクは魔法が好きなだけだから。聖女になりたいわけじゃない――ね、メジェト」 『うん』  ベッドに浮かんだ少女……女神メジェトは感情の抑揚が見れない顔で、そっとうなづいた。
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