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第7話 王宮からの使者
「国王陛下からの御使者様が来られている? どうして我が神殿なんかに? 第二王子の婚約の成約式までまだ時間があるでしょ!」
女神メジェトの神殿は、今日も大忙しだ。
結婚式の申し込みや、婚約破棄、離婚調停、浮気の調停だのと、恋愛にまつわるめでたいものとそうでない訴訟の案件が書かれた書類で山積みとなった執務室で、聖女エレンシアは怒鳴るように叫んだ。
「ですが、王様の御使者を待たせたとあっては、神殿の沽券にかかわります」
巫女見習いオランジーナが、それは難しいですと眉根を寄せる。
王家の使いを追い返したとあっては、後から大神官におしかりを受けるからだ。
神殿では聖女がトップで、大神官は二番手だからエレンシアに対する不満は、いつも側近のオランジーナに飛んで行く。
とばっちりを受けたくないオランジーナは、いやいや、と小さく顔を左右にする。
「そんなものどうでもいいわ。体面だけ取り繕っても、どうせすぐに化けの皮がはがれるんだから。うちは忙しいの、王族の相手している暇はないの! 予約して出直して来いって追い返しても良いわよ。お前に任せるわ」
「ええっ――! 大神官様におしかりを受けるのはオランジーナではないですか!」
「だって、忙しいだもの。それとも何? 大神官がこの案件をすべて裁いてくれるとでも?」
「いえ……どうでしょう」
聖女エレンシアは日々のストレスで精神的に限界だった。
目元は隈で濃く彩られていて、普段は楚々としている美しい赤髪も、そこかしこで毛先が飛んでいた。
オランジーナは主人の機嫌を損ねないように、頭を低くした。
「本日はあと5件! 離婚の認定が2件、結婚申請が3件あるの! 被告と加害者の事情聴取だって時間がかかるし……」
「どうかお願いいたします!」
「面倒くさいわね……申請に押印しておいて」
「面倒くさいってそんな本音を――うわわっ、こんなに?!」
エレンシアは紙の束を数束、オランジーナに投げてよこした。
1つの束は100枚の申請書でできている。
6束あるそれ全部に印鑑を押していたら、それこそ腱鞘炎になるとまだ年若い巫女見習いは心でぼやいた。
「あーそういえば。その中に、第2王子の婚約申請もあったわね」
「そうです、それ! その件で使者がお越しになられたのです! 婚約を破棄したいと」
「‥‥‥どうして? トロボルノ侯爵令嬢とアーガイム様の婚姻はもう決定事項でしょう」
「いやーどうしてと言われましても。噂をご存知ありません? 学院でアーガイム様がニーシャ様を婚約破棄して、ニーシャ様は消えてしまったとか、死にかけたとか」
「暇なお前と違って、わたくしは寝ていないのよ。睡眠を削って、この案件の山を片付けているの! 巫女見習いのくせに、惰眠ばっかり貪るんだから、オランジーナは!」
「あ、それはその――ええと、どうします? 呼んできましょうか? それとも追い返します?」
「御使者に会うとお伝えなさい。その前に、噂の中身をここで話していきなさい。ああ……また肌が荒れそう。どうせ、ロクでもない内容なのはわかっていますけど!」
オランジーナの報告を受け、エレンシアは被っていた白いベールを両手で抱えた。
「どうしてこんな難問ばっかりこの神殿には……」と悩まし気にため息を吐く。
学院での婚約破棄、殿下の愚行、飛んできた短剣、刺殺されかかったニーシャ殿下、さらに消えてしまった侍女と彼女。
どこをどうとってもスキャンダルの嵐が吹き荒れそうな予感しか生まれない。
「この侍女が怪しいからニーシャ殿下の行方を捜しなさい。婚約破棄するにしても当事者の生死が確認できないと、意味がないわ」
「はっ、かしこまりました―――。で、御使者は?」
「謁見の間は人目につくわね」
「こんなこともあろうかと、第三会議室にお通ししておきました」
えへん、とオランジーナは鼻を鳴らす。
執務室に隣接する第三会議室は数人が入れる程度の広さだが、装飾は豪奢で王宮からの使者を通すには申し分ない威厳を備えていた。
「はいはい。リンドネルは?」
「騎士長はもうすぐこちらにお越しになられるはずです」
「そう。なら宜しい。じゃ、オランジーナ。貴女、そのまま使者の相手をなさい」
「‥‥‥は?」
オランジーナの目が点になる。
ぼとり、と手に抱えた髪の束が床に落ちた。
「ど、どどどどっどうして私なのですか、聖女様が直接お会いになられるのでは?!」
「こんな格好で? 化粧だってまともにしてないのに、人前に出られるわけないじゃない。ちょっとは気を利かせなさい」
「ええっ、さっき事情聴取をするとおっしゃっていたではないですか!」
「あっちは謁見の間で距離があるから、最低限の支度で済むもの」
「なんてものぐさな……」
「どうとでも。だから、距離が近い使者とは会いたくないの。どうせ、無理難題をいわれるに決まっているわ」
侍女は無駄な抵抗だと知りつつも抗ってみる。
エレンシアは使者よりも調停の準備を進める気なのだ。
使者の前にオランジーナが出て行ったとしても、彼等は聖女相手でないと本音を語らないに違いない。
また、大神官様に怒られる、あのじいさん小言がしつこくてうるさいのよね、とオランジーナは心でぼやいた。
でもオランジーナは負けない。
面倒くさいことを回避したがる聖女をうまく誘導するのも、巫女見習いの役割なのだ。
「――……聖女様、第二王子様と王子妃様の恋愛の噂をご存知でしょうか……?」
「なんですって?」
ピクリ、とエレンシアの頬がひくつくように動いた。
聖女が厄介の火種を嗅ぎつけたことをオランジーナは悟り、巫女見習いの制服の下で小さくガッツポーズを決める。
まさかの王太子妃と義理の弟である第二王のスキャンダル。
厄介事を回避したくて仕方ないエレンシアが、これに喰いつかないはずがなかった。
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