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第19話 盗賊のマルデレーネ
リンドネルが向かったのは、古い時代に使われていた軍用エレベーターだ。
今まさにその扉が閉じようという瞬間、彼の頑強な剣先が隙間に滑り込む。
しかし――。
「逃がすか――っ!」
「はっは! 今回はお前らの勝ちにしといてやるよ! 忌まわしい神殿騎士ども!」
ガキッ、と鈍い音を発して挟まったはずの剣先は、なにか固い岩にでもぶつかったかのように弾かれてしまう。
威力は凄まじく、リンドネルが刃先から伝わってきた衝撃で、長剣を落としそうになったほどだ。
「障壁――!? 安全装置か。こんなところで……」
エレベーターの扉が閉まり、響いたその声はバッカニアの咆哮だった。
勝ちを譲ってやる。
部下を捨てても得るべき価値があるものを、黒猫は守り抜いたのだった。
開閉時によけいなものを巻き込み事故を起こさないようにと設計された安全装置が、リンドネルの刃をはじいたのだ。
あと少しなのに、と騎士長は歯噛みする。
降りていくエレベーターの緊急停止ボタンに駆け寄ったオランジーナが装置を作動させようとしたが、こちらは生憎とエレベーターにつながる有線が、鋭利な刃物によって寸断されていた。
「だめ……です!」
「くっそー! ふざけんな! ここまできて逃がしてたまるかよ、ナウシカ!」
リンドネルは倉庫の屋根付近に飛ぶ少女に命令を発した。
だが、戻ってきたのは「星路は光の届く場所に限られております、リンドネル様」と否定的なものだった。
聖女に近い能力を一時的とはいえ手にした存在にも、限界はあるのだ。
ぎりっ、と強く歯噛みしたリンドネルは冷静になろうと、頭に手をやる。
ここで追撃するか? 人数的にはほぼ変わらない。倉庫の外を囲っている他神殿の騎士団に手を借りれば、ニーシャの奪還も可能だろう。
しかし、そのためには一度、他の騎士団と足並みをそろえる必要がある。
時間との勝負になってしまい、結果は見えていた。
「‥‥‥俺を転移魔法で地下に転送しろ。おまえたちは神殿に戻り、待機だ。エレンシア、それでいいですね?」
まだ聖女エレンシアとの回線はつながっている。
自分の独断だけで突き進み、事態が悪化することがないようリンドネルは上司に確認を入れた。
『認めます――と、言いたいところだけれど。あなたも帰還なさい。王都の地下は魔窟だらけ。スカーレットハンズとの追いかけっこには分が悪い』
「しかし!」
苛立ち紛れに騎士長は剣先を床にたたきつけた。
ここで逃がせば、二度とニーシャは戻ってこない。
そんな予感めいた確信があるからだった。
『なりません。それにあちらから補助申請があったら』
「あちら――?」
脳内で共有している会話の行きつく先に、怪訝な顔つきをするリンドネルたち。
あちらとは? と、顔を見合わせるのとそこかしこの倉庫の暗がりから、見覚えのない格好をした連中が湧きあがってきたのは同時だった。
「なっ? ボクの結界を越えて――!?」
外部からの侵入を防ぎ、内部からの逃亡を遮蔽する結界を、彼らややすやすと越えてやってきた。
騎士とは思えない、黒装束。
それだけならスカーレットハンズと変わりないが、こちらはすっぽりと顔を隠し、頭頂部に銀色の輪を模した紋様が描かれている。
お目にかかったことはないが、彼等がどこのだれなのかということにリンドネルはすぐに気づいた。
「腐蝕の……銀鎖の闇……か」
「えっ!? 女神ルーディアの騎士団?」
ナウシカは空から舞い降り、リンドネルにそっと耳打ちする。
「こ、この人たち……魔力のレベルが異様です」
「そうだろうな。腐蝕の盗賊団といえば、構成メンバーはAランクの冒険者ばかりだという。相手が悪いな」
「どうするのですか? 星路はあと少しだけ維持できます」
ひそひそと会話する二人に、頭目と思しき人物が歩み寄ってきて、手をかすかに掲げた。
挨拶なのだろう、とリンドネルは把握する。
「ここからは我らの任務となる。お帰り願おう」
「女?」
かけられた声に三人は意表を突かれる。
腐蝕の盗賊団のトップともなれば、いかつい男を想像してもおかしくない。
しかし、声の感じからして相手はまだ若い女性だった。
「武装巫女のようなものでしょうか?」
「いや、暗殺とはまた違う部署だろう。まあ、巫女という可能性も――」
「まさか同性とはオランジーナ、驚きです」
メジェト側の驚きに、腐蝕の盗賊たちはどこか面白そうな声を出して見せる。
それは侮蔑だったり、嘲笑だったり、揶揄だったりした。
気の早いオランジーナが相手になろうとするが、リンドネルは彼女を控えさせる。
「‥‥‥言われなくても、帰還する。だが、手柄の横取りとは感心せんな?」
「手柄? そんなもの、おまえたちにくれてやる。我らの目的はスカーレットハンズのみ」
「王都の闇に関わる勢力争いなんて、俺たちに興味はないな。目に見えないところでやってくれ」
「毛嫌いも結構だが、ここまで敵を追い詰めていて逃がした責任逃れが見苦しいと思わないないのか? メジェトの神殿は余程、人手不足に見える」
「はあっ? なんですって? 聖鎚のサビになりたいの?」
軽んじられたオランジーナは我慢の限界に達したのだろう、威嚇を込めて聖鎚を振り上げる。
頭目を守ろうと他の団員が前に足を踏み出し、場は一気に険悪なムードへと発展する。
「やめろ、オランジーナ。そちらさんの言うとおりだ。俺たちは任務にしくじった。引き上げるぞ」
「でも――、あんなこと言わせておいていいんですか!? 神殿の沽券にかかわります!」
「そんなもの、助力を請け入れた時点で消え去ってる。どこかに捨てちまえ」
半ばヤケになったように吐き捨てるリンドネルの言動に、オランジーナは唖然となるばかりだ。
自分たちがここまで敵を追い詰めたというのに、その行動は報われないのか、と問いたくなったオランジーナは、信じられないという顔をする。
その頭をくしゃくしゃ、と撫でてやると、彼は頭目に視線を戻した。
「一応、引き継ぐのだから部署と名くらいは交わしておかないか? メジェト神殿の騎士長リンドネルだ」
「‥‥‥銀鎖の闇、第二団長マルデレーネ」
「了解した。あとはよろしく頼む。殿下の救出は絶対だ」
「それは任務の範囲外だ。だが、メジェト神殿の依頼とあらばうけたまわろう」
「王家の命令だ。ルーディア神殿の顔も立つ」
「考えておく……」
意味深な言葉を残して、マルデレーネは踵を返す。
その背に、リンドネルは思い出したかのように声をかけた。
「ここの地下だが、魔導列車が昔は走っていたらしい。追いつけるのか?」
「‥‥‥既に地下にもぐっている。我らに歩めぬ道はない」
そう言い、彼等は一斉に姿を消した。正確にはそれぞれの影に潜ったのだ。
「世界の裏を歩く、か。器用なもんだ」とそれを見てリンドネルは呟く。
壁や大地や結界も、闇のなかに潜れば関係ないという。
向こう側にあるのは別世界だ。この世とは隔離された、しかし、どこかで確実につながる異世界。
転送魔法ですらも移動するときには成功するかどうかひやひやするのに、世界を離れてまた戻るような特殊な魔法なんて関わりたくない、とリンドネルは個人的に思った。
「騎士長! どうするんですか!? このまま見て見ぬふりをしろ、と?」
オランジーナは悔しそうに食って掛かる。
ナウシカもまだ諦めた素振りはなさそうだ。
リンドネルはにやり、と口の端を上げて言う。
「ここまできて諦めがつくかよ。ナウシカ、地下から移動する対象をすべて探知しろ。オランジーナは手伝ってやれ」
「もうできています! 地下に巨大な人工物の反応あり――たぶん、魔導列車かと」
「でも、おかしいよ。ボクの探知だと……まだ動いていない」
「なに?」
どういうことだ、とリンドネルが疑念の声を上げるのと、地下から昇ってきたエレベーターの入り口が開き、人影がこちらに向かって倒れこむのは、ほぼ同時だった。
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