第22話 知恵と罠と功労者

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第22話 知恵と罠と功労者

「はあ……いつ終わるのかしら、これ」  王立学院。  その大講堂に集められた生徒たちを前にして、巫女見習いオランジーナは、銀色の聖鎚を振りかぶる。  身長の低い彼女は用意された台の上に立ち、ずらりと並んだ数百人の生徒たちを見下ろしていた。  左右に三人で一列。  男女混合で並んだ生徒たちの頭の上に、身の丈ほどはあろうかという大きな銀の槌を振り下ろす。  それにポカンっと叩かれた生徒たちは各々、軽く悲鳴を上げた。 「わっ」 「ひっ――」 「あれ……っ?」  痛くない! と声が唱和する。  聖鎚は布でできたハンマーのように軽い感触で、撃たれた者に痛みをまったく与えなかった。  それどころか、顔色が悪かった生徒や、体調が優れなかった生徒、怪我をしている生徒や果てには視力、聴力、馬ついての疾患がある生徒まで、撃たれる前後でその表情を変えていた。  聖鎚のもたらす聖なる効果は、人が生まれつき備えて生まれてきた能力を、最大限活かす形で効果を発揮したのだ。  歩けなかった者、片方の手が動かない者、喋れなかった者などが舞い降りた奇跡に、有り得ないことが起こったのだと膝を折り、女神メジェトに最大限の感謝を示す。  祈りを捧げる生徒が絶えない中、オランジーナは「これこそ奇跡の押し売りですよ」とぼやいていた。  数時間が経過し、1年から8年まである学年のうち、6年生まで聖鎚によって違法霊薬の効果を打ち消すという作業を終えた巫女見習いは、「あーあ、疲れた……」と聖鎚を肩に担いで台を降りる。  学年はあと2学年あって、ここ三日間というもの人の頭を叩いては治すという作業に従事していたせいで、背中が強張ってしまい、肩が張って痛みが取れない。   「まだ明日もあるのですか……いつ終わるんだろう、これ。あたし、本職の治癒師じゃないんだけどなあ」  大講堂を出ると、外はもう夕方だった。  春から初夏に変わろうとしているこの時期は陽が長く、夜はなかなかやってこない。  暗部と聖女の秘書を兼任しているオランジーナの自由時間は夜にしかなくて、それはあまり長いものではない。  今夜は神殿のお風呂にゆっくりと浸かって、疲れを癒さないとなどと考えながら学院の門をくぐる。  守衛が「お疲れ様でした、巫女様!」と気遣ってくれるが、あいにくと自分はその一歩手前なんですよ、とぼやきたくなるのを抑えて、「どうも」とだけ返事をし、帰路につく。 「あ‥‥‥リンドネル様」 「よっ。まあ、乗れ」  すると、見慣れた馬車が目の前に停まったので思わず声が出た。  それは神殿騎士が使う馬車だった。  窓から騎士長リンドネルが顔を出し手招きする。      ――巫女見習いと騎士長の秘められた恋、とか思われたりしません……かね?  最近、恋愛小説にはまっているオランジーナはそんなことを考えて、周囲を見渡してしまう。  しかし、生徒のほとんどは下校したり寮に戻っていて周りには誰もいない。  残念、無理か。  心で呟くとオランジーナはその招きに応じ、馬車に上がった。 「――? どうした、なにか気にかかることでも?」 「いえ……特に、なにも。それよりどうされたんですか、騎士長みずからお越しになるなんて」  暗部の黒騎士団の任務か、と当たりをつけ今夜は休めないかー、と明日の重労働を思って心がずん、と重くなる。  両肩がさらに凝って、余計な重荷が増えた気がした。  聖鎚を耳飾りサイズに縮めたまあ、手癖のように左耳をいじってしまう。  ストレスを感じたときにやる仕草だと気づいているがやめられない自分を駄目だなあ、と感じながらリンドネルの返事を待つ。  騎士長は「それがなあ」とどこか難しそうな顔をして言葉を続けた。 「ニーシャ様の容態があまりよろしくない」 「あれ? 自害されたのでは?」 「あれは見せかけだ」 「はあ!?」  オランジーナは意表を突かれて思わず声を荒げてしまう。  見せかけ? それはどういう意味だ。とリンドネルに詰め寄って問い詰めたくなった。  あの日。  二週間前のあのとき。  自害したニーシャは血まみれの床に倒れていて、その胸には毒が塗られた短剣が深々と突き刺さっていた。  かけつけたオランジーナと他の巫女姫たちは、確かにニーシャの死を見届けたのだ。  あのとき、聖鎚で治癒しようとしても蘇生はならなかった。  それはつまり――女神女メジェトがニーシャの復活を許可しなかったことに他ならない。  なのに……容態がよろしくないとは、どういう意味だ。  巫女見習いは、どういうことですか、とリンドネルに膝先を詰める。  彼は渋い顔をして「‥‥‥すまん、聖女様の命令なんだ」と言い訳する。  エレンシアの計らいと聞いて、オランジーナはそれ以上、暗部の上司を責められなくなってしまった。 「では――ニーシャ殿下は生きていらして、いまも療養中だ、と。そういうことですか」 「まあ、そういうことになるな。あの短剣は突いても害がないものだった」 「理解に苦しむのですが。確かに大量の血が出ていました。この目で確認したのです。脈も心臓の鼓動も止まっていましたよ」 「あれは簡単な仕掛けだ。剣先が肌に触れると仕込まれていた血液が流れ出る。剣先から柄本までには簡単な空間魔法がかかっていて、作動するとまるで肉体の中にめり込んだように見える。手品師がよくやるやり方だ」 「そんな簡単なものに引っかかったのですか、信じられない」 「空間魔法には察知されないように遮蔽スキルが働いていたし、ニーシャ様は事前に薬を飲まれていた。死んだように見せかけるためのものだ」 「では――、では……アーガイム様はどうなされたのですか。室内からは煙にでもなったかのように消えてしまっていました。しかし、神殿には女神の結界があります。抜け出ることはほぼ、不可能でしょう」  オランジーナはエレンシアがなにをしたかったのか理解に苦しむ、と厳しい視線を向ける。  リンドネルはまあ怒るな、となだめるのだった。 「機密事項だ。神殿の結界にも抜け道はある」 「まさか! 特級機密ですよ!?」  本当だ、と騎士長はうなずいた。  女神だけでなく神の結界にも問題があるのだ。  そうでなければ、魔窟から魔獣が地上に抜け出てくる現実が非現実になる。  スカーレットハンズは結界にあるかすかな綻びや歪みを利用して、地下から魔物を地上へと召喚し世間をさわがせていたのだった。  リンドネルは敵の手の内を知るために必要だった、と言う。  神殿に近づいた馬車の中でオランジーナの顔には疑問符が浮かんでいた。 「どうして、わざわざ敵を内部に招くような真似を?」 「1つはスカーレットハンズがどうやって結界の歪みを利用し、活用しているか。これを実証するためだ。もう1つはニーシャ様を抱き込み、アーガイム様を敵に渡すことだ」 「どうしてそんなややこしいことをする必要が? アーガイム様はあのまま放置しておいても王室から断罪されたはずです!」 「第一王子である王太子イズマイア様と国王陛下、王太子妃様の実家はただの断罪では面白くない、とお考えだ。つまり、スカーレットハンズにみずから加担し、王室転覆をはかったとなれば、国民も外国への面目も立つ」 「面目? 自分の妻を寝取られた男のつまらないプライドの問題ではないのですか?」  男ってこれだから、とオランジーナはぼやく。  そんな彼女に恋愛対象はいない。リンドネルは同じ男として言い返す言葉に窮した。 「王族から離反者を出した、となれば対外的に聞こえが悪い。だが、そう見せかけて王国の敵を暴き出し内部から壊滅へと導いた功労者、となれば評価は違ってくる」 「ああ、なるほど。救国の英雄にしたいわけですね。なんて打算的な男達。まあ、これでうまく敵に食い込めた、といったところでしょうか……愚かしい限りですね」  呆れ混じりに、オランジーナは目の前に座るリンドネルに向く。  彼はこれから戦いに赴く、といったようないでたちはしていない。  どこで武器や防具などを調達するのだろう、と考えていたら今夜やることはオランジーナの想像とちょっと異なっていた。 「今夜から『闇の衣』と俺たち黒騎士団は共同作戦を敢行する」 「げっ……。暗殺者と同類にされるのはちょっと」 「安心しろ、敵を襲撃するのはあっち。こっちは結界の補強と修繕作業だ」 「オランジーナはここ三日間、ずっと聖鎚を振るって疲労こんぱいなのですが。過労死させる気ですか……なんてブラック職場」 「霊薬がある。なんならその聖鎚で自分を打て。そうすれば体力は問題ないだろ」 「精神的に疲労こんぱいなんですよ。鬱病になりそう」 「おまえみたいな気楽なやつが、どこで鬱病になるんだよ」 「オランジーナにだって、ストレス発散は重要なんです!」  能天気なくせにと言われ、オランジーナは唇を尖らせる。  ストレス発散。どうしたらできるのだろう。  そういえばニーシャ様の侍女、アイネには先週からとある騎士が側にいるようになった。  元アーガイムの部下で、いまは王国騎士をしているのだ、という。  若いながら全身全霊をかけて愛する女性に尽くしているその姿は、恋愛に飢えている神殿の巫女見習いのみならず、巫女姫、武装巫女から女性官吏にいたるまで羨ましがらせるものだった。  あんな相手がいればあたしだって……とそんな思いに至り、オランジーナはリンドネルをじっと見やる。  騎士長リンドネルは36歳で独身。結婚歴もなく恋人もいない。  16歳のオランジーナからしたら倍以上の時間を生きてきた大人の男性だ。  そして、戦いの場で背中を預けられる信頼できる仲間でもある。 「どうした?」 「いや、べつに」  そういえば、ナウシカが彼のことを慕っていたのだった、とオランジーナは思い出す。  あたしにとって唯一無二のかけがえない男性。  失いたくない相手。それって……もしかして? とこれまで気になっていたものの、認めようとしてこなかった自分の隠された感情に気づいてしまう。  そうか。好きってこういうことなのか。  好き。愛。愛しい人。  理解してしまったら、上気してしまい顔が熱くなるのが自分でもわかる。  いま見つめられたら、頬が赤く染まっているのに気づかれてしまうかもしれない。 「大丈夫か? そんなに任務が辛いなら、別の人員を――」 「いえ、いいいっ、いえ。大丈夫です! 今夜、やりましょう。ええ、やりましょう……大丈夫だから――リンドネル……様」 「そうか。ならいいが」  馬車が南に向いていて、夕焼けが車内に大量に注ぎ込まれていた。  淡い恋心を相手に気づかれないで良かった、とオランジーナは頬を緩める。  この夜の彼との共同作業で、気恥ずかしさに飲まれてしまい、オランジーナは終始無言を貫いてしまった。  彼女の機嫌が悪いことに理解が及ばないリンドネルは、ずっと相棒を気遣っていた。
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