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第2話 最初の男性
アーガイムが自分の部屋を訪れてから、2週間。
あれから彼はほとんど連絡を寄越さない。
代わりとして手紙が寄せられた。
内容は違法霊薬をもっと送れ、というものだった。
「アーガイム様は霊薬に魅入られてしまっているのではないのでしょうか?」
侍女のメアリが不安そうに言う。
メアリは同年代の少女で、幼いころから姉妹同然に育った仲だ。
フォント王立学院のなかで違法霊薬を販売するのはもちろん犯罪行為で、そうと知りながら主人である自分に忠実に仕えてくれている彼女のことを、ニーシャはいつも頼もしく感じていた。
メアリの不安は自分の不安でもある。
長く付き添っているからこそ共感できる部分でもあった。
「大丈夫よ。アーガイムは、殿下は優秀な方だもの。我が身を貶めるような真似はされないと思うわ」
「そうだとよろしいのですが。最近、学院に通う他の貴族の使用人たちの間でも、殿下に対するあまり良い噂は聞きません」
常に王族第一という視点に立ち、他の貴族は人間でないような発言をする。
さらに下の立場のものには暴言を吐くことがあるし、気に食わなければ他人の従者であっても鞭打ちにしたりする。
部下を痛めつけられて主人である令息や令嬢たちは反感を覚えても、王族である彼に逆らうことはできない。
みんな恐れているのだ、下手をすれば不敬罪で家ごと取り潰しになってしまうことを。
「学年が1学年違うから同じ教室にいるというわけにもいかないし、私がその場にいれば止めるのだけれども」
「お嬢様の優しさはみんなが知っています。ですからこういったものの販売も……」
例のポーションが入っている小瓶を手にしてメアリは心配そうにつぶやき顔を曇らせた。
主人の心配をしてくれているのだと、ニーシャは理解する。
違法霊薬の販売は禁じられている。
もし、学院の警備部や王国の司法機関である王国騎士などに知られてしまえば、いかに侯爵令嬢といってもただでは済まない。
ニーシャは生涯幽閉になるだろうし、貴族連盟議会の議会長を務めている父親はその地位を追われることだろう。
そばに長く勤めているメアリは、さらにひどい目に遭うことになる。
下手をすれば極刑を申し付けられる可能性が高い。
もしメアリが裏切れば、ニーシャはおしまいだ。
「あなたこそ我慢できなくなったのならいつでも出て行って構わないのよ? 私のそばにいて手を犯罪で染めることもないわ」
「我が家は祖母の代から侯爵家に勤めておりますから。わたしが出て行ってしまったら、なくなった両親や祖父母に顔向けできません」
「忠誠に感謝します。でももしものことが起こったら、必ず逃げるのよ。これは私が好きでやっていることなのだから」
「どうしてこんなことになってしまったんでしょうね……」
さらに顔を曇らせてメアリが悲しげにぼやいた。
最初の違法霊薬との出逢いはあっけないものだった。
二年前、まだ14歳だったころ。
王都の一角で、上級生だった貴族令嬢が主催するお茶会に参加したニーシャは、帰りが夜遅くなってしまったということもあり、辻馬車を止めようとして手間取るメアリとともに、王都の貧民街近くをさまよっていた。
煌々とあかりの灯る一角を目指せば、そこは王立学院や高級ホテルギャザリックが建つ一等地だ。
あと1本橋を越えれば安全な場所にたどり着ける。
そう思って油断したのが間違いだった。
「あれ? ニーシャ様じゃないか。送って行きましょう」
連れ立って歩いていると後ろからやってきた馬車から声がかけられる。
それは当時、生徒会長を務めていたとある伯爵家の息子だった。
彼の好意を素直に受けたのが問題だったのだろう。
広い馬車の中には他にも顔見知りの上級生や同級生たちが六人ほどもいて、みんなが手にしていたのが違法霊薬の小瓶。
「これを飲むと幸せな気分になれるんだ。怪しい薬じゃない、君も試してみるといい。とても素晴らしい体験ができるよ」
「これは一体なんなのですか?」
「まあなんというか。聖水よりもほんの少し効力の薄い霊薬と言ったところだろうか」
「霊薬……。それならば安全ですね」
季節は冬で寒さに凍えた肌を温めたい。
霊薬にはさまざまな効能があり、冷え切った肉体に熱を灯すことにも役立つ。
生半可な知識は時として恐ろしい。
霊薬という一言にあっさりと騙されてしまった2人は、小瓶を飲み干した途端、意識を失った。
気がつけばどこの誰とも知らない相手と、ベッドの中で口には出せない恥ずかしい行為を行っていた。
部屋にはいくつもベッドがあり、隣のベッドではメアリが。
隣のベッドでは伯爵家の息子が、同級生の令嬢と交わっていた。
行為が終わり、二人だけになった後、彼は楽しそうに提案をしてきた。
力を合わせて違法霊薬を学院で売ろう、そんな提案だった。
「君もこれで僕たちの仲間だ。素晴らしい薬だろう? 学院にこれを広めるんだ、君は侯爵令嬢だから大勢の生徒たちは疑いを持つことなく、黙って購入してくれる。買ってしまったらもう引けなくなる。君はこれを売って、大金を手にするんだ。僕がそうしたようにね」
「大金……!? こんないやらしい真似をさせておいて、よくも――!」
ニーシャの得意な魔法は炎系の攻撃魔法。
狭い部屋の中でそんなものを炸裂させたらメアリにも被害が及ぶという考えに至る前に行動してしまう。
だが、普通ならこんな近距離で防がれるはずのない攻撃魔法は、伯爵令息によってあっさりと消滅してしまった。
「嘘――っ! 私の攻撃を……防ぐなんて」
「僕は霊薬を飲んで魔力が高まっている。それは君も同じだ。だけど君はその扱い方はまだ知らない。慣れてないからね、仕方ない。これを使えば君の望みだって叶うかもしれない」
どくんっ、と心臓が跳ねた。
自分の心の底に蓋をしてずっとしまい込んでいた秘密が暴かれたような、そんな感覚。
「何を言って……」
「さっき聞こえたよ。王族になりたいんだって? 君のお父様は貴族連盟議会の議長をされている、君は生まれながらにして王族の婚約者だ。その後押しが欲しいんだろ? 第2王子には他にも婚約者がいる」
「‥‥‥殿下のことは我が家とも、私とも関係ございません」
「嘘をつくなって。アーガイムの婚約者は全部で6人。君はまだそのうちの1人に過ぎない。だがこれがあれば――彼の心を独占することができる。王族にかもしれない」
「彼の……心?」
そうだ、と伯爵令息はうなずいた。
彼には秘策があったのだ。
「殿下は既にこの薬を試していらっしゃる。もっと欲しいとおっしゃられるが、僕から販売したのでは色々と角が立つ。僕はこれから隣の帝国に留学して貴族議員を継承しないといけないからね、今変な噂が立つのは困るんだ」
「だから――、だから私を巻き込んだということですか! なんて非道な人……」
唾棄するようにニーシャは言ってのけた。
ちょっと前まで着ていたドレスの代わりに、今では下着姿だ。
バスローブを羽織っているものの、人前に出るような姿ではない。
対して伯爵令息は学院の制服に着替えていて、乱れた髪すらも整っている。
自分と彼の外見の差に、ニーシャは激しく屈辱と恥ずかしさを覚えた。
「嫌ならこのまま帰ってもらってもいいんだよ。素晴らしい噂が広まるだろうね」
「あなたは本当に最低な――」
「いやいやいやいや、それは違うよ、誤解だ。君には素晴らしいプレゼントがもう一つある。あの扉の向こうはさっきまで僕たちが交わっていたベッドがたくさんある部屋だ。君が寝ていたベッドに戻ってみるといい。そこに誰がいるかを知れば君は必ず、承知するはずだ」
細く白い指先が分厚い樫の木でできた扉を指差す。
壁の向こう側から少し前まで聞こえていた喘ぎ声は、霊薬の効力が薄まったためか、今は聞こえなくなっていた。
メアリも眠っているのだろう。
ニーシャはとてつもない眠気に襲われる。
「霊薬の効力が消えると激しく眠たくなるんだ。だから眠ってしまう前に君に見せたいものがある」
「私がどんなものを見れば納得すると! メアリを起こして帰ります!」
唇を噛んで痛みによって眠気をごまかそうとする。
立ち上がってみたものの、足元がもたついてよろけてしまう。
伯爵令息はニーシャに肩を貸して、扉を開けた。
隣の部屋の窓からは、三連の月が見える。
月が上がったばかりで、自分たちが声をかけられてからそれほど時間が経過していない事実に、ほっと胸をなでおろす。
こんな痴情で夜遅く家に戻ったと知れたらどうなることか――考えるだに空恐ろしい。
同時に、それまで大事に守ってきたはずの純潔があっさりと奪われたことに、激しく後悔した。
「ほら無理をするからそうなる。見てごらん、彼の寝顔を。幸せそうに眠っているだろう?」
「――ッ! アーガイム……殿下!」
「君を誘うと殿下にお話をしたらあっさりと納得していただいてね。この場所を用意していただいたんだ。君の最初の男は殿下だった。順番がほんの少し前後下にすぎない、良かったね?」
「何がいいものですか!」
最後の力を振り絞り伯爵令息の方法を叩く。
パアンっ、と小気味良い音がしたが、それ以上の抵抗はできなかった。
結局、追加で霊薬を飲み体力を取り戻し意識がほぼ正常に戻ったニーシャとメアリは、生涯でこれ以上受けることがないだろうと思うほどの屈辱を体験して、学院での違法霊薬販売に手を貸すことになってしまった。
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