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第6話 婚約破棄と無慈悲な短剣
翌朝、ミネアはアーガイムのホテルから同じ馬車で学院へと乗り付ける。
清純を重んじるフォント王立学院だが、王族とその関係者ともなれば話は別だ。
「殿下……と、ミネア?」
「おや、ニーシャ。おはよう、出迎えご苦労」
「生徒会役員の務めですから――お二人が馬車で登校すると目立ちます……」
「いちいち、面倒なやつだな、お前は」
「殿下! 私は殿下のご体面を重んじて言っております」
「ああ、わかった。もういい、黙れ。朝から嫌味をいわれているようで、気分が悪い」
馬車溜まりに停まった豪奢な王室の馬車から降りてくる第2王子アーガイムとオンデス公女ミネアは人目を引く。
青を基調とした学院のブレザーに、黒目黒髪と漆黒のようないでたちのニーシャは、しっとりと落ち着いた印象をだが、まだ若い殿下にその魅了は伝わっていない。
逆に若草色の髪と桃色の瞳をもつミネアのほうが、アーガイムには好ましい。
金髪碧眼の自分とよく似合うと、彼女を連れ歩いてることに心のどこかで自負が生まれてくるのだろう。
ニーシャは自分の価値が半減して、いまやミネアを彼が重んじていることに激しく苛立った。
「ニーシャ様、殿下がああおっしゃっておりますよ。おさがりになられてはいかがですか」
「このっ」
「やだっ、怖い」
ミネアの勝ち誇った言い方に、ニーシャはつい、手にしていた帳簿を振り上げそうになった。
おどけた調子でアーガイムの後ろに逃げ込んでしまうミネアを目で追い、ニーシャはにらみつける。
しかし、視線が彼と交わったことで気恥ずかしと、どうして庇ってくれないのかという怒りが生まれ、だめだとは思いつつじっと見つめてしまった。
それがアーガイムにはにらまれたと感じ取れたのだろう、「不遜だな」と一言吐き出して顔を背けた。
「朝早くから喧嘩はよせ。人前だ」
「私はただ、記帳について訊ねたかっただけです、そんな、喧嘩なんて……申し訳ございません」
ニーシャは深々と頭を垂れた。
ここで彼の怒りをかったらあとあと、ろくなことにはならないからだ。
自分に対する興味も薄れつつある、と悟ったらさらに慎重にならなければと自制心が沸き上がる。
だが、生徒会の仕事について話題にあげてしまった以上、引っ込めるわけにもいかなかった。
アーガイムとミネアを離して、別室で二人で話さないと……、とニーシャはミネアを見やる。
「アーガイム様、参りましょう?」
「ニーシャ、記帳のミスくらいお前の権限で修正しておけ」
「殿下、それでは越権行為に当たります! ミネアの責任ははっきりさせるべきかと」
「なに? 責任だと?」
「はい……責任でございます」
ミネアを追求し、帳簿の不正を明らかにして予想以上にかかってしまった違法霊薬の仕入れ代金を充填しなくては、身の破滅だ。
ニーシャは後に引けない状態になってしまう。
アーガイムは蛇のように目を細めた。彼が悪事を思いつくときの独特の癖だ。
だいたい、被害者が出て彼らは行方不明になる。
付き合いの長いニーシャは、まさか自分を捨てることはないだろうとたかを括っていたが、考えの甘さを思い知ることになる。
「ここはいい。たくさんの人がいる。登校時を選んだのは賢い選択だ、ニーシャ」
「ありがとうございます、殿下。では、この帳簿について彼女と話を――」
「その必要はない」
ミネアに一歩近づこうとしたニーシャをアーガイムは片手で払った。
態勢が崩れこけそうになる彼女を助ける者は誰もいない。
手から奪われた帳簿はミネアの手の中にあった。
自分が不正をしたページを選び出し、アーガイムへと示して見せる。
「ほう――先月末の訓練時もそうだが、ここ二年に渡りほぼ同じ仕入れ先から、ポーションを仕入れているな、ニーシャ。最近ではその数が増え、支払い額も同じく。しかし、納品された内容明細を見ると、一級品より三級品がおおく記されている」
「ですけれど、おかしいですわ、殿下。商会からの領収書にはいつもと同額の額面が記載されています。通常の一級品を購入した額と同じ金額が。でも、今回は三級品が多い……どういうことかしら?」
「おかしいな、ミネア。お前の言うとおりだ。本当ならば、領収書に書かれている金額はもっと少ないはず。なのに――差額はどこに消えた。ニーシャ、お前の計画か」
「なっ――違います、殿下! それはミネアの記帳ミスで学院から商会に支払われた金額は、いつもより少なかったのです。ですから、それは私が立て替えて――」
「実はな、ニーシャ。人をやって調べてあるのだ。納品されたポーションの在庫とその中身を昨夜、検品させた。一級品のあるべき在庫数に対して、半分以上が三級品にすり替わっていた。こういう時、検査魔法というのは一瞬で終わるから楽なものだな?」
「あ、え……そんな……!?」
ニーシャはどきりとする。
頭から冷や水をぶっかけられた気分になった。
心が罪を暴かれまいと冷や汗でぐしょ濡れになり、なにも考えられない。
バッカニアが表向き薬卸として営んでいる紹介が扱うポーションは、別の問屋を使えば手に入れられるものだ。
生徒会が購入している一級品の中身の大半は違法霊薬で、生徒たちに向けて使用している。
医療行為に使われる物は別途、治癒師が購入し管理しているから、置き場も異なりバレることはない。
学生寮や授業中に肉体的・精神的な異変があっても一級ポーションを使えば、だいたいは回復する。
生徒たちも一人1本は必ず常備するように推奨されているから、違法霊薬を販売するにはうってつけだった。
「悪事は慎重にやっても必ずバレるという。お前の小さな悪行の積み重ねが、足元に大きな穴を開けたな、ニーシャ。懐を肥やすのがそんなに大事だったか? ああ、だが問題はそれだけじゃない。みんな聞いてくれ!」
喜劇役者宜しく、アーガイムがばっと片腕を広げた。
もう片方の腕に抱かれているのは、もちろんミネアだ。
春の緑を思わせるその髪色が、ニーシャには燃える蒼い炎に見えた。
罪人を火あぶりにする時、肉体の脂を炎が焼けば立ち昇る色だ。
「殿下、おやめください!」
「やめる? なにをやめる? お前の罪をみんなに知ってもらおう。ミネアには嘘の報告をして購入したポーションの仕入れ額を誤魔化し、私腹を肥やしてきた! 在庫と帳簿が合わないとミネアは昨夜、俺に報告してきたよ。まさかと思って人を手配し調べたらこれだ……言い訳はあるか?」
違法霊薬が、とは一言も触れない。
触れたら自分たちも同じく業火に焼かれると知りつつ、一方的にニーシャを追い立てることで劣勢へと追い詰め、真実を暴露させない気なのだ。
アーガイムはミネアを抱いたまま、ニーシャへと近寄る。
顔が触れるかどうかというところまできて、決定的な一言を放った。
「素早く考えて返事をしろ。侯爵家には罪が及ばないように、陛下に直訴してやる。わかるな?」
「‥‥‥ひっ、卑怯な!」
「返事はどっちだ。分かったのか、分からないのか」
ニーシャは脳裏ですばやく計算した。
ここで全部ばらして捕縛されるのと、後日、罪の精算を言い渡されるのと――時間を稼げるのはどちらか、と。
今となっては実家の体面どうこうよりも、バッカニアの短剣が迫ることの方が恐ろしい。
「ここは控えさせていただきます。それで――」
「まあ、それでもいいがな。みんな、ニーシャ・トロボルノ侯爵令嬢は控えて頭を冷やすようだ。俺からも一言、伝えておくことがある」
「拝聴――致します。まだなにかあるというの、アーガイム……」
屈辱でニーシャの顔が羞恥に染まる。
これ以上、なにを伝えるというのか――。
「お前はこれで学院の監査を受けることになる。しかし、証拠は揃っていて罪は明白だ。父上の命を待つまでもない。罪人となるべき女に、王位継承権と王子妃になる資格はない」
「待って! それは家同士の約束……っ」
「ここに第2王子アーガイムの名において命じる。ニーシャ・トロボルノ侯爵令嬢から王位継承権を剥奪する。次いで俺の妻となる権利もだ――婚約破棄だよ、ニーシャ。本当に残念だ」
「うっ、嘘。婚約破棄……王位継承権まで奪われるなんて――嘘……」
ニーシャの顔面は蒼白になる。
スカートの裾を両手で強く握りしめて立っているのが精いっぱいだった。
「ニーシャ様、ミネアは悲しいですわ。まさか御姉様がこんなことになられるなんて……可哀想」
「お前! お前が、お前さえいなければっ! ――かはっ……」
滅んでしまえっ、とニーシャは叫び得意の火炎魔法を放とうとする。
しかし、呪文を唱えようとした半ばで彼女の胸を貫いたのは、どこからか投げつけられた短剣だった。
「バッカニア……」と短剣の主の名を口にして、ニーシャは突き立った柄を握りしめ、大地にうつ伏せに倒れこむ。
「ニーシャ!」
「きゃああっ――、血っ、血が……ニーシャ様!」
露出していた大地に血が放射状に広がっていき、池ができようとしていた。
「ご主人様!」と後ろで悲痛な叫び声が上がる。
控えていたメアリだ。
咄嗟のできごとに立ちすくんで動けないアーガイムたちを突きとばして駆け寄り、ニーシャの胸から短刀を引き抜くいた。
ごぽり、と音がして血が噴き出すのも構わずに、メアリは取り出したポーションの小瓶の蓋を抜き、ニーシャに振り掛ける。
治癒魔法が発動し、ニーシャは金色の光に包まれた。
「殿下……っ、アーガイム様! この借りは必ず!」
応急処置がうまくいったことを知らせるように、光が収まりニーシャの流血が止まる。
メアリはアーガイムに復讐を叫ぶと、自らもポーションが入った小瓶を煽り、呪文を唱え転移魔法が発動、二人はどこかへと消えてしまう。
たった数秒のできごとに、周囲は騒然となってしまう。
「殿下、話をお聞かせ願いますか。ここは安全ではありません。あちらに」
「くっ……ニーシャ。メアリのやつ、余計なことを」
そこへ駆けつけた学院警備兵と講師たちに半ば連行されるかたちで、アーガイムとミネアは別棟へと引き立てられていった。
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