54人が本棚に入れています
本棚に追加
エンメさん
山城家はこの町では旧家と呼ばれる家柄で、志延には六つ年上の兄延幸がいた。
志延が三歳の時、父と兄と志延が乗っていた車が事故に巻き込まれ、父は即死、兄も瀕死の重傷を負い、奇跡的に志延だけは軽傷で済んだ。
それ以来、母と志延、それに兄と数名の使用人で暮らしていた。父の会社は父の弟が継いだが、事故の補償金や保険金、土地や家作からの収入もあり、十分暮らしていけた。
兄の延幸は、事故以来寝たきりになっていた。
時々目を開けたり、身動きをするのだが、それが自分の意志なのか生理的な反応なのかがわからない。意志の疎通ができなかった。
それでも母は諦めることなく、日当たりの良い座敷に介護用のベッドを置き、常駐の看護師を雇い、訪問医療が受けられるようにした。
事故当時、九つだった兄は二十四歳になったが、母は自らも加わり懸命に世話をしていた。
志延が中学生の頃、風雨で傷んだお堂を補修するのに大工の棟梁が数日間通ってきた。
志延は棟梁から、エンメさんと呼ぶあの地蔵は山城家が代々祀ってきた“延命さん”、つまり延命地蔵だと聞いた。
「志延ちゃんが小さな頃、延命さんをエンメさんって呼ぶんで、皆もエンメさんと呼ぶようになったんですよ」と棟梁は笑って教えてくれた。
その時、自分のお役目の意味を志延は察した。
お堂に備える灰色の石。母はあの石をお役目当日まで一週間、兄の胸元に入れていた。
(兄の延命のために、自分にあのようなお役目をさせているのではないか?)
志延は思った。
年に一度あのお堂に入り、一週間兄が胸元に入れていた石を地蔵に供え、去年のお役目で着た白い着物を脱いで身を浄め、新しい着物を身に着ける。そうすることで、兄の寿命がまた一年延びるのではないか──?
真実を知りたければ母に確かめればいい。しかし、志延にはできなかった。
もし母に肯定されたら、自分があの生きているのか死んでいるのか、生きている意味があるのかもわからない兄のために、贄の役をさせられていると認められるようで怖かった。
母はいつでも兄を一番に考え、志延のことは二の次だった。志延に熱があっても、兄の調子が悪い時は兄に付き切りだったし、延幸の用事と志延の学校行事が重なると、当然のように兄の用事が優先された。
志延の心には鬱屈したものがあった。
最初のコメントを投稿しよう!