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何の前触れもなく、彩海は姿を消した。
最初はいつものようにフラフラとどこかに行ったと思われていた。だけど、夜になっても彩海は戻らず、事態は少しずつ大事になっていった。
警察をはじめ多くの人々があらゆる場所を捜索したけど、彩海が見つかることは結局なかった。
自分の高校生活は、よく覚えていない。とにかく、身体の半分を失ったような感じで、早く見つけなきゃと焦燥感に駆られるような日々だった。それでも時は流れていって、進路を選ばなければいけなくて。
そんな時、たまたま目にした科学雑誌の一文に目を奪われた。
『国内研究機関が未知の電波を観測? まるで宇宙からの交信のよう』
吸い込まれるように雑誌を開くと、5年程前に打ち上げられた人工衛星から送られてきたデータを解析したところ、未知の電波が観測されていたこと。まだ速報の段階だが、その電波はどうやら何年も前から地球に届いていたことが書かれていた。
規則的な電波と、まるで規則性のない電波の二つが連なったような不思議な信号の解析が鋭意進められているらしい。
――出たよ。彩海さ、絶対なんか変な電波受信してるって。
――ああ、確かにそんな感じに近いかも。流石、八雲。
中学生の頃の何気ない会話。ただ、彩海をからかったつもりだった。
だけど、その雑誌を見たときの俺は、その未知の電波が彩海の居場所を知らせてくれているのだと、無条件に信じ込んだ。今になって思えば、そう信じるしか心の平静を保つ術がなかったのかもしれない。
とにかく、憑りつかれたように物理学にかじりついた。大学でも宇宙や電波に関する研究にのめり込んで、未知の電波を観測した件の研究機関の研究員となり、三十歳となった今も彩海の影を探すように電波の研究を続けている。
――ピピピピピ
「朝……かあ」
念のためにかけておいたアラームを止める。朝8時。
結局、当時の記憶がグルグルと頭のままを巡ったまま一睡もできなかった。それでも、横になって目を閉じていた分だけ少し頭はスッキリとした気がする。
研究室に戻ると、仕事をやり遂げたのか瑞穂さんが腕を枕にデスクに突っ伏すように眠っていた。春先、風邪をひくような寒さではないけど、ブランケットを瑞穂さんの肩にかける。
この研究室に所属しているのは瑞穂さんと俺の二人だけ。発見当時こそ騒がれた謎の電波だったけど、数年前から観測できなくなり、段々と注目されなくなっていった。研究体制も日を追うごとに縮小されていて、来年もここで同じ研究を続けられるかは怪しい。
だから、一日も早く結果を出さないと。
――トゥルルルルル
「はい。電波研の峯山です」
まだ始業前だというのにかかってきた電話に、少し嫌なものを感じながら受話器を上げる。
「朝早くからすみません。帝都財団の久我山です」
聞こえきた声に無意識に背筋が伸びる。帝都財団は若手研究者向けの研究資金補助を運営しており、俺の研究もその資金でどうにか進めている。電話先の久我山さんは補助金の運営事務担当者だった。
「どうかされました?」
「先日の中間報告の結果なんですけど。峯山さんの研究、内容については素晴らしいという評価でした」
「ありがとうございます」
久我山さんの言葉に対して、俺の声は自分で聞いててわかる程固い。ただ評価を伝えるだけなら、こんな風に朝から電話なんてかけてこないだろう。
「ですが、評価を担当した先生方で議論となったのが、将来性でした。仮にこの電波の性質を解明したとして、既に地球に届かなくなったのに“その先”があるのかと」
「御財団の制度は、将来性や有用性に重きを置いていなかったはずです」
将来役に立つかわからない基礎的な研究補助制度。だから、俺みたいな研究が採択されて細々とでも続けられてきたはずだ。
「比較的、ですよ。全く頭に入っていないわけじゃないんです。私たちもたくさんの応募の中から対象を選ばなければいけないですし、どうせなら芽が出るものに援助をしたいと考えています」
「……次の成果報告では、将来性も視野に入れた内容をご報告します」
言いたいことは色々あったけど、こちらは支援を受けている身だった。将来性を示せと言われれば、どうにかするしかない。現時点で何もアイデアは浮かばなかったけど。
「よろしくお願いします。次回、その辺りが不十分だと打ち切りの可能性もありますので」
久我山さんはそう言うと一拍間を置いてから電話を切った。だけど、俺の手は動かずに受話器が耳に当たったまま、ツーツーという機械音が木霊する。
どうすればいい。このままだと、何もかも中途半端なまま終わってしまう。
「電話の内容、聞こえてたけど」
振り返ると、いつの間にか瑞穂さんが起きていた。肩からブランケットをかけたままこちらに歩いてくる。
「この機にさ、研究テーマを変えてみるっていうのは? 八雲君、優秀なんだし、その方がこれからの君の為になるかも」
「そんな簡単にやってきたことを変えられないですよ。それに、俺が別テーマ選んだら、瑞穂さんはどうするんですか?」
「ふふ、心配してくれるんだ。でも、私は大丈夫。こう見えて上手くやれるタイプだから」
本当に上手くやれるタイプなら、こんな取りつぶし直前の研究室で朝まで資金確保の為に資料作りに追われてなんていないだろう。理由はわからないけど、瑞穂さんは俺と同じとりつかれた側の人間に見えた。
「それにね。八雲君、最近ひどい顔してる。このままだと主任に上がる前に、死人になっちゃうよ」
そう言って瑞穂さんはさっき俺がかけたブランケットを俺の肩にかけた。微かに涼し気な香水の匂いが漂ってくる。
死人、か。十五年前に行方不明になった彩海は法的にはこの世に存在しないことになっている。ここ最近の悪い流れは、いい加減執着を捨てろということなのだろうか。
だけど、ここで諦めてしまったら、本当に彩海の存在はなかったことになってしまいそうで。俺はもう一度、彩海のよくわからない歌をどうしても聞きたかった。
――歌。
耳に当てたままの受話器からは、『ツーツー』という音が響き続けている。
――ツーツツツーツー♪
最後に聞いた彩海の歌が脳裏をよぎる。
死人。SININ。SING。SIGN。
出鱈目な単語がチカチカと星が瞬くように頭の中で何かが繋がっていく感覚。
歌、サイン。シグナル。
荒っぽく言えば、音も電波も離れた場所に何かを伝える信号には変わりない。
規則的な電波と、規則性が見られない電波。
例えばそれは、構造的に組み立てられたメロディと、そこに付随する歌詞だとしたら。
「八雲君?」
「瑞穂さん。音を信号化できるような機械、うちにありましたっけ?」
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