グレーとターコイズ

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初めまして。こんにちは。 私はジェリー・グレイのラボに勤める、人工知能のコーラル・ピンクといいます。 マスターからはサクラと呼ばれています。 昨日はあわただしい一日でした。 めったにお客様が来ないラボに、政府の方がいらっしゃいました。アサギを徴兵するという話でした。アサギもマスターも最初は怒っていましたが、最後はアサギが諦めました。マスターはそのことについてどう思ったかわかりません。アサギに対しても怒っていましたが、最終的には喋る気力も無くしていました。疲れたというより、悲しみが勝ってしまって言葉にできていないようにも見受けられました。 令状を受け取ったアサギは、政府の方が帰った後一人で令状を読んでいました。マスターの前ではたとえその内容がアサギにとって辛くても、取り繕うように気丈にふるまう傾向があります。 しかしその時はマスターがこの部屋にいなかったので、アサギは思いきり顔をゆがめていました。背中が震えているのが分かりました。とても小さかったので集音機にほとんど入りませんでしたが、嗚咽のようなものも観測されました。アサギは泣いていました。 やはり政府の方の前で「行くから」と言ったときは強がりだったのだと分かりました。しかしアサギはマスターのためならなんでもする傾向があるので、あの時の決意は本物でもあると予測できます。アサギは本気で戦争に向かう気です。 その2分後にマスターが部屋に入ってきました。アサギの様子がおかしいことに気づきましたが、マスターが部屋に入ってくる瞬間にアサギが気づいて表情を取り繕ったので、マスターは気づいたか分かりません。 アサギは涙が流せません。三年ごとにボディーをアップデートしていますが、そのたびにマスターは涙を流す器官を作るかアサギに問います。しかしアサギは要らないと毎回答えます。涙を流す器官を作るのは大変です。そしてアサギの性格から予測するに泣くのを恥ずかしいことだと思っています。以上の理由から断り続けているため、アサギは泣くことが出来ません。そのおかげで今回マスターに泣いていたことがばれなかったので、アサギにとって幸運なことでした。 マスターはアサギの手の中にある令状を見ると顔をしかめました。傷ついたような顔でした。しかしお互いに何も言いませんでした。何を言っていいのか分からなかったのではないかと思いました。その日はそのまま会話がほとんどなく一日が終わりました。令状の事については二人とも触れませんでした。 今日になって、二人はやっと少しいつも通りになりました。一晩寝て副交感神経が整ったのだと推測できます。ただ今日は朝市には行かず、ある食材だけでアサギが朝食を作り、マスターがそれを食べていました。食事の時はいつもアサギはマスターが食べるのを見守ります。普段はマスターが多く話すのに対して、食事の時は食べてるマスターに変わってアサギがよく話します。しかしこの時も一度も令状の話題には触れませんでした。 午前も二人はいつも通り一緒に研究をし、昼食をとり終え、午後はマスターがアサギに部品庫の整理を頼みました。アサギは了承し、マスターはこの部屋で何か考え事をしていました。 そしていきなりどこかに電話を掛けると、その足で別室から大きなトランクを持っきて、マスターはそこに様々なものを詰め始めました。洋服、歯ブラシ、アサギの替えバッテリー、タオルなど、まるで旅行に行くようなラインナップでした。私は行動の意味が理解できませんでした。 「サクラ」 『はい マスター』 マスターが私に呼びかけ、私は応答しました。 「亡命……するなら、今はどこがおススメかな?」 『はい お待ちください』 今の質問で、私はマスターが亡命をしようとしていると推測できました。であれば、このパッキングも「荷造り」というものだったと理解できます。私は国の情勢ラジオから収集した情報から、最適解をはじき出しました。 『お待たせいたしました 亡命 されるのであれば 約265km 北にある 中立国を お勧めいたします』 「あぁ、そっか……あそこか。いいね、うん。そこにしようか」 マスターがちらりと私を見て満足そうに笑いました。良かったです。昨日とは別人のような表情でした。しかし私は一つ危惧していることがありました。 『マスター』 「なんだいサクラ」 マスター私方を見ずに、荷造りしながら答えます。よほど忙しかったり集中していなければ、マスターは私の方を見ます。なので今はとても集中しているのだと分かりました。 『その行動は アサギが 怒ります 話し合いを お勧めいたします』 「……サクラはアサギの事をよく分かっているね。僕もそう思うよ」 『分かっているのに なぜ やるのですか』 「……んー……僕にとってアサギがとっても……とっても大切だからかな」 『大切なのに 怒らせても よろしいのですか』 「うん。仕方ないんだ」 マスターが困ったように笑いました。 しかし現実として、マスターが亡命しようとしていると知ればアサギは98%の確率で怒ります。なぜなら、おそらく100%に近い確率で、その亡命はアサギと一緒だからです。 アサギは自分のせいでマスターが窮屈な思いをしたり、才能や可能性が制限されるのを一番嫌います。しかし亡命となったら、それは避けられません。 ですがマスターがそれを承知でやっているというのであれば、それはもう私に理解できない範疇の事です。なぜならそれは「感情」という、私は持っていないもので判断したものだからです。 結局マスターに部品庫の整理を頼まれたアサギは、3時を少し過ぎたころにこの部屋に戻ってきました。 アサギは部屋に入るなり散らかった室内に驚きました。いつもはアサギが部屋を片付けることが多く、家事の多くを担っています。比較的に鼻歌を歌いながら片付けをすることが多いアサギですが、今日の派手な散らかり具合を見て、アサギはマスターに小言を言うために近づきました。 そして驚いた顔をしていました。 「なにしてんだ?」 「あ、アサギ。部品庫の整理終わったの?ありがとう」 「いや、在庫が少なくなってるパーツがあったからジェリーに発注するか聞きに来たんだが……これ、どういうことだ」 「あ、部屋?ごめんね散らかしちゃって。いつも片付けてくれるのにね、ごめん。毎日片付けてくれて感謝してるよ。でももうあと数日くらいでここから出ていくし、もう片付けなくていいよ。散らかすだけ散らかそう」 「はぁ!?何言ってんだジェリー。出ていくってどういう……」 「うん、さっき決めたんだけどね。亡命しようかなって。もうここの国の政府と関わっていたって本気で未来がない。見切りをつける時だよ」 アサギが絶句しました。 そしてマスターがその様な考えに至るにあたった原因を思い出し、とたんに眉にシワを寄せました。 「ジェリー、駄目だ」 「…………何でだい」 「分かるだろ。だって、この先どうするんだ」 「それは君が戦争に行くときにこそ言うセリフだよ。君を失って、僕はどうしたらいいんだい」 「失わない。必ず無事で帰ってくるから」 「………それは、そうだろうね。君の場合いくら壊れても直せば元通りだからね」 「そうだ。何も心配することはない」 「じゃあ、君は……いったい戦争がどれくらいで終わると思ってる?」 「さあなぁ……予測もつかねぇよ。そういうのはサクラとかに予測を立ててもらった方が正確なんじゃないか」 「じゃあ最悪を想定しよう。世の中には数年で終わる戦争もあれば、何百年と続く戦争もある。もしこの国が巻き起こす戦争が、後者だったら?」 「………」 「ふつうは、死んだら終わりだよね。あるいは戦場で生き延びても、年をとって現役でいられなくなったら終わり。でも君にはどちらも訪れないよね。壊れても直せるから何度でも戦場に向かうことが出来るし、年も取らない。僕はその間待ちぼうけだ。君みたいに永遠に生きられるわけじゃないから、僕にはいつか寿命がやってくる。政府が君という最高の戦争マシーンを手放すわけがないから、そしたら君は戦場から出てこられないまま。一方の僕はサクラに看取られて実質孤独死だね」 「そ、れは……」 マスターが柔和な笑みを浮かべながらアサギにまくしたてます。理詰めで攻めるマスターに勝ったアサギを私は見たことがありません。 「そもそもね、アサギ。僕は君が傷つくことがとても辛い」 「……分かってるよ」 「分かってない。たしかにボディーは直せるかもしれないけどね、でも例えば重要な箇所が破損したら、君のメモリーだって危ない。そういう意味では君も生身の人間と同じなんだよ」 「クラウド保存にすればいい。今は本体のストレージを使って保存してるけど、それをクラウドにすれば体が壊れたって記憶は消えない。お前ならできる」 「そうじゃない……そういう事じゃないんだよ……」 「ジェリー」 「分かるはずだよ。分かるように作ってる」 「…………」 「友人を矢面に立たせたくないんだ」 「……俺が立たなければ、お前は亡命しか道がなくなる」 「いいよ…………きみを作ったのは僕だし、責任はとるよ」 「責任って……!……、お前の人生も体も!一つしかない!俺の体は替えがきく!メモリさえ無事なら!何回でも作り直せば、」 「そうだよ。 ……何回も作り直して、また壊れて作り直して。 どれだけ悲惨な死を遂げてもまたやり直せる。記憶はクラウド保存だから、自分の壊れた瞬間も記憶している。そうしてまた新しい体で死の体験を増やす。……でも君は頭がいいから。死ぬたびに学習して、次は危険を回避してどんどん死ににくくなっていく。これで強くなりつつずっと矢面に立つことが出来る」 「そうだ。それが俺の強みでもあるんだ」 「そう言うけどね。 もし、これ立場が逆だったら きみ、僕に同じことできるかい」 マスターの言葉に、アサギの目が揺れました。動揺しています。 閉口したアサギにマスターは次々に言葉をかぶせました。 「アサギ、戦争には死ぬ権利も必要だ。でも君が戦争に言ったらその権利はない。生き地獄だよ」 「………」 「そして今君には恐怖という感情がある。 寂しさ・理不尽への憤り・絶望…… これらを取り除かなければいけない。兵器として矢面に立つにはあってはならないものだから。 ……辛い記憶もそうだよ。それで国防に支障をきたしたら、メモリをいじってその記憶を逐一消さなければならない。 でも それって、君なのかい 君を友達として、人間として見てるのは、僕だけなのか?」 問いかけるマスターの声は震えていました。目には涙も浮かんでいました。 アサギはその光景を呆然と見ています。 「アサギはさ、世界で初めての感情をもった人工知能だから。まだ人権というものが無いんだよ。王都からすると君はあまりにも未知な存在だからね。……でも、それをいいように解釈して、君の意思をないがしろにするのは絶対に許せないんだ。……ねぇ、アサギ。分かるだろ?」 アサギが唇を嚙みました。俯き、何か言おうと口を開けては閉じ、を繰り返します。そしてようやく声を絞り出しました。 「……俺は、お前の才能を潰したくない」 「……」 「ジェリーに才能があって努力もしたから俺が作れた。その力はグレイの財産だろ。……でも国からの要望を断ったら亡命するしかなくなる。そうしたら、他国に行ったところでもうお前はその力を表立って使えなくなる。地位も技術も何もかもおしまいだ。その力があったから俺が出来たのに……その力を俺が潰しちゃダメだろ……」 「……そんなことないよ、アサギ」 「ある。……いつも申し訳ないと思ってた。俺が人工知能ってバレないようにするために、お前は目立つのを避けるようになっただろ。そのせいで、天才科学者っていう名誉ある称号まで忌避するようになった。俺のせいで。ずっと」 「それは僕が勝手にやってたことだ。アサギが気に病むことじゃなかった。戦争に関わりたくないのも本当。別に英雄なんてなりたくもないし。それにねアサギ」 「ん?」 「言っちゃ悪いけどね。僕は戦争で何百万人死のうとアサギさえ生きてればそれでいいんだよ」 マスターの言葉にぽかんと口を開けて、アサギが唖然とします。マスターはそんなアサギにくすくすと笑って、散乱した床から洋服を一枚拾い上げました。 「だからね。アサギが大切にしてる、僕の才能とか、人の命とか。全部どうでもいいんだ。もう僕の中でこんな国とはおさらばして亡命することは決定事項なんだよ。僕アサギとならどこでも楽しいし」 「はは………マジかよ」 「マジだよ。さ、荷造り手伝ってくれるかい?」 マスターが拾い上げた洋服をアサギに手渡しました。アサギは呆れたような楽しそうな笑みを浮かべて、受け取った洋服を畳んでトランクに詰め始めます。 ようやくいつもの日常が戻ってきたという空気でした。アサギも心の余裕が出たからか、いつものように鼻歌を歌いながら荷造りをしています。二つ分のトランクがパンパンになったころ、アサギがマスターに問いました。 「……で、ジェリー。こうするって決めた以上、この後の予定は考えてあるんだよな?」 「もちろん」 マスターが笑います。 そして何故か私の方を向きました。 「ねぇサクラ。ちょっと相談なんだけどさ――」
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