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『そっちこそ、こんな時間にどうした?』
『うん、いや、散歩的な?家、ここの近くでよく来るんだよ?』
『まじか。でもわざわざ学校に来るって、よっぽど好きなんだな、学校が』
言うと中原は『好きかもね』と言ってまた笑った。
『跳びたい?』
ふと、そう聞かれ、答えに詰まった。俺が怪我をした話はクラスメイトなら知っていたはずで、直球で聞く奴はいなかった。
中原がどういうつもりかはわからないが、むしゃくしゃした。跳びたいに決まってる奴に跳びたいかなんて、それ以上に野暮な話はないだろう。
『跳びてーよ、俺だって!』
『じゃあ跳んだら?俺、見たい。秦野が跳んでるとこ!』
悪意なき眼差しとはこれか。と、その瞬間、思った。校庭は月明かりのほんのりと照らす光しかないのに、それでも中原のキラキラした瞳が見えた気がしたのだ。
跳んだらなんて言う人はいなかった。母親ですら、俺に気を遣っていた。
『跳べると思うか?』
『秦野なら跳べるだろ?俺はそう信じてる』
ニカっと笑った笑顔が、冷たく凍っていた胸を溶かしたように、はたまたそこに矢を放たれたかのように温かくそして鼓動を高鳴らせた。
それから俺は、無理のない範囲でまた跳ぶことを決めた。跳べる高さは低くても、気持ちは空に一番近いと思ったものだ。
けれど、中原は一度も見には来なかった。後から知ったのだが、彼は当時、吹奏楽部の部長をしていたそうで、コンクールに向けてとてつもなく忙しい毎日を送っていたらしい。
そうして引退の時期となり、受験、卒業と、時は瞬く間に流れていった。
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