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朝食を済ませて洗面所に向かう。身繕いを済ませ、コンタクトをつける。
顔を上げ、春海は洗面台の鏡を見た。
鏡の中には自分の素顔、それにその後ろの浴室が青白くぼんやりと光って映し出されている。
浴室の中で、夏生は一人、電気もつけずにシャワーを浴びていた。
鏡越し、磨りガラスの向こうで兄の裸体が揺れる。
春海がここに居ることを、兄は気にしているだろうか?
――もっと気まずい思いをすればいいのに。
水面下で兄が何を思うのか、春海にはわからない。ただ互いに何も喋らない。水音だけが何かにぶつかるようにびちゃびちゃと派手に響く。
洗面所をあとにしてスーツに着替え、妹と一緒に家を出る。
玄関口で、まだ髪の濡れている兄が「いってらっしゃい」を言う。
それは自分ではなく妹に言ったのだと、春海にははっきりわかっていた。
夏生は言わない。春海には何も言わない。
絶対に。
家族ももう、この冷戦には慣れっこだ。
重い扉を開けると、梅雨時の湿気に冷えた空気が喉仏に触れた。
いつも通り。
何もかもいつも通りの朝。
それでいい。何一つ変えるつもりはなかった。
「何年目?」
並んで歩いていた妹の冬火が唐突に口走る。
これはいつも通り、でない。
冬火と春海は毎朝一緒にバス停へ行くが、だからといって普段なにか話すわけでもなく、冬火はひとり音楽をききながら春海の隣を歩くだけだった。
彼女はたいていサブリナ・カーペンターを聴いていた。
春海はその名前を知らないし、聴こうとも思わない。
ただ今日に限って、冬火はイヤホンを外していた。
いつものお気に入りを聴かない。
なんで。
冬火の顔を見る。彼女はうつむき、派手なネイルでスマホをいじっている。
「何年目って、何が」
「だから、春海ちゃんと夏生ちゃんが口きかなくなって何年目ってこと」
「……別に、」
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