最悪の舞踏会

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最悪の舞踏会

 ミラは舞踏会が嫌いだ。  美しいホールは色鮮やかな花や装飾品で飾り立てられ、様々な香水の匂いが入り混じる。  華やかな都会の貴族達と比べると、普段はなんとも思わないはずの自分のドレスがみすぼらしく見えてしまうし、そう感じてしまう自分が嫌だった。  着てきた水色のドレスはいくら流行遅れであっても、亡くなった母の大切な思い出なのだから。  貧しい田舎領地で暮らすミラにとって、王都の舞踏会で得るものはほんの僅かで、できたら参加したくない舞台だ。  路銀だけでも貧乏子爵家の家計を圧迫する。だがそれでも参加しなければいけない理由があるのだから仕方がない。そう思って来たのだが。 「ミラ、少し待っていてくれるかい」  本来なら無縁な場所にミラが来たのは、微笑みを浮かべながらも隣を離れていく男――栗色の癖毛をしたジョスバッカーという婚約者がいるせいだ。ミラにはあまりよく分からなかったが、美男と呼ばれる部類に入る。田舎子爵の次男でなければ引き手数多だっただろう外見だ。  お互い領地を隣接した子爵家であり、ジョスバッカーはそこの次男坊である。来年一人娘であるミラの家に、婿入りを予定しているのだ。結婚前に王都で人脈を作りたいというジョスバッカーのために、ミラの家は結納金代わりに学費を負担していた。  今回ミラが一人で王都に来た理由はここにある。彼の卒業記念舞踏会のパートナーとして誘われたのだ。この舞踏会は王室が主催であるため、正式な作法に則り婚約者を随伴しなければいけない。間もなく結婚する将来の婿のためにも、恥をかかせるわけにはいかないと考えたのだ。  それに卒業ともなれば、学費を負担している我家に感謝の言葉を貰えるかもしれない。殆ど手紙もよこさない婚約者からの、そんな言葉を期待してしまっていた面があった。愚かだったと、ミラは既に後悔していたが。 「今夜は王家主催の舞踏会だ。滅多に会えない人たちと話がしたいからね。君と一緒だと……ちょっと」  ジョスバッカーはミラの顔とドレスをチラリと見て、苦笑する。その瞳には嘲りの色と申し訳なさが含まれていると、社交界に疎いミラだって流石に理解できる。  誘われたから来た方がいいと判断したのだが、これはひょっとしたら参加しないことを望まれていたのかもしれない。 (私の返事より先に、どこか行っちゃうのね。私だって、滅多に会えない婚約者なのに)  ミラがそう思うのも無理はなかった。ジョスバッカーは返事を待つことなく、既に遠く向こう側へと行ってしまったからだ。学友とおぼしきグループに混じって談笑するジョスバッカーを、ミラはただ眺めるしかない。  彼らにはジョスバッカーが学園に入学した二年前に婚約者だと紹介されているが、それ以降ミラがあの輪の中に入れて貰えた試しがなかった。  痩せぎすで田舎くさい令嬢という自覚があるだけに、ミラは我が儘を言うつもりもない。くすんだ灰色の髪の毛も、細すぎる身体も、地味な顔つきも全部、世の男性の好みから外れていることは知っていた。ただ同じ髪色をした父だけは、母によく似たミラを可愛い可愛いと言ってくれている。  ジョスバッカーにそんな風に言われたことは、残念ながらミラの記憶にはない。美しい外見をした父に似ていたらと思わなくもないが、ないものねだりをしても意味がないとミラは知っていた。  彼らの輪の中から時々ドッと笑いが湧き上がっている様子を、ミラは柱にもたれながら見つめていた。  着てきたドレスの生地は、祖母の代からもう何度も仕立て換えられたものだ。所々薄くなっていて、かつては上等の絹だっただろうそれもやはりどこか華やかさに欠けた。領地で見た時には可愛らしく見えていたはずなのに、この会場では見劣りする。そう感じてしまう自分自身が嫌になっていた。大切なドレスを、母の形見をそんな風に思ってしまうなんて。 (みんなキラキラして見える。ふっくらしてバラ色の頬に色艶のいい髪の毛。私とは、全然違う)  ミラが自分の手のひらを見た。家の手伝いをしているせいで、ゴツゴツとした手のひらには指の付け根にマメができている。会場で楽しそうに笑っている彼女たちの手は、扇子以外持たないのだろう。滑らかで美しい。  遠くに見えるジョスバッカーは、こちらに帰ってくる様子もない。何のためにわざわざ舞踏会まで来たのか分からなくなっていた。チラリと入口側を見れば、色とりどりの軽食が並んでいる。あまり手を付けられていないそれが、ミラに強烈に訴えかけてくるようだ。  ゴクリ、と喉が鳴る。  コルセットがいらない位に痩せたお腹から、今にも大きな音がしそうだった。 (誰も食べないなら、私が食べてもいいのでは?)  口の端から涎が溢れそうになって、慌ててハンカチで口元を押さえた。  繰り返すが、ミラの家は子爵家でありながらさほど裕福ではない。爵位と領地を与えられているが、そもそもその領地の殆どは魔物の住む森だ。それ以外の人が住めるほんの僅かな土地も肥沃とは縁遠い。そんな領民から得られる税金は、ミラ一家がなんとか貴族としての対面を取り繕って生活できる程度だった。  それでも父も領民のために心を砕いていたし、領民も領主である父を尊敬してくれている。特に贅沢をしたい訳でもなかったから、ミラはそれだけで十分だった。  ただ父がミラのために捻出した旅費は、苦労をさせているのも理解している。宿代も安くはないため、ミラはせめて渡された食費を浮かすことで、父にお土産を買っていきたいと考えていた。   そのため、普段の質素な食事で常に空腹感があるミラが、更に飢えているのはいたしかたないのかもしれない。  突然、グオオオゥと地鳴りのような音が聞こえた。  近くで談笑をしていた貴婦人が何人か、ミラの方を見る。だがそれがまさかミラの腹の虫だとは気付かれていないだろう。不思議そうな顔をして、それからまた談笑に戻った。 「ば、バレていないわ……っ」  素知らぬ顔をして、ミラはただ正面を向いた。自分のようなみすぼらしい令嬢を見ている人など一人もいないはずだ。ジワジワと顔が赤くなる。まさかあんな、魔物のうなり声のような腹の音が鳴り響くとは。  やはり少しは食事をつまんだ方が良いかもしれない。はしたないから未婚の女性は手を付けないようにとジョスバッカーに言い含められているものの、まさしく背に腹はかえられない。  だがそんなミラの後ろから突然声がした。 「あっはは、あはっ、僕らにバレてるよっ。すごいお腹の音だったね」 「おい。令嬢に失礼だろう」  金髪と黒髪の男性二人組が、柱の陰から現われた。どうやらずっとミラの死角に立っていたらしい。お腹の音を聞かれていた事を知ったミラの顔は、熟れたトマトのように染まった。 「あ、あっ、あ、あう……」  どう言い訳しようか、いや実際にあの轟音を轟かせたのはミラ自身だ。むしろ変な音を聞かせて謝罪するべきか? そんな風にパニックに陥りながら思っていると、二人組の一人、黒髪の青年がスッとミラの前に進んだ。 「すまない。恥をかかせるつもりじゃなかったんだ。この馬鹿――ンッ、殿下の失言は俺の方で謝罪させてもらおう」 「騎士は主の失態まで庇うんだから、優秀だね~」 「だからお前は黙ってろ」  ミラは恥ずかしさと空腹も忘れて、ポカンと口を開けた。  輝く金髪とアイスブルーの瞳をした青年は、この国の第一王子だった。柔らかな微笑みを浮かべた美しい彼を、ミラも姿絵で見たことがある。そして彼の隣にいる騎士と言えば、この国で知らないものはいないだろう。鉄面皮の騎士という異名を持つ辺境伯子息、アネス・ロビアラッツだ。漆黒の短髪と実直そうなキリリとした目元が男らしい、美男子だった。  柱のすぐ後ろはバルコニーに繋がっており、二人はそちらで休んでいたのかもしれない。そうでなければ絵になる二人の男性に、周囲の女性陣が放っておく訳がない。 「よかったら、いくつか軽食を取ってこよう。女性一人で取りに行くのは気が引けるだろう?」  そう言ってアネスは手を差し伸べてきた。貴族令息が浮かべるような甘い笑顔もなかったが、その言葉には優しさが溢れている。後ろで第一王子がヒュウと口笛でも吹きそうな顔をしていた。 「どうしたアネス、珍しく令嬢に優しいじゃないか。君、名前は?」  ズイと王子に顔を近づけられて、ミラは思わず顎を引いた。 「み、ミラでございます殿下。ミラ・アンダルフォンで――」 「アンダルフォンだと? あの秘境のアンダルフォン子爵令嬢か!?」  名乗った途端、食いついてきたのは意外にもアネスだった。 (ただの田舎だけど、王都から見たら秘境なのかしら)  常に冷静沈着なのであろう男が、王子を押しのけてミラの両肩を掴む。 「あ、あの……」  流石に結婚前の男女の距離ではない、手を離してほしい。そう伝えようとしたが、それは大きく華やかな楽団の音楽と、ワッと上がる拍手でかき消された。 「ダンスの始まりだね。僕は約束があるから失礼。アネスもほどほどに。しつこい男は嫌われるからね」 「うるさい、そういう話ではない」  どういう話なのだろうか。だがアネスも紳士ならざる自分の行動に思うところがあったのか、ミラの両肩から手を離してくれた。  ホッとしながらも動揺を隠せずにいると、ホールの中央にファーストダンスを楽しもうと集まる男女の姿があった。その中には先程会話をさせてもらった第一王子の姿もある。手を取っている令嬢は、来年結婚が決まっているという婚約者だろう。  彼らが優雅にステップを踏み出す様子を、ミラは思わず目で追った。 「え……」  踊る人々の様子に、ミラは瞬きを止めた。  この国で舞踏会といえば、最初の曲だけは婚約者か夫婦で踊る慣例がある。裏を返せば、そうでない者同士で踊るのは非常識であり非難される話だということだ。  それなのに今、ダンスを踊っている人々の中に、ミラの婚約者がいた。 「ジョスバッカー……?」  呆然としたまま唇から言葉がこぼれ落ちる。
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