襲撃

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「眠れる獅子は起こさぬべきだと忠告したのに。鈴芽兄さんは本当に間抜けだな」  ネクタイを外しては新太のふくらはぎに巻きつけ、速やかに止血しながら洋蘭は嘲笑を零す。  鈴芽の拳銃も滑らかに奪っては懐に収め、洋蘭は倒れ込んでいる新太へ銃口を向けて見せた。 「伊織。僕たちが話したかったのはお前だよ」 「俺に話があるなら、俺だけに銃口を向ければいい。……なぜこんな真似を」 「お前は銃を向けられて怖がらないじゃないか。親しい者に依存し、己のことはどうでもいいと思う性格だからね」  くっ、と眉をひそめ、伊織は足元を見下した。  血。血の匂い。母を殺してからずっと、血の匂いに塗れている。 (桃李が、倒れたまま、動かない。あの出血だ、きっと助からない。なぜだ、どうしてだ。どうして守りたかった者たちが、次々と)  罪なき信者たちが血の海に伏している。  自分を慕ってくれた者たちが次々と指の隙間から落ちていく。  呼吸が浅くなる。血の匂いで視界がグラつく。  新太が。脚を撃たれてしまった。彼は確か陸上の選手だった。  最悪だ。目の前に映るものは、最悪だ。 「伊織、お前はまだ十分な女王ではない」 「……どういう意味だ」  そう返すと、洋蘭は懐から小瓶を取り出す。  目に覚えのあるガラス製のアンプルだ。忘れるわけがない。 「王乳……なぜ、ここに」 「伊織はね、確かに現時点で蜂玉園の女王ではある。だが中途半端だ。男だから女王としてのフェロモンが足りないらしくてね、そのせいで信者たちの精神が狂って大勢が死んでしまった」 「それは……察している」 「つまりは、だ。信者たちの精神を安定させるには、よりフェロモンを放出できる体になる必要があるんだよ。……このまま組織が小さくなってしまっては環境の維持も難しく(ざい)も尽きる。僕としても困るんだよ」  そう言って王乳が入った小瓶を掲げる洋蘭に、伊織は顔を歪めて問い返す。 「まさか追加で……飲めと? その劇物をか?」  くすり、洋蘭は微笑んで切長の瞳を細める。 「なぜお前だけが女王に適合したか分かるかい? 普通、女ならば染色体はXO、男ならばXYであるはずなんだ。……だが調べてみると、伊織の染色体はXXYだった」 「なにが言いたい」 「クラインフェルター症候群と言われている先天性の染色体異常だ。男性ホルモンの生成量が少ない疾患、つまり一般的な男性より女性に近い体質とも言える。  お前は体毛も薄く肌も綺麗だ、それでいて筋肉量も少ない。……難病にも指定されている疾患だが、お前はその疾患おかげで王乳を飲んでも死なずに済んだと考えられる」  クラインフェルター症候群。耳にしたことはあった。成長期での体の変化で生じる異変や、子が成せなかった時に気づく者もいる。だが、自覚なく生きている者も多い疾患だ。  伊織もまた、自覚なく生きてきた身である。
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