敵討ち    

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「――――殺してやるっ!」  伊織が本家の玄関に姿を現したとたん、叫ばれたのはその言葉だった。 「殺してやる、殺してやる! どうして湊を、湊を!」  鬼の形相――――いや、そんな単語で表せる様ではないのかもしれない。  目の前で叫び狂う中年の女性は、牧野湊の母親だそうだ。髪も化粧も乱れ、顔色も悪い。 「どうして湊を帰してくれなかったんですか! どうして倒れるまで」 「……湊様が、それを望んだからです」  伊織は淡々と表情も変えずに告げた。  そう返す他はなかった。そう返す決まりでもあるのだ。  湊の母親は「はぁ?」と半ば笑いながら涙をぼろぼろと(こぼ)す。 「死ぬまで働くのが? あの子の望みだったと?」 「彼は善良で真面目な人間でした。命ある限り蜂玉園へ尽くすと誓いを立て、それに従ったまでのこと。彼の死は、彼の望みの結果なのです」 「そんな話が通るわけ……!」  あぁ、殴られる。  避ける気になれずに伊織は目をつむったものの、 「――――待てっていったじゃん!」  聞き覚えのある声が割って入ってきたため、目を開いた。 「ごめん伊織! 湊の母ちゃんがどうしてもここに連れてこいって聞かなくって!」   湊の母親を寸前で食い止めたのは、新太だった。小柄な身で彼女をなんとか押さえつけながら、 「ここに来るまでっ、静かだったから! こんな風になるって思わなく……って!」 「……ここには来るなと言っただろう。キミは本当に頭が足らないね」 「ば、バカって言いたいなら! それは認めるから! 頼む伊織、嘘っぱちでも良いから! お前の母ちゃんの代わりに「ごめん」って言ってくれ! そしたらこの人も」 「それは出来ない」  キッパリと言い切ると、「えっ」と新太は顔を硬直させてしまう。  彼へもう一度、首を振ってみせた。 「出来ない」 「どうしてもか」 「……彼の死の運命は、彼が生まれた時から決まっていたものです。それを避けられなかったということは、私たちへの『尽くし』が浅かったということ」 「……お前、それ本気で言ってんのか」  新太に問われたため、無言で彼を見つめ返す。彼の目が丸く見開かれ、その後わなわなと形が崩れるまで数秒もかからなかった。 「お前のこと、少しは、信じてたのに」  新太から顔をそらす。他の信者が見ている中、表情を変えることは許されない。  彼の腕の力が緩んだはずみで、湊の母親に胸ぐらを掴まれた。 (いっそ殴ってくれ。その方が楽だ)  だが。案の定となりにいた榊原が、その拳を止める。 「これ以上暴れると、警察を呼ぶことになる」 「警察に捕まるべきは……! 貴方たちでしょう……!?」  湊の母親に睨まれても、榊原は無言を突き通している。偉丈夫な体つきの彼に腕を掴まれてしまっては、さすがに身動きもとれないようだった。 (殴らせないのは彼の優しさだ。警察は証拠が無ければ動かない。今この状況では殴った方が捕まってしまうんだ)  そんなことを言ったところで通じやしないだろう。しばらく膠着(こうちゃく)状態が続いたのち、湊の母親は糸が切れたようにその場に崩れ込む。  彼女が息子の名を呼びながら、抜け殻のように泣き続けた10数分は。酷く永遠のように感じた。
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