敵討ち    

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「ごめん。……勝手に、連れてきて」  ほとぼりが冷めたのち、門の前で新太は小さな声で謝ってきた。  湊の母親は別の家族に連れ帰られたらしい。立ち止まった彼へ、「いいや」と伊織は目を伏せる。 「よくあることだから、気にしなくていい」  そう返すと、「そっか」と新太は呟く。うつむいたのち、彼は「なあ」と問いかけてきた。 「さっき言ったこと、全部本音なのか」 「……答えかねる」 「くっそ、さっきから変な返事ばっかりしやがって」  しかめた新太の黒瞳が陽に照らされ、澄んだ夏色を映している。彼は拳を握り、苦虫を噛み潰したような笑みを浮かべた。 「あぁそっか、そうだよな。お前にとっちゃ湊なんて他人だし、信者の1人だし。……どうでもいいんだ、死んだところで『よくあること』だもんな? 分かったよ、分かった」  ひらり、彼は手をかざす。 「お前の言う通り、もうここには来ねーわ。じゃ」  背を向けた彼を見つめる。白い半袖Tシャツに黒い髪。遠ざかる影に目を伊織は細めた。  これでいい。これで彼は二度と我が家に関わることはない。  彼は平穏に過ごすべきだ。  これでいい。 「――――なんだよ」  蝉の音の中、門をくぐったところで速水新太が振り返る。  正午が近い夏の陽は焼けつくように暑かった。汗で着物がまとわりついて、熱気がこもる。  彼の腕を掴んでいる己の手に、伊織は視線を落とした。 「ちが……う」  口から言の葉が溢れゆく。  彼を、離すことができない。 「ちがう、ちがう、ちがう。……ごめ、俺、なにも」  自分が何を言っているのかも分からない。なぜ泣いているのかも分からない。  暑さで思考がやられてしまったのか。寝起きだから揺らいでしまっているのか。  視界がぼやけて呼吸が苦しい、上手く言葉が出てこない。  しばらく沈黙したのち、新太がぽつんと呟く。 「……オレさ。死んだ父ちゃんに言われたんだよな。『誰かを助けられる人になれ』って」  ふっと新太は困ったように微笑した。 「そんなに泣かれたら帰れねぇじゃん。あっはは、泣いても顔キレーだなお前」 「う、るさい」 「なぁ、どっかでメシ食おうせ。お前を悪い奴って思ったまま帰るの、なんかイヤだわ」 「でも俺、そんなことしたら」  蜂玉園の信者は外食ご法度である。ましてや次期女王である自分が許されるはずがない。  だが。後ろから「いいんじゃねぇの」と声が飛んでくる。 「どーせ別家の方に帰るんだろ? 寄り道くらいお天道様も(とが)めやしないさ」 「榊原……」  いつから後ろにいたのやら、彼は頼りになる体格で気のいい笑顔を浮かべている。 「玄関に荷物まとめといたから、さっさと着替えな。それ寝巻き用の着物よな、移動の間くらい洋の服に着替えたらどうだ。見とって暑苦しいぞ」 「……でも」 「おじさんが上手いこと言っておくから大丈夫だって! 女王様がお帰りになる前にさっさとしなされ」  背中をばんばんと叩かれ、伊織は戸惑いながらもうなずく。「力強いって」と呟くと、榊原は「悪い悪い」と軽く笑い飛ばしてくれた。
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