敵討ち    

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 という流れで遅めの昼食を買い、新太が1人で住まうアパートに帰宅したわけなのだが。 「えっと、どうした?」  テーブルに並べられた昼食を見るなり固まってしまった伊織を、新太は横から覗き込む。ようやくフードを外した彼は、汗でぐっしょりと髪の毛を貼り付けた顔で「いや」と呟き、 「こういうの……食べたことなくて」 「えっ、ハンバーガー食べたことねぇの?」 「テレビや本で見たことはある。……蜂玉園以外で購入できる飲食物は基本的に悪とされていて、(けが)れで寿命が縮むと言い聞かされ、規制されてきたんだ」 「やっべぇな……」  想像を超える回答に思わず絶句するも、伊織はハンバーガーを掴んでただ見つめている。そんな彼に「とりあえず食べようぜ」勧めてみると、伊織は慣れない手つきでハンバーガーにかぶりついた。  もぐ、もぐ、と咀嚼(そしゃく)している彼を見ながら新太もかぶりつく。クーラーが効いてきて涼しくなってきた部屋に、しばらく沈黙が流れる。 「えっと、無理して食わなくても」 「おいしい」  深刻にうつむいている様子とは裏腹に、伊織はまた一口食べる。 「おいしい……」  ぽろぽろ涙を落とす彼にぎょっとする。今日の彼は涙腺がバカなのだろうか。 「な、泣くほどっ?」 「一生食べれないと、思ってたから」  家から出ると比較的どこにでもある安いハンバーガー屋。新太は誰もが食べたことある味だと思っていたが、彼にとってはそうではないらしい。 (蜂玉園、だっけ。確かにでっけぇけど……一生を捧げるほどの場所なのか?)  しおらしく泣きながらハンバーガーを小さな口で食べる伊織はあまりにも上品で、なんとも不思議な光景だ。そしてどう見ても、蜂玉園が彼にとって心地良い場所ではないのも分かる。  コーラを飲み、「なぁ、伊織」と彼に呟いた。 「オレ、さ。……父ちゃんが10歳くらいの時に死んだんだ。それも1ヶ月くらい行方不明になってから、山ん中で首を吊った状態で」 「…………え」 「なんで死んだかさっぱりなんだよ。オレの父ちゃんけっこう有名な体操選手でさ。色んな記者に付きまとわれて、オレも母ちゃんもくったくた。大学に進学する時もさ『お父さんのようになりたいですか?』って聞いてくるんだぜ? 体育大学に入ったから聞かれてもしょうがねぇけどさ」 「なんで急に、そんな話を」  ぽかんとしている伊織に、新太はあぐらを崩しながら頰を掻く。 「一方的にお前のこと話せって言っても不平等だろ? だから先にオレのこと話した。そっちのが話しやすくね?」 「そういうものなのかな」  首を傾げた伊織だったが、やがてハンバーガーを見つめたまま、ぽつんと零す。 「……今日、牧野湊の母親には、申し訳ないことをした。あぁいうことを信者の親族友達に言われるのは何度も経験している。今日の言葉は、そういう客人への決まり文句だ」 「謝れなかったのも?」 「そうだ。謝ったら『牧野湊を殺した』と認めることになる。そうすれば刑事事件になりかねない。……絶対に、非を認めてはならないんだ」 「思ったんだけどさ。蜂玉園、だっけ。なんであそこの人たちやお前の母ちゃん捕まんねぇの? 人いっぱい死んでんだろ? 売春もしてるって言ってたし」 「暴力団構成員が捕まらないのと同じようなものだよ。決定的な証拠がないと警察は逮捕状を出すことはできない。それにあの蜂玉園に居る者は己の意思で動いている。当人たちは被害者意識が低いんだ」 「何かヤベェ証拠を見つけれたら捕まえれるってことなのか?」 「どうだろうね。蜂玉園は政治活動を行う者に無償で労働力を提供している。信者をタダ働きさせてるだけだけどね、労働力を提供する代わりに法的に見過ごしてもらっている部分も多いんだ」 「なんか、難しいな。……まぁでも、他の奴らは置いといて、だ。伊織、お前はどうなんだよ。その様子じゃ自分の家が変だって分かってんだろ。逃げようとは思わねぇのかよ」 「……逃げれるなら逃げたいさ。でも」  伊織は汗で湿っているもみあげを弄りながら、うつむいてしまう。 「無理だ。俺は『姫様』なんだ。逃げ出したところできっと追われる、連れ戻される。……それに俺には、やることが」 「そういや榊原(さかきばら)のおっちゃんも言ってたな。「やることがある」って。何なんだよ、それ」 「……説明すると長くなる。それでも、いいか」  伊織に見つめられ、「あぁ」とうなずく。姿勢を正すと、彼はハンバーガーを両手で握りながら薄い唇を開いた。
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