第二章 情報売買

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 速水新太(はやみあらた)の父親は、山の中で自死したそうだ。  著名な体操選手だったそうで、彼自身も現在体育大学の優秀な陸上選手を務めているらしい。それゆえに知り合った記者がいるらしく、その人を連れてくると彼は言った。 (……どうして、あんなに明るいんだ)  新太との会話を思い出しながら、伊織(いおり)は眉をしかめた。新太が最初に訪れてきた別家、その中にある仕事部屋で1人、冷たい茶が入った湯呑みを掴んだまま考える。窓の外ではじわじわと蝉が鳴き、結露(けつろ)で滲んだ雫が湯呑みを伝った。 (俺は過去を引きずる性格だ。嫌なことがあると忘れられない、考えずにはいられない。ずっと暗い影に囲われているような感覚だ、目をつむれば(よみがえ)ってしまうんだ)  母に厳しく育てられた。愛情なんてものは知らない。それでも愛されたくてもがいて、何度も失敗した。その度にトラウマが積もった。  10歳の時に親友が殺された時も。兄達に辛く当てられて暴力を振るわれた時も。全て覚えている、覚えてしまっている。時が経っても息苦しさは霞まず、喉を締め付けてくるばかり。 (新太は……父親の死をどう思っているのだろう。きっと辛かっただろう、泣いただろう。けれどその過去を微塵(みじん)も感じさせない。いたって平和に育ってきた顔つきだ。明るくて、お人好しで、まるで人の悪意なんて知らないような)  だからこそ、蜂玉園(ほうぎょくえん)などに関わらせたくはない。彼自身が優秀な選手であるならばなおさらだ。大切な学生時代をこんな組織のために使うなんて、時間をドブに捨てるようなものだ。 ――――『オレだって今ここで逃げたら(みなと)のことでずーっと悩むに決まってる!』 (死人の背中を追い続けるのは、きっと己の首を絞める行為だ。……何をしたところで、もう遅いのだから)  明るい彼ならば、それを諦めることが出来るのではないか。それを期待していたが、どうにもそういうわけにはいかないようで。  窓の外に目をやると、見覚えのある青年の姿がある。健康そうな肌に、短い黒髪。相変わらず元気そうな様子の彼、新太が門の前に立っていた。 「本当に予定通りに来たな……」  ため息を吐いて立ち上がる。待ちぼうけを食らわせて最初の時のように殴り込まれても困るので、出迎えることにした。
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