第一章 大安の出会い

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   唐突に呼び捨てにされたので伊織は目を丸くする。 「なんなんだ」  こういう場には変わり者が来ることも珍しくはない。伊織が首を傾げて呆れていれば、青年は掴みかかってきた警備員に「だーっ!」と叫ぶ。 「邪魔すんな! 俺はアイツに! 話があんの!」  警備員の手をすり抜けて、助走もつけずにひょいっと舞台へ登ってくる彼。身軽な猿のようだと伊織が驚いていれば、彼は迷いなく駆けてくる。 「その前に! まずはその顔を! 殴らせろ!」 「……警備員」  伊織が呟くや否や、青年は今度こそ警備員にしっかり捕らえられた。拳を振り上げた状態のままバタバタと暴れている姿は、実に哀れである。 (『殴らせろ』ってことは、信者の家族友達の誰かか。大切な人を洗脳してくれやがってと強い恨みをぶつけてくる者は大勢いる。……可哀想に)  身動きの取れない青年に歩み寄って頰に触れると、彼は「あ?」と眉をひそめた。 「テメーなんのつもりだ。っつーか離せって!」 「大人しくすれば用件だけ聞いてあげるよ。名前は?」 「……速水(はやみ)新太(あらた)。ハタチ、お前より年上だぞ」 「おや、私より年上とは驚きだ」  伊織がそう返すと、ぎりぎりと闘犬のように歯を()きだす彼。黒い髪を短く刈りそろえており、小柄で筋肉質な細身にまん丸つり目。実年齢よりも幼く見えた。  新太という名の彼は、舌打ちをしながらも暴れるのをやめて口を開く。 「オレは、アイツを……牧野湊(まきのみなと)を探しに来た! きっとここにいるんだ、間違いねぇんだ。……頼む。そいつを解放してくれ。大切な、友達なんだ」  先ほどの威勢とは打って変わり、細い声で懇願する彼。  湿ったつり目は切実な眼差しを放っていた。 (嫌な敵意は感じない。指示通り大人しくなったし、話し合いも通じそうだ)  殴らせろと駆けてきた時は警戒したものの、想定したほど危険な人物でもなさそうである。事情はやはり察した通りの様子だった。  彼へ微笑み、「そうか」と呟く。 「なら、少し待ってなさい。もちろん暴れないでね。……彼を休憩室へ連れて行ってくれないか」  警備員へ指示を出しながら、伊織は今日も今日とて舞台の方へ歩み出す。  観客に淹れた蜂蜜紅茶の香りが、ふわりと鼻腔へ触れた。
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