第一章 大安の出会い

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 ***  大安の出会いを無下にするのは勿体無い。速水新太の話を聞く気になったのは、そんな理由に過ぎなかった。  体に残る蜂蜜紅茶の香りに、伊織は眉をしかめる。 (この蜂蜜紅茶は信者へ最初に配る品であり、最初に売りつける品だ。序盤から高級な品は売りつけない。身近で手に取りやすい健康食品から徐々に商品の値を上げ、買い取らせるのが蜂玉園のやり方だ)  蜂玉園は養蜂も行なっている団体であり、それが蜂玉園という団体名の由来でもある。  売りつける蜂蜜は蜂玉園特製のもの。値は一般的な蜂蜜の3倍はするのだが、信者たちは万病をも治す薬と信じて、毎日欠かさず食している。 「ただの蜂蜜が万病に効くのなら、どれだけ幸福なことか」  公演が終わり、舞台を降りて施設内の廊下を歩みながら独り言を落とす。そんな嘘のような謳い文句を語るのが仕事だと理解していても、鵜呑みにする信者たちを目の当たりにするのは頭が痛い。  ため息を吐き、警備員に「お疲れ様」と声をかけながら休憩室の扉を開けた。  畳が敷かれた室内、その座布団の上には速水新太が不機嫌そうに、だが大人しく机の前に座って待ち構えていた。  開口一番に、彼はふてくされた顔で、 「遅かったな」 「公演は90分あるんだ。これでも普段よりは省略したんだよ、殴りかかってきたキミのために」 「……悪かったな」  意外にも優しい。礼儀知らずで口も悪いが、邪悪な敵意は有していない。  彼の前に座り、お辞儀をする。 「改めまして、八ノ宮伊織でございます。速水新太様、お手数ながら本日のご用件をもう一度、復唱してくださいませ」 「な、なんだよ急に改まって……オレ難しい言葉分かんねーんだよ。歳近いからオレのことも呼び捨てで良いし、タメで良いし」 「……了解。とりあえず、この紙に失せ人の名前と生年月日を書いてくれないか」 「うせびと?」 「いなくなったというキミの友達のことだよ」  そう言うと、新太は紙切れに不器用な字面で友人の名前と生年月日を書いてくれる。
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