【七瀬 杏⑩】

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【七瀬 杏⑩】

「く、ぁ……ぁぁぁ!」  スキル【絶対領域】のおかげか、自分が振るう剣の軌跡が最初から見えているかのように、俺の振り下ろした剣はマルコシアスの首を半ばまで切断した。  相手が咄嗟に身体を限界まで捻るようにして回避行動を取ったせいか、完全に首を断つまでには至らなかったが、おびただしい量の血液がどばどばと地面を濡らしていく。  ……あれは致命傷だろう。 「あ……はは。タカシ……だったよね。やっぱり、あんた面白いね。この前は手加減でもしてたわけ? そんなふうには見えなかったんだけどなぁ……」  徐々に声から力を失っていくマルコシアスだが、こちらを睨みつける眼には、まだ闘争の意思が残っているように感じられた。 「この傷だと、もうすぐあたしは死ぬ。けど……それだと魔王様に申し訳が立たないからさぁ」  そう言ったマルコシアスの身体が、一瞬のうちに深い体毛に覆われていく。  耳と尻尾がある以外はそれほど人間と変わらない外見をしていた相手が、伸びた爪や牙を剥き出しにして、姿形をより獣へと近づけていくではないか。  狼そのものとも違う、人間と獣の身体の長所を集めて戦闘に特化させたような姿は――美しくすらあった。 「……あんたぐらいは、道連れにしておかないとね」  俺の既存の知識で言い表すならば人狼へと変化したマルコシアスは、獣化して引き上げた身体能力を爆発させ、一瞬で俺の眼前へと移動した。 「は、やっ……」  【縮地】を使用して距離を取ろうとしたものの、逃げることを許さないとばかりにぴたりと追従してくる。  踏み込んだ地面が爆ぜるように陥没するほどの、馬鹿みたいな身体能力。 「逃がす、かぁぁ!」  スキルによる高速移動に身体能力だけで対抗するとか、本当に脳筋じゃねえか!  そんな悪態を心中で吐きながら、俺は自分の死を覚悟した。 「――させるかよぉ!」  狂爪が俺の身体を引き裂く寸前、翔吾が盾を構えながら全力でマルコシアスへと体当たりした。 「邪魔を……するなぁぁぁ!」  狂ったように暴れまわる相手の拳が盾にめり込み、鋼鉄で補強されている盾が大きくひしゃげる。 「ぐっ、ぁ……腕が」  命の灯火を燃やし尽くさんとするマルコシアスの抵抗は激しく、なおも拳を振り上げようとしたところで――……ぴたりとその動きが止まった。  半ば切断されている状態の首からは、大量の血液が失われ続けている。  この状態で……あれだけ動けたのが異常なのだ。  普通ならば、もう……。 「あ~あ……ここまでかぁ。エル……ごめん、ね――……」  そこまで口にして、マルコシアスは立ったまま事切れた。 「ふぅ……終わった、か。言峰さんは翔吾の怪我を頼む」  周囲で他の魔物と戦闘をしている兵士たちからは、四天王マルコシアスを倒したことへの歓喜の声が上がるも、まだ油断はできない。 「崇、さっきのスキルって……?」  七瀬からすれば、なんで自分と同じスキル使えるようになってんの? という疑問を抱いて当然だ。  そういえば、スキルをコピーしたことはまだ本人に教えてなかったな。  えーと、でもこれ、どう伝えればいいんだ?  俺が所持してるスキルは18禁のエロいやつで、お前を攻略することができたからスキルもコピーできたぜ、へへ。とか?  ……馬鹿か、俺は。 「詳しいことは後で説明する。とにかく、今は……」  魔王を――  そう口にしかけたところで、俺は背筋が凍りつきそうな悪寒を感じて身体が硬直する感覚に陥った。 「なん、だ、これ……」  カチカチと震えて、歯の根が合わない。  こんなこと、実際に起こり得るのか? 「……マルコシアスが、やられたか」  まだ周囲で魔物や兵士が戦闘を繰り広げていたが、俺たちの前に姿を現した人物が小さくそうつぶやくと、その喧騒が水を打ったかのように静まり返った。  魔物たちが戦闘行為を中断し、それを不審に思った兵士たちもまた、その人物に目を奪われている。  そいつは……透き通るような美しさを持ち合わせた女性だった。  昼天の月のように白く透明な肌は、触れるだけで壊れてしまいそうなほど繊細にみえる。 「これは、お前たちがやったのか?」  だが、血のように紅く染まった瞳が、一切の温度を感じさせない冷たさでこちらを窺っていた。 「……俺たちが倒した。お前は誰だ? また魔王軍四天王とか言うんじゃないだろうな?」 「わたしの名前はエル・ソルム。いや……お前たちには『魔王』と名乗ったほうが通りがいいだろう」  魔王エル・ソルムは、堂々とそんなことを言い放った。  視線を逸らすことを許してくれない圧倒的な存在感をビンビンに感じているこちらとしては、こいつが魔王であってくれたほうが嬉しい。  こいつが四天王レベルなら、魔王はもっと実力が上ってことだからな。 「おかしいな。そっちにはゲオルグさんが向かっていたはずなんだけど……?」  俺たちがマルコシアスと戦闘をしている間に、ゲオルグさんは魔王の本陣へ突撃したはずだ。  だというのに、なんで魔王がここに来てるの? おかしくない? 「ゲオルグというのは……コレのことか?」  魔王が冷淡な声とともに地面へと投げ捨てたモノが、ごろごろと転がってくる。  サッカーボールほどの大きさのソレは、ちょうど俺の正面にようにして、動きを止めた。 「ゲオルグ……さん?」  こんなもの、いくら精神が強化されたからといっても平気でいられるわけがない。  周囲の兵士たちは、無残にも地面へ転がされた生首を見て、半数以上が戦意を喪失したようだ。  かくいう俺も、魔王が攻撃動作に移ろうとしている姿を視界におさめながらも、一瞬判断が遅れた。 「何をぼけっとしてんだ! こいつさえ倒せば――……」  そう言って、俺を横へ押し飛ばしてくれた翔吾の身体が、ゴゥっと炎に包まれる。 「あ……がぁぁぁ、ぁ……ぁ」  傍にいるだけで皮膚が焼け焦げるほどの業火に襲われた翔吾は……数秒後には黒炭のような物に姿を変えていた。  ガシャンと崩れ落ちて飛び散る破片を見て、言峰さんが喉が千切れんばかりの悲鳴を上げる。 「嫌ぁぁぁぁぁ! 速水!? 嘘よ! あんたがこんな、簡単に死ぬはず……」  炭化してしまった翔吾の身体に飛びつくようにして、言峰さんが【癒やしの手】を発動するが、すでに生命活動を停止している翔吾だったものは、ぴくりとも反応しない。 「なんだ、そいつはお前の想い人だったのか? 悪いことをしたな。すぐに同じところへ送ってやろう」  魔王エル・ソルムは、淡々とそんなことを言い、まるで花を摘むかのような気軽さで言峰さんの胸を手刀で貫いた。 「う……ぐぅっ……あ、ぁ」  言峰さんの口から、ゴボッと血泡が吹き出る。 「こんのぉぉぉ!」  怒りに我を忘れ、魔王へと突っ込んでいったのは……七瀬だった。 「……仲間を殺されて怒っているのか? 奇遇だな。わたしも……今とても怒っているところだ」 「余裕しゃくしゃくで喋ってんじゃねえ!」  俺は七瀬の攻撃に合わせるようにして、魔王の首を両断するべく剣を振るう。  ……が、俺たちの攻撃は魔王にかすり傷すら付けることができない。  【絶対領域】のスキルのおかげで攻撃は命中するのだが、見えない壁のようなものに弾かれてしまうのだ。  なんだ、これ? 魔法? こんなの反則だろ。 「目障りだな……消え失せるがいい」  ちょこまかと動き回る俺たちを面倒に思ったのか、魔王がぶつぶつと呪文のようなものをつぶやくと、さきほどとは比べ物にならないほどの大火球が頭上に形成されていく。  ああ……これもう、無理だな。  あまりにも、桁が違う。 「崇……」  七瀬も諦めたかのように、俺の名前を呼んでいた。 「……大丈夫だ。俺はお前のことを守ると言ったろ?」  あの言葉を、嘘にするつもりはない。  皆と一緒に、必ずもとの世界へと笑って帰ろう。  どれだけ時間がかかろうとも、そうなるルートを見つけてみせる。  ――ああ、いちおう試しておくか。 (攻略対象に指定しようとした人物は、現時点から攻略することはできません。適切な時期へと遡り、攻略対象に指定してください)  いやまあ、ね。わかってたよ? こんな状況から、何をどう頑張ったって魔王エル・ソルムを攻略できるはずはない。  だけど状況が違えば、攻略することは可能なのかもしれない。  今は、それがわかっただけでも十分だ。 「魔王エル・ソルムとか言ったっけ?」  相手からすれば、死の間際に強がりを言っているだけに聞こえるだろう。  だけど、俺は本気だ。 「――お前は、俺が、必ず攻略してやるからな」 「……戯言を」  まるで、虫でも見るかのような冷徹な瞳。  次の瞬間、魔王が落下させた大火球は周囲一帯を焼け野原にし――……俺の身体も灰となった。
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