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たちなさま。
突然なんの話を始めるんだ、と思うかもしれないが聞いて欲しい。不思議と思うかもしれないし、そんなバカなと笑いたくなるかもしれない。しかしこれが、私の身に起きた紛れもない事実なのだ。どうかこれを、私の遺言だと思って聞き届けてほしい。君も医者だ、私に寄り添ってくれる心くらい持ち合わせているだろう?
ああ、ありがとう。君が寛容な人間で助かる。
実際、落ち着いたように見えるかもしれないが、今も私の頭の中では嵐が荒れ狂っているようなんだ。油断すると、理性を全部持っていかれそうになる。それくらい恐ろしいし、おかしくなりそうである。君に全てを話す、という使命感だけでどうにか自分を保っているに過ぎない。
事の発端は、私が勤務する病院に奇妙な患者が運ばれてきたことだった。
ああ、君も知っての通り、私も医者をしているのでね。その日は夜勤だった。眠気を覚ますためコーヒーを飲み、ストレッチをしているところで電話が鳴ってね。救急車が一台、うちの大学病院に飛び込んできたというわけなのさ。
運び込まれてきたのは二十代の女性だった。しかも全裸。どうやら風呂場で倒れたところを家族が発見し、119番通報をしたってことらしい。
彼女はストレッチャーに固定されていた。そして、両腕が血まみれなんだ。正確には、右腕の上腕部と、左手の掌と爪が、といえばいいか。
そしてストレッチャーの上で、ひたすらガタガタと体を揺らしながら(体を固定されていなければ両手をばたつかせていたのは間違いあるまい)ひたすら絶叫しているわけでね。
「いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい、いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!離せ、離して、離してよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
ぶくぶくと唇から泡を吹き、目を血走らせ、顔から出るもの全部出てる状態になって、血を吐きそうなほど絶叫している。
その時、特に大きく動いていたのが固定されている左腕だ。左手の指が、何かをひっかくようにうねうねと蠢き、宙をひっかいているのが恐ろしくてたまらなかった。
そう、どうやら彼女は、己の右腕を左手で、血が出るほどひっかいていたということらしいのだ。それもこのように金切声を上げながら。
「離してええええええええええええええええええ、ええええええええええええええええええええええええええええええ、えええええええええええええええええええええええええ!やぶらなきゃ、やぶらなきゃ、こわさなきゃ、こわさなきゃああああああああああああ!たちなさま、たちなさまが、たちなさまがあああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「落ち着いてください、落ち着いて!先生、点滴を!」
「あ、ああ……」
鎮静剤を投与して眠るまで、彼女はずうっと叫び続けていた。その中でも私は、彼女が言ったある言葉が気になって仕方なかった。
「……たちなさま?」
まるで、怯えるかのように。彼女ははっきりとその単語を口にしていたのだ。
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