「天狗になりやがって」と高笑いした男は己の迂闊さを呪っても救われない

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「天狗になりやがって」と高笑いした男は己の迂闊さを呪っても救われない

【天狗】 日本の伝承で伝説上の生きものとして多く語られ、神とも妖怪ともいわれる。 魔物、外法様とも。 由来は中国の凶星とされている。 赤い肌をして鼻が棒状であり、翼が生えて、山伏の格好をしている姿形が一般的。 「天狗になりやがって」が口癖の男がいた。 「調子にのっている」「傲慢になっている」と指摘する表現だが、彼の使い方は、すこし異なる。 ふだん存在感がない人の意外な一面が注目されると、冷やかすのだ。 とくに長所が際立って、まわりが感心するのが気に食わないらしい。 極端にいえば、男は自分より人が優れて、ちやほやされるのが許せないようで。 相当、面倒くさく扱いにくい人間だったが、会社では権力を持っていたに、だれも逆らえず、みんな自分が標的にならないよう、毎日びくびく。 腰ぎんちゃくは顔色を窺って媚を売るばかりで、男はつけあがるばかり。 上司以外は、なるべく男と関わらないようにしていたのだが、新入社員はそういった事情に疎く。 新入社員が研修を兼ねての合宿にいったとき。 引率役として彼と腰ぎんちゃくもついていき、といって、ろくに役割をこなさず、やりたい放題にふるまっていた。 早朝のハイキングももちろん顔をださず、堂堂と寝坊をして朝食会場へと。 会場はほぼ満席で、しかたなく新入社員のグループの隣に座ったところ、ハイキングで行ったという神社の話が。 「あの神社、おおきな天狗の像が飾ってあったな」 「天狗を祀っているのかな?でも、天狗って妖怪じゃなかったっけ?」 「そーいえば、天狗はメジャーな存在だけど、何者なのかはよく知らないな」 天狗についての疑問がとびかう中で、一人の新入社員が弁舌爽やかに説明をしだした。 「天狗は、もともと中国からの由来で不吉なものと見なされていたんだ。 けど、日本では、そのイメージが浸透しなくて、山の神として位置づけられた。 昔、山は異界と思われていて、人が踏みこめない領域や犯してはならない禁忌が定められていてね。 そういった人の行いを監視していたのが山の神であり、番人の天狗。 もし、山の掟を破ったら情け容赦なく人の手足を切り落としたり、子供相手だろうと攫ってしまう。 畏れおおい存在でありながら、人が山を荒さなければ、なにもしない。 たまに気まぐれで、山歩きや狩りに役立つことを教えてくれて、迷ったり遭難したときは助けてくれるんだよ」 ぱっと見、地味で冴えない新入社員が、とくと語ったのに「へーそうだんな!」「あらためて聞くと、おもしろいなあ!」「妖怪のことよく知ってんだな!」とまわりは褒めまくって。 「もっと、妖怪の話、聞かせてよ!」ともてはやすのを「ぶっふう!く、くく、ははははは!」と男は噴きだして、高笑い。 合宿の初めから「なんだ?あの不良グループみたいのは?」と新入社員は気にしていただけに、あきらかに好意的でない、刺刺しい笑いの響きに、一斉に口をつぐんだ。 天狗を語った彼から、みんなの注目を奪うと、ご飯粒をまき散らしながら喚きちらしたもので。 「たかが天狗に詳しいだけで天狗になってんじゃねーよ!あー、まじ受けるうう!」 「妖怪に詳しいとかキモ!」「爺臭くて鼻がぼげそうっすね!」「天狗だけに天狗!うまい!」と腰ぎんちゃくがよいしょしまくって大笑い。 彼らの下卑た笑いを響かせる以外、だれも声を発さず、朝食会場は静まりかえり空気が冷え冷えと。 「天狗」と茶化された彼は、まだ食事をはじめたばかりだったのが、立ちあがったなら、お盆をそのままに会場から去っていった。 朝食時間が終わり、リクリエーションタイムになるも、男と腰ぎんちゃくは合宿所から離れて例の天狗が祀られているという神社に。 天狗の木彫りの像を眺め「ちゃちい、つくりだなあ!」「これ小便かけられた跡じゃね!?」「間ぬけ顔で、ほんと山の神かよ!」とさんざん笑いものにし、本殿にむかおうとして「俺、ちょっと、トイレ」と男が離脱。 藪が生い茂って暗い、ちょうどいい場所があり「立ち入り禁止」の看板を無視し、しめ縄をまたいで奥のほうへ。 ズボンのチャックをおろして、放尿しようとしたとき。 突然、首をつかまれ、骨を軋ませるように圧迫されて。 腕ではなく、片手一本で、破格の怪力により、つかまれたまま、宙に浮かされた。 首つり状態になり、呼吸がままならず、足をじたばたしてると、背後の気配が近づき、耳元に囁いたもので。 「おぬしが弟の正体を見破った男か・・・。 よくも多くの者がいるなかで、鼻高々に暴露をしてくれたものだな」 頭に血が上って息苦しく眩暈もして、すぐに飲みこめない。 それでも、なんとか「正体?」「暴露?」と反芻し、朝食の一件を思いだす。 「いや、ちがう!俺は、あいつの正体を暴いたわけでは・・・!」と弁明したかったものを、いよいよ意識が朦朧としてきて失禁も。 「ふん、そう怯えずとも命はとらないでやる。 弟のために、ことを荒立てたくはないからな。 しかし、神主の警告に見向きもせず、我らの縄張りに踏みこんで穢そうとした罰当たりな奴だからな。 ここで脅したとして下山をすれば、懲りずに得意になって吹聴するにちがいない。 だったら、話せぬようにしよう・・・」 白目を剥いて体を痙攣させる男の、開いたままの口に、太い指が突っこまれる。 舌をつかんだなら、人ならざる怪力でもって引っぱって・・・。 腰ぎんちゃくたちが、本殿のまえで待っていたところ男は息も絶え絶えにふらついて歩いてきたそう。 顔下半分を真っ赤に、口からとめどなく血を垂れ流して。 急いで病院につれていったところ舌がなくなっていることが判明。 どうも、人為的に引きぬかれたようで警察が動いたものを、筆談できるはずが、男は黙秘。 なにも語らないまま、ある日、こつ然と病院から消え、失踪したとのこと。 一方で合宿の朝食で、先輩上司に「天狗になって笑える!」と辱められた新入社員は、毎日出勤し、こつこつせっせと真面目に働いているという。
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