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味を占めた網切は赤い糸を切ってさ迷いつづける
【網切(あみきり)】
さそりに似た見た目の妖怪。
詳細は知られていないが妖怪「髪切り」を参考にして描かれたのではないかと云われている。
昭和、平成の文献では、蚊帳や干してある漁の網を切り裂く妖怪と説明されている。
高校で、わたしは手芸部に所属。
毛糸の編み物を得意とし、今はすこし黒みがかった赤のマフラーを編んでいる。
季節はちょうど冬にさしかかり、彼氏の誕生日が近かったから。
といって「彼氏のプレゼント用なんです!」とひけらかさなかったものを、まわりには、ばればれで「よーラブラブだねえ」と冷やかされながら、黙黙と作業。
幼いころから、祖母に教えられて編み物をしているに手慣れたもので、途中までは順調。
このまま滞りなく編んでいけば、彼氏の誕生日に十分、間にあうと見こんでいたのが。
その日、編んでいる最中に毛糸が十本くらい切れた。
編み物をしている最中、毛糸が切れるなんて初めて。
「どうしてかなあ?」と首をひねりつつ、編みなおしたものを、翌日も翌々日も毛糸が切れてしまい。
ため息をついて、糸をほどいていると「これ、妖怪のしわざじゃない?」と友人が笑いながら指摘。
「よ、妖怪?」
「網切りっていってね、カニとかサソリとか手にハサミのある生物のような姿をしているの。
で、名のとおり網を切り裂くらしいよ」
「なんのために?」と聞くも「さあ」と肩をすくめる。
「ま、縁起はよくないんじゃない?
あんたと彼氏が縁を切ったほうがいいって、妖怪が知らせてくれているのかもよ。
ほら、小指に結んであって運命の人とつながっているのが赤い糸とかいうし。
ちょうどこの毛糸も赤でしょ」
不吉なことを意気揚々と話す友人は、もともと、わたしと彼氏の交際をよく思っていない。
こうして、なにかにつけ、いちゃもんをつけ、前に「もしかして、わたしの彼氏のことが好きなの?」と聞いたときは「やめてよ、あんな無神経な男」と鼻で笑われたもので。
彼氏がからむ以外は、人懐こく陽気でつきあいやすい。
といって、やっぱり彼氏をこきおろされるのは、かなり心外。
だったら「それ以上、文句をいうなら絶交するから」と毅然と対応すればいいものを、性格上、強気な態度がとれないし、距離を置きたくても、すり寄ってこられると受けいれてしまうし。
「親友」と呼べるほどの仲ではないと思うが、学校では四六時中べったり。
すこし苦手意識があるにも関わらず、彼女が親友面をしてそばにいるのを、どうして許してしまうのか・・・。
高校入学してから、ずっと疑問なことを、あらためて考えながら編み物をしていると、また毛糸が切れた。
つい辺りを見渡したとはいえ、友人は不在。
ほっとしつつ、眉をしかめて糸をほどいていると「なんか、呪われているみたねえ」と先輩も不吉なことを。
「もう、やめてくださいよ。
でも、たしかに、ちょっと、おかしいんですよね。
毛糸が粗悪品なのかと思って、新しく買ったのが、また、こんなんで・・・」
「うーん、だったら、あんま考えたくないけど云っていいかなあ?
呪われていないというなら、もしかして、だれか毛糸に切れ目をいれているんじゃない?」
思わず先輩を見あげて絶句。
その発想がまったくなかったに目から鱗だったのだが「だれかに恨みや怒りを買った覚えは?」と聞かれて首をふった。
すかさず否定したのとは裏腹に、じつは心当たりがおおあり。
部活が済んで帰宅。
したと見せかけ、学校にもどって家庭科室のドアに手をかけると。
施錠してあるはずが、ドアがスライド。
夕日がしずみかけの時間帯、うす暗い室内に果たしていたのは友人。
わたしの編みかけの黒みがかった赤のマフラーを持ち、糸切りバサミの刃を網目に引っかけていたもので。
予測していたとはいえ、現場を目の当たりにし、あらためて愕然。
「どうして・・・」と声を震わせ、室内に踏みいろうとしたら、ばちん!と毛糸を切る音が響き、肩を跳ねて立ち止まる。
「あんたが、彼氏と別れないから!」
「だ、だから、なんでよ。
彼のこと好きじゃないくせに別れさせたいって意味わかんな・・・」
「成績優秀で顏もよくて、コミュニケーション能力も高いわたしのほうが、いいに決まっているじゃない!
あんなテストで0点をとるような低能で愚鈍な男より、わたしは、あんたを大切にしてあげられる!」
「そういうことか」と得心したものを、心が揺らぐことはなく。
友人が「無神経」と評した彼氏のそこに、わたしは惹かれていたから。
自分が神経質で物事を深刻にとらえがちだからこそ、テストで0点をとって「やべえ」と笑いとばすような彼といると、気が楽なのだ。
わるくいえば、浅はかで、よくいえば、率直だから、その言動を深読みしないでよく、実際、裏切られたり、騙されたことはない。
逆に友人は人一倍賢く、やけに勘が鋭いからこそ、いちいち言動に含みがあるようで警戒をせざるをえず、いっしょに居ると疲れてしまう。
彼氏と比べると、上回る好意を持つことはできないし、大体、こうしたいやがらせをされて、胸がときめくわけないだろう。
「ばかじゃないの!
こうして、わたしを傷つける真似をして、おまけに犯人のくせに、なんにも知らないふりして、妖怪を持ちだして偉そうに語って、なにが大切にしてあげるよ!
彼氏より、あんたを好きになることなんて絶対ない!
一生、ないんだから!」
激昂してまくしたてれれば「一生・・・?」と悲しげな顔を。
つい言葉をつまらせたところで、一転、友人は鬼のような形相になり「そんなはずはない!」と手を掲げてみせた。
「わたしとあんたは赤い糸でつながっているんだから!
運命の相手はわたしと決まっているの!」
「なんて妄言を」と呆れたのもつかの間、体に異常な絞めつけが。
見てみると胸から膝まで、赤い糸の網がからまって、友人が手を引くたびに絞めつけが強くなる。
網から一本でた糸は、たしかに友人の小指に結ばれていて。
そりゃあ、びっくりしたとはいえ、この絞めつけられる感覚に覚えがないでもなく。
中学生まで新体操をしていたわたしは、体が柔軟だったのが、高校生になって、屈伸しても床に手が届かなくなり、また、ひどい全身の凝りに悩まされるように。
友人の小指とつながった赤い網が原因だったのかもしれない。
だとしたら、高校入学初日から、急激にこの症状がでたに一目惚れだったというのか・・・。
いや、ほんとうに運命の相手なら小指と小指が赤い糸でつながっているはずで、これでは。
「こんなの、あんたの醜い欲にまみれた束縛でしかない!
逃げられないよう網で絞めつけている相手が、運命の人のわけないでしょ!」
正論を突きつけたはずが逆効果だったようで「どうしても運命に逆らうというのね!」とさらに強く小指を引っぱり、泣き叫んだことには。
「わたしのものにならないなら道づれに死んでやる!
赤い糸が切れたあと、他のだれかと結ばれるなんて死んでも御免よ!」
小指に力をこめつつ、勢いよく走って、開けっ放しの窓から跳びおりた。
肌が裂けそうに網に絞めつけられ、友人の体重がかかった糸に引きずられてしまう。
なんとか、踏んばっているとはいえ、体力が尽きれば、一気に引きずりこまれ、友人につづいて四階から地面に叩きつけられるだろう。
呪われたような欺瞞の赤い糸で道連れにされるなんて、こちらこそ御免だ!
くじけそうになるのを奮い立たせ、なんとか腰をしずめて、さっき友人が放った糸きりバサミを拾う。
体勢を変えたことで、かなり引きずられ、窓際まで到達したものを、歯を食いしばって手首をひねり、小指につながった一本をばちん!
次の瞬間、絞めつけがふっと緩み、ふっとばされるように体を反らしたまま倒れた。
床に頭を打って目を回していると、すこしもせず、階下から運動部の子たちが騒ぎたてるのが聞こえたとはいえ、もちろん、窓から覗く意気地はなく。
体に絡みついていた赤い網がぶちぶちと切れて床に落ちていくのを、ぼんやりと見ていた。
その日の夕方を境に体は柔軟性をとりもどし、全身の凝りもきれいさっぱり消失。
友人が命を落としたとはいえ、へたしたら一生、つきまとわれていただろうから、その危機が去り、これにて一件落着。
というわけにはいかなかった。
高校入学以降ずっと、じつは友人の束縛による窮屈さや息ぐるしさに悩んでいたわけだが、いざ、解放されると、なんと物足りなさを覚えてしまい。
と同時に、人に絡みつく赤い網が見えるように。
だれしも、それぞれ程度はあれど、だれかに束縛されているらしい。
なかには、網が深く食いこんで、血が滴っている人も。
そんな呪われているような人を見ると、耐えられずに友人の忘れ形見の糸切りバサミで網を切ってしまう。
同情して助けているのではない。
羨ましく妬ましく歯がゆくたまらないからだ。
そんな心境の変化があって、彼氏とは別れた。
結局、彼女の望みどおりなったのは気にくわないが、彼氏はちっとも束縛してくれないし、小指に赤い糸を結んでもいないのだから、しかたない。
きっと、友人のように狂おしいほど赤い網で絞めつけてくれる人は、一生、現われないだろう。
あの絞めつけを恋しがるあまり、今日もまた、糸切バサミを持ち歩き、人に絡まった赤い網を切っていく。
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