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近所トラブルに不可欠な赤舌にして世の理不尽はままならない
【赤舌】
黒い雲に覆われて毛むくじゃらの顔と鋭い爪のある手を覗かせる。
大きく開けた口から垂れ下がるのは長い舌。
絵巻などでは説明がないので詳細は不明。
歴や陰陽道などに関する赤舌神、赤舌日と関係があるのではないかと指摘されていたり、一種の絵解きではなかとの説がある。
会社の権力闘争に巻きこまれて、ほとほと人づきあいに嫌気が。
「町を離れて、あまり人のいないところで暮らしたい」とぼやいたら、ちょうど叔父叔母から「畑と田んぼを継いでくれないか」と話が。
すぐに会社を辞めた私は、叔父叔母と同居生活をしながら野菜と米づくりの勉強を。
「また人間関係がこじれるのではないか」との心配もなんのその、叔父叔母も近所の人も礼儀正しく節度があり、親しみやすかった。
「若い子がきて活気づく」と歓迎しながらも、私事に踏みこみすぎず「結婚は?」「子供は?」などと余計な口も叩かず。
適度な距離を保ちつつ、お互いを気にかけ助けあう人づきあいの仕方は理想的。
環境に恵まれたおかげで、社会で摩耗した心身が回復していったものの、矢先に揉め事が。
事の発端は、隣の畑の老人、悟さんが倒れたこと。
救急車で運ばれ、しばし入院してから老人ホームに入居。
「さて畑はどうするのか」と首をひねっていたら、翌日、私と年が近そうな女性が畑に出現。
挨拶をしようとするも、散布している農薬が降りかかって一旦、退散。
そのあとも農薬をまき散らし、うちの畑にもかけまくり。
止めようとすれば、私に農薬を浴びせてくるから話にならず。
弱気な私はそれ以上、食ってかかれずに帰宅。
叔父叔母の家のまえには近所の人が集まり、ちょうど彼女の話をしていた。
畑にいた彼女は、倒れた悟さんの孫にあたるらしい。
私と同じく畑と田んぼを継ぐべく移住してきたようだが、近所を挨拶して回ることなく、こちらから声をかけても無視。
近所の人は皆、友好的、平和的だから、頑なに人を寄せつけない彼女のようなタイプをどう扱ったらいいのか分からず、困っているよう。
不安そうな顔をする彼らに、農薬の件を知らせると、さらに眉尻を下げた。
それぞれの畑の耕し方はちがう。
できるだけ農薬を使わないところがあれば、使うにしろ種類や量はばらばら。
だから隣の畑との境目に農薬をまくときは注意を。
未使用のところに散布したり、別種の農薬が混ざったりしないよう、でなければ、農作物にどんな影響がでるか分からないから。
なんて基本中の基本の常識を彼女は知らないのだろうか。
「まあ悟さんが倒れて老人ホームにはいったのは急だしな」と皆はため息をつき、彼女の元へ。
すでに農薬をまきおわっていたが、こんどは農業用水をせき止めて、田んぼに水をいれていたもので。
農業用水は水利権がある農家が共有するもの。
たとえ田んぼに水を張るのに時間がかかるとしても、独占するような真似をしてはいけない。
それに悟さんの畑は、いちばん上流にあるから、せき止めると他の畑や田んぼに一切、水がこなくなるから困る。
その説明をして「悟さんは、そんことしなかったよ」と聞かせるも「暗黙の了解ってやつでしょ!くだらない!」と一蹴。
「法律違反しているわけじゃないし!
私を止めようってなら警察をつれてきなさいよ!」
乱暴に屁理屈をこねて、意見を押し通す厄介な相手。
近所の関係が良好すぎただけに、こういったトラブルメーカーの耐性がなく、対応を持て余してしまい。
会社勤めの経験がある私にしろお手上げ。
唯我独尊的な人間に翻弄されるのに胃を痛くして逃げてきた田舎で、また心労を抱えて頭を痛くするとは。
以降も彼女は蛮行を継続。
軽トラックで人の畑や田んぼに突っこむ、落ちる。
田んぼの水を溢れさせて隣の畑を水びだしにする。
夜にほかの家の農機具をかってに持ちだして使う。
畑から野菜や果物、納屋から肥料や栄養剤を盗む。
評判のいい畑の土を大量に掘り起し、自分の畑に埋める。
不用の土や泥をほかの畑に捨てて山盛りにする。
ネットで調べたら畑や田んぼのトラブルに対しては、証拠を集めて警察か司法に訴えることができるらしい。
が、叔父叔母も近所の人も温厚だから「そこまでするのは・・・」と足踏みをして、その間も彼女のやりたい放題。
「赤舌さん」も傍観しているし。
赤舌さんとは、ずんぐりむっくりとした熊のような見た目の中年男性で、山奥で一人暮らし。
近所の人がいうには、いつからか山奥に住みつき、まったく素性は知れないという。
山で猟をしつつ、農作業を手伝ったり、近所で男手がいるとき助けてくれたり、子供の遊び相手になったり。
名前も不明ながら、周りから慕われて、舌が真っ赤で異様に長いことから子供が「赤舌」とあだ名をつけたのが呼び名になったとか。
そうして信頼されるようになったのは、なにより揉め事の仲介がうまかったから。
赤舌さんが間にはいれば、たいてい両者ともおさまりがつき、後腐れもない。
たとえば子供がボール遊びをしていて、近所の家の窓を割った場合。
子供を謝らせるだけで済まさず、また親に弁償させることもしない。
新しい窓の費用が四万円だったとして、最低賃金で割る。
大体、四十時間くらいで、それをボール遊びをしていた五人で割り、一人が八時間。
その八時間分を償うのに、窓を割った家のお手伝いをするという。
今のは分かりやすい例えだが、つまり犯した罪を数値化し、償う分も数値にして、実感しやすくするのだ。
もし両方に落ち度があれば、お互い数値化されただけ償いあう。
「俺は一ミリもわるくない!」とどれだけ強情に突っぱねる人も、赤舌さんが宥めて促すと、黙黙と償いをするから不思議。
近所の人がいうには、昔は諍いが絶えなかったのが、赤舌さんが取りもつようになって、今のように平穏になったのだと。
おかげでやんちゃ盛りの子供たちも、赤舌さんの前だとやや緊張しつつも従順。
まあ、子供の場合「赤舌さんの機嫌を損ねると、あの赤くて長い舌で食べられるかも」と妖怪のように見て、おそれてもいたが。
トラブルが多い近所に一人はほしい、そんな赤舌さんが近所の畑や田んぼを荒し回る彼女を止めようとせず。
私たちが「どうか話しあいの場を設けてくれ」と頼みこんでも、首を振り「悟さんには恩義があるから」と辛そうな顔を。
「まだ恩返しがしきれていなくて。
代わりにできるのは孫である彼女を見過すくらい・・・」
罪を数値化したり、具体的な償いをさせる赤舌さんなので、もとより律儀だし、自分にも厳しいのだろう。
悟さんへの恩義に縛られて身動きができないうちに彼女の暴走はエスカレート。
なんと農業用水にダムのようなものをつくり、畑にスプリンクラーを設置。
これまでは農業用水がせき止められても、彼女がいないうちに板を外していたのが「これで私の水を盗めなくなったでしょ!」と高笑い。
野菜づくりの大事な時期のこと。
農業用水を頼らず作業をするのは大変だし、量が足りないしで、結果、収獲は不作。
そもそも野菜や米づくりは儲けになりにくいというのに。
近所でも年金暮らしの人が、あまり儲けを考えず、農業をしているなか、自然の猛威でなく人の手によって損害を与えられるのは、なんとも、やりきれない。
「もう、でるところにでるしか」と私たちは考えだし、でも、その前にもう一度、話しあってみようと彼女の畑へ。
まあ、案の定「これを壊したら逆に警察に通報するから!」と吠えられたとはいえ「そこまでだ」と赤舌さんが登場。
「これまでの狼藉、そして今回の農業用水の無断での独り占め。
それらのせいで恩返しする分を、あなたは帳消しにしただけでなく、はかり知れない罪を負ってしまった。
農業用水を独占して、ほかの畑の収穫に多大な影響を与えるなんて、農家として言語道断に許されないことだ」
「許されない!?
だったら今すぐ警察を呼んでこいっていっているでしょ!
警察や司法が私を捕まえて裁くなら従うけど、私はあんたの口車に乗らないから!
ほかの畑や田んぼで償いの労働をさせられるなんて死んだほうがましよ!」
「そうだろうね・・・。
俺の言葉が届くのは、もともと罪悪感のある人だけ。
あなたには罰を与えるしかない」
「罰」と口にしたのに、ざわめく私たち。
たしかに彼は人を裁き刑を執行するような真似をしていたが、決して罪のある相手を責めたり叱ったりはしなかったから。
ふだんから気が優しいうえに、喧嘩の仲介をするときも感情的にならず、笑みを絶やさない赤舌さんが、どんな罰を与えるというのか。
「怒ると、おそろしいのでは・・・」と私たちは固唾を飲むも「罰ねえ!」と彼女は笑いとばす。
その矢先、電話の着信音が。
舌打ちをして携帯を耳に当てた彼女は、みるみる顔を険しくして「孝弘が!?」と絶叫。
「あんた、孝弘になにをしたの!?」と赤舌さんに掴みかかったのに、私たちが止めにはいって事情を聞いたところ。
彼女には幼い息子がいて、都会で父親と住んでいるという。
電話はその父親からで「孝弘が攫われた!」との報告。
近所の道を自転車で走っていたところ、急に空に暗雲がたちこめ、どうしてか、その雲が地上付近におりてきた。
そして息子さんを飲みこみ、そのまま空に攫ったと。
目撃者曰く「雲から巨大で長く赤い舌がでてきて、あの子を巻きとった」とか。
都会から離れたこの地に赤舌さんは、私たちと共にいたからアリバイがある。
それでも忠告された直後に「長く赤い舌に息子が巻きとられた」と聞かされれば疑うだろう。
超常、怪奇現象の真偽を疑わないのは不思議であるものの「息子を返せ!」と彼女は睨みつけ喚きまくり。
対して赤舌さんが無表情、無言で冷ややかに見かえすのに、そのうち「お願い、謝るからあ、息子をどうか、どうか・・・」とすがりはじめた。
「息子はいじめられて、でも学校はいじめたほうを擁護して、親も『いじめられるほうがわるい』ってばかりに私たちを嘲笑った・・・。
胃に穴が開くような、そんな辛酸を嘗めたから、過剰に人を警戒して威嚇してしまったのよ。
息子が不登校のままだから苛苛もして。
そんな息子に、私ががんばって耕した畑や田んぼを見せたら立ち直ってくれるんじゃないかって、つい躍起になって、まわりが見えなくなったのだと思う」
「だから、どうか、どうか・・・」と泣き崩れるのに心を揺らして「もう勘弁しては」と私たちも頼みこむ。
目を細めた赤舌さんはしゃがみこみ、彼女に顔を近づけると「あなた、また罪を重ねたな」とどすの利いた声で。
「嘘泣きをして嘘八百を並べ立てて、しかも息子をだしに同情を引こうとした。
べらべらしゃべっていたが、結局、一言も謝っていないし、謝るつもりがないんだろ?」
顔を強ばらせて言葉につまる彼女。
図星をつかれたような反応を見て、私たちが呆気にとられる一方で赤舌さんは「息子はうまかったよ」とにんまり。
赤く長い舌を突きだして、地面に吐きだしたのは、小さい指だった。
小さい指を目の当たりにし、彼女は発狂。
指にはホクロがあり、息子さんの特徴と酷似しているという。
鎌をにぎりしめ赤舌さんに襲いかかるのを、近所の人総出で押さえこみ、一時的に悟さんの家に監禁。
彼女の夫に連絡をとって引きとってもらい、そのとき聞いたことには、やはり息子さんは行方不明のままだと。
そうしてやっと疫病神のような彼女が去り、近所は平和になったものを、どんどん人は引っ越し。
叔父叔母もでていって、近所にのこったのは私と赤舌さんだけ。
廃村のようになった近所で私は一人で暮らし、ほかの畑や田んぼを見回ったり手入れをしたり。
たまに野菜や米を持って赤舌さんに会いにいき、猟で獲ったものや茸や山菜と物々交換。
その日は饅頭を持っていったので、縁側で二人してお茶を。
それまで近所の人が一斉に去っていったことを触れないでいたのが、ふと「あなたは、俺がこわくないのか?」と聞かれて。
しばし沈黙してから、おもむろにスマホを取りだして見せた。
「この人、見てのとおり結婚したんですけど、私、彼女のせいで会社を辞めたんですよね。
彼女は出世のため『女性が活躍できる会社にするため改革を!』ってスローガンを喧伝して、女性社員を巻きこんだんです。
私のような、べつに会社に不満があるわけでないし女性差別を実感しない人も。
女というだけで同調圧力で支配して、従わなければ村八分にして。
やたらと男と女の対立を煽ったおかげで、人間関係は壊滅的になったし、通常業務はできないし。
そうして火がないところに煙を立てつづけるから、私はいやになって逃げたんですけど、まあ、やっぱり出世はできなかったようで。
で、『女は仕事だけが幸せじゃない!』ってセレブと結婚したわけです」
「『女は仕事が命!』ってさんざん周りを振りまわしておいて、こんなに幸せそうな顔をしちゃって・・・」と苦笑すれば「その人に償わせたい?」と聞かれたので、首をふる。
「過ちを放置したまま、彼女のように天罰がくだされることもなく幸せをつかむ人はけっこういる。
それが不条理な世の中の一面だと、割りきることが私にはできなかった」
「だから、ここに居たいんです」と笑いかけつつ、赤舌さんが吐きだした小さい指を思いだし「自分を戒めることもできるから」と付け足す。
やや首をひねった赤舌さんは「変わった人間がいるものだ」と呟き、遠い目を山の下の町へと向けたものだ。
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