祀りあげられたおとろしは、拝まれようと人を騙そうとただただ存在する

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祀りあげられたおとろしは、拝まれようと人を騙そうとただただ存在する

【おとろし】 髪が長く、おおきな顔に前髪が垂れて、胴体はないように絵巻には絵巻には描かれている。 江戸時代の絵巻には解説がなく、伝承などの文献がないため詳細は知れない。 昭和、平成時代の図鑑などには解説されているが、創作ではないかと指摘されている。 私が働くスーパーに、新しく彼女がパートとして入社。 気さくで快活で、共に働きやすい人材と思ったのが、一か月経ったころ新興宗教の勧誘をしだした。 噂で聞いたところ「おとろし」を崇拝するとか。 おとろしとは、髪が長く、巨大な顔をした妖怪。 口と鼻の穴が大きく、長い牙を見せつけ、ぎょろりとした目。 もし信心が足りないと空から生首が降ってきて、人を押しつぶして殺すという。 「崇拝する対象にふさわしくないのでは?」と思うも、なんのその。 私からしたら荒唐無稽で胡散くさい彼女の布教ぶりなれど、気がつけば、従業員の多くが入信を。 それにしても彼女がまくしたてる教えを血走った目をして聞き、給料のほとんどを献金するのは異常。 おとろし様に心酔しているというよりは、信心を疑われるのを、なにがなんでも避けたよう。 いや、慄いているのはおとろし様にではなく、同調圧力にかもしれない。 おとろし様のありがたいお告げを彼女が語るときに、あくびをしようものなら「なんという不届き者だ!恥を知れ!」「おとろし様はお見逃しにならないぞ!覚悟しろ!」と包囲しての叱責の嵐。 袋で渡す献金は、本人以外、中身を知らないはずが、金額がすくない人はすぐにばれて「だし惜しみするのは、おとろし様を舐めているからだ!」「何回も押しつぶされて、骨も粉々になればいい!」と尽きない罵倒で袋叩き。 彼女がいうところの信心が足りていない人を咎めるのは、おとろし様ではなく信者たち。 「信心」に過敏になり、監視しあい、密告しあうお互いに怯えているだけ。 そうして疑心暗鬼に陥れば彼女がすこし誘導するだけで、リンチに走ってしまうというもの。 からくりを知れば、なんてことはないが、冷静に分析できるのは、かつて親戚が新興宗教にのめりこみ、その揉め事に巻きこまれた経験があるから。 今やスーパーで勧誘を拒んでいるのは、そんな私と、住職の息子さんだという大学生の彼くらい。 彼は寺を継ぐための修行中で、その合間にアルバイトをしているとかで、殊勝な若者だと評判。 やはり、古来の仏に仕える身としては思うところがあるのか、彼女があの手この手で誘っても、まわりが脅すように説得をしても、我関せずの姿勢を維持。 そこまで断固として拒めない私は、仕事が忙しいふりをしたり、そそくさと帰ったりと、距離を置いていたものの、いよいよスーパーが彼女の支配下になってしまい。 前は和気あいあいとしていたのが、今やお互い殺気だって睨みあう、息がつまるようなぎすぎすとした空気に。 店の雰囲気は殺伐としているし、従業員は宗教まっしぐらで仕事をせず、まともな営業が成り立たない状況に。 もちろん、格段に客が減り、本部からお叱りを受けているだろう店長は、はじめのほうに信者になって今や狂信的なほうだから、お手上げ。 みるみる店が荒んでいくなか、私と大学生の彼だけが、来店してくれた客の対応をして粘っていたのが、彼女は目障りだったよう。 その日、出勤したら彼女と信者たちに取り囲まれた。 隣には、冷めた顔をした大学生の彼。 「おとろし様を拝んでお布施をしないと、巨大な生首に叩きつぶされてミンチにされて食べられるんだから!」と彼女が高らかに叫んだのを皮切りに、怒り狂った信者たちが罵声を浴びせてくる。 魔女狩りのような有様に怯むどころか「はじめと設定がちがうじゃない」と呆れたし、だんだん怒りが。 べつにパートだから、宗教汚染されて潰れかけのスーパーなんか辞めたっていい。 ただ、新興宗教とずぶずぶだった親戚のことが思いだされて。 人を救うのではなく破滅させることに勤しむ宗教に、そりゃあ関わりたくないが、妄信的な親戚と絶縁せざるを得なかったように、こちらが身を引くばかりではおもしろくない。 「どうせ、あんたたち口だけじゃない。 もし、おとろし様が現われなかったらどうするの? 今までは暴言をするだけだったけど、いよいよ自分たちの手で私をミンチにする?」 「そこまでの覚悟があるの?」と問えば、まわりは動揺したらしく、怒声を飲んでざわめく。 まさか反抗してくるとは思わなかったのか、顔を真っ赤に震える彼女が、口を開こうとしたとき「もし」と隣の彼が発言を。 「あなたの信仰心が一欠けらも不純でないなら、俺も信者になってもいい。 ただ、俺にはあなたが支配欲を満たし、金儲けをしたがっているとしか思えない。 それに、おとろしは、俺の知るのとはちがう」 「支配欲を満たし、金儲けがしたい」とはまさに。 狂信的に見える信者にも、彼女への疑念がなくもないのだろう。 彼が率直に核心をついたのに、だれも抗弁も反論もせず、目を伏せてもじもじ。 一方で彼女は苛だちを隠さず、舌打ちをして「証拠は!証拠はあるっていうの!」とみっともなく喚きちらす。 「証拠はないけど、証明はできるかもしれない。 どうせ営業できないし、今日はスーパーを休みにして、ちょっと俺につきあってくれませんか?」 信仰心が無垢なものか、邪なものか。 人の心のなかを覗けない以上、証明のしようがない。 たとえ試すような真似をしても、この若造の倍は生きている自分の経験値に物をいわせて、口八丁で打ちのめしてやる。 なんて思惑が丸見えで、彼女は「いいでしょう」と勝ち誇ったような笑みを。 心配になった私は「だいじょうぶ?」と声をかけつつ、泰然自若とする彼がなにをするのか興味があり、ついていくことに。 果たして到着したのは、スーパーの近くにある小山、そのてっぺん付近に建つ寺。 彼が継ぐという寺だろうか。 葬式をしているらしく、黒ずくめの人たちが、うつむいて門をくぐっていく。 「なんなのよ?葬式にきた人たちを改宗させろとでもいうの?」との彼女の挑発に乗らず「いえ」と澄ましたまま、ふりむく彼。 「彼らにつづいて、門をくぐるだけでいいんです」 「それだけ?」と高笑いしながら、門をくぐり、石畳を足で踏みしめたそのとき。 晴天のどこからともなく、巨大な腕が伸びて、彼女の服の襟をつまむと引っぱりあげた。 信者たちが悲鳴をあげるなか、そのまま彼女は空に吸いこまれそうだったが、途中で手が止まって宙ぶらりんに。 半泣きの彼女が喚きちらし、助けを求めるのにかまわず、私や信者たちに、彼が説明したことには。 「俺の知るおとろしは、あれです。 生まれてから一回も、神社仏閣に訪れていない人が、葬式のとき寺などに踏みいったときに、ああして宙づりにする」 目を丸くして見あげる彼らは、彼女に強迫観念を植えつけられつつ、現実におとろし様を見ることはなかった。 対して、今は目のまえで超常現象が起こっている。 奇跡を起こしたといっていい彼の言葉のほうが断然、説得力があって、すがるような顔をして聞きいる諸君。 「まあ、つまり彼女は、生まれてから一回も神社や寺に参拝、参詣をしていないということです。 ふつうなら、ありえないのですが、そういう家庭の方針だったのか、神社仏閣にアレルギーでもあったのか・・・。 今、寺にはいったのは、俺の挑戦にむきになって応じただけでしょうが。 なににしろ、古来の神道や仏教に、かなりの拒絶感を持つ彼女なので、その信条をあなたたち信者にも押しつけるかもしれない。 どうします? もし友人知人、身内親戚が亡くなった場合。 たいていは仏式で葬式をしますし、たまに神式でも行う。 それに参列する、また葬式をとりしきるとなったとき、彼女に『やめろ』と迫られたら。 『おとろし様を裏切るのか』と責められたら」 「そんな彼女は今、おとろし様におしおきされているわけですが」と話を結べば、お互い顔を見あわせて、困惑しきり。 「親しい人の葬式にでれないなんて」「身内の葬式で揉めたくない・・・」とに不安そうに告げて、ちらりと宙づりの彼女を見てから、ぞろぞろと山道を下っていった。 呆気なく皆の洗脳が解かれたのに驚きつつ、見送ってから「やっぱり、寺の息子としては新興宗教が気に食わないの?」と彼に聞いてみる。 「さっきもいいましたが、心から嘘偽りなく信じて拝むならかまわないんですよ。 ただ、邪心や下心があって、人を惑わす道具に使うのは、いただけない。 俺は仏を信じいても、まわりにも信じてほしいとは思わないんです。 『いるかもしれないな』ってくらいの認識で、寺には愚痴を吐いたり、悩みを打ちあけたり、いや、遊びにきてもらうだけでもいい。 現実に疲れて、すこし非現実的な場所に避難し、また現実にもどる。 昔から神社や寺を人々はそうやって使い、適度な距離を保ってつきあってきた。 そんな近すぎず遠すぎない場所にしたいと、俺は目指しています」 なるほどと聞きいっていると、おもむろに外したエプロンを「俺のバイトは今日までなんです」と渡して、笑いかけた。 「あなたもよかったら、遊びにきてもらえれば。 いつでも寺の門は開いています」 翌日、スーパーに出勤すると、従業員はだれも休まず顔をだし、気まずそうにしながら、せっせと働いていた。 迷惑をかけた客に詫びるように仕事に打ちこみ、店長に至っては、本部から責められながら尻を叩かれて、後悔して落ちこんでいる暇もなく忙殺。 だれも昨日のことを謝ってこなかったが、彼女について一切、口にせず「おとろし様がお怒りになるぞ!」と発狂する人もいなかったので、まあ、よしとしよう。 なんだかんだ二十年近く、働いてきて愛着がある働き場所だ。 店が正常にもどりそうなのにほっとして、仕事終わりに、あらためて彼に礼を告げようと寺へと。 が、昨日はあったはずの立派な寺は、廃屋というか、廃材と瓦礫の山というか。 「そういえば、ここらで寺があるなんて知らなかったし」と敷地に踏みいったところで、頭上から絶叫が響いた。 すっかり忘れていたが、彼女が巨大な指で宙づりにされたまま。 一晩中、宙に吊るされて、かなり衰弱しているようで、手足をだらりと下げたまま、掠れた叫びをあげつづける。 「どうしたものか」「もし落ちたら受けとめられる、なにかがないか」と空から視線を外したところ。 ふと彼女の叫びがやんだと思えば、バケツをひっくり返したような大量の液体がぶっかけられた。 液体は真っ赤で、独特の鼻につく匂いがするから血だろう。 腕で目をこすり、咳きこみながら見あげれば、巨大な手も彼女も跡形もなく。 人に信心があるかどうかを気にする妖怪は、変わり者で殊勝なものだと思ったが。 所詮、妖怪は妖怪。 私たちが都合よく解釈して、私利私欲のために利用しようと、知ったことかとばかり。 人の理解の及ばない、善悪もない気ままな原理で動いているのかもしれない。
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