十一 夜盗捕縛の内助の功

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十一 夜盗捕縛の内助の功

 皐月(五月)二十日。八重が八郎の側室となってふた月半ほどが過ぎた。  日本橋呉服町の呉服問屋越後屋の主は福右衛門といった。  夜四ツ(二十二時)。  福右衛門は奥座敷の褥に入った。褥には後妻の菊が襦袢姿で横たわっている。 「だいて・・・」  菊はそう言って福右衛門を引き寄せた。福右衛門は菊の襦袢を肌蹴て抱きしめた。 「旦那様・・・」  菊は肌蹴た胸に福右衛門の手を導いた。  菊は一年前に亡くなった前妻に似ている。そう思いながら福右衛門は菊を抱いた。  福右衛門の手と唇に応じて菊は声を漏らした。 「声が・・・」 「気にするな・・・」  福右衛門は菊を愛撫した。 「ああっ、なんてことを・・・」  菊は福右衛門に抱きついた。  枕元にある有明行灯の明かりは暗い。  菊は福右衛門に身を任せた。  睦事がすんだ。福右衛門から寝息が聞こえる。  菊は睦事では見せぬ不敵な笑みを浮かべ、褥の下から手の平に載る大きさの桐の箱を取りだした。福右衛門が革紐で首に掛けている鍵を摘まんで、桐箱の中に詰まっている粘土に鍵を型押しした。  曇天の水無月(六月)二十一日。  この日、呉服問屋越後屋は、仕入れ先や出入りの業者などへの支払日だった。  朝五ツ半(午前九時)。  福右衛門は、大番頭と番頭と用心棒たちを連れて土蔵に入った。福右衛門は、塗壁戸が開いたままになっている金蔵を見て腰を抜かすほど驚いた。金蔵から奪われた金子は二千両に及んだが気をしっかり保ち、事の次第を考えた上で、内密裏に町方に知らせた。表立って北町奉行所へ知らせると火付盗賊改方が動き、怪しいと思われる者が冤罪に問われるからだ。  北町奉行から八郎たち与力と同心に、内密裏に夜盗を捕らえるよう指示が下った。しかし、町方の探索にも関わらず、これといった手掛かりもないまま二日が過ぎた。  水無月(六月)二十三日。曇天の宵五ツ(午後八時)。  八郎が日本橋元大工町の長屋に帰宅した。  八重は夕餉を食べずに待っていた。八郎から刀(打刀と脇差)を受けとると刀箪笥に入れた。この刀箪笥は、八郎のために八重の父の源助がこしらえた、特別品だ。  八重は、手を洗って口をすすいだ八郎を夕餉の膳に着かせて傍に座り、 「お役目、ご苦労様でした。まずはお酒をどうぞ」  八郎に盃を持たせて銚子の酒を注いだ。 「八重も飲んでくれ」  八郎は膳に盃を置いて八重の手から銚子を取った。 「はい・・」  八重が夕餉の膳に着いて盃を持つと、八郎は八重の盃に酒を注いだ。 「お役目は進んでいますか」 「うむ。これから話す事を内密にできるか」 「はい。承知しています」 「越後屋に盗っ人が入ってな。どうやって土蔵の錠前を開けたか、わからんのだ」  八郎は酒を飲みながらそう話した。八重も酒を飲んで肴を箸で口へ運んだ。 「錠前を開けるなら、鍵を使ってでしょう」  八重が八郎の盃に酒を注いだ。 「鍵は革紐で主がいつも首にかけておった。風呂に入る折もだ」  八郎は酒を注がれた盃を膳に置き、八重の手から銚子を取って八重の盃に酒を注ぎ、箸で肴を摘まんで口へ運んだ。 「外すことはあるでしょう」  八重はそう言って微笑み、酒を飲んで箸で肴を摘まんでいる。 「いつ外すと思うか」  八重が頬を赤くした。 「睦事の折は、身体に何かついていたら、じゃまに思います・・・。  それに睦事のあとは熟睡します・・・。  主が眠れば、若い御内儀は鍵を描き写すなど、好きな事ができまする」 「なるほど」  確かに気が緩むのは睦事の後だ。それに気づくとは、男にはわからぬ女の性か・・・。 「もしやして、今、御内儀は、御店を留守にしているのではありませぬか。  御内儀はどんな方ですか」  八重はそう言って銚子を取り、八郎に酒を飲むよう促した。 「そういえば女房の顔を見ておらぬ・・・。  女房は後妻だ。嫁いで半年ほどになるらしい。明日、内密に探ってみる。  八重の考えを聞かせてもらって助かった。有り難く、感謝する」 「何をおっしゃいますか。旦那様の助けになれば・・・」 「うむ。大いに助けになった。酒はこれまでにしよう。飯をよそってくれぬか」 「はあい。早う食べて、休みましよう」 「今宵も、よいのか」 「はあい、もちろんですっ」  八重は初々しく顔を赤くして微笑み、茶碗に飯をよそった。  翌日。水無月(六月)二十四日。晴れの昼過ぎ。  越後屋に入った一味が捕縛された。主謀者は越後屋福右衛門の後妻の菊だった。  夕刻。  八郎は従叔父の吟味与力藤堂八右衛門に呼ばれ、八右衛門の詰所にいた。  八右衛門は八郎から、八重が説明した越後屋の土蔵の鍵の件を聞いて苦笑した。 「八重の智恵で事件が解決したか。その事、奉行に報告しておこう。  八重は我が娘の沙織より二歳下だが、智恵がまわる。ぜひとも八重を我が養女にして、お前の正妻にしたいものじゃな」  八重は元は武家の娘だ。一通りの武家の仕来りと礼儀作法は知っておろう・・・。  八右衛門はそう思った。かつては八郎を娘の沙織の婿にしたいと思った八右衛門だが、すでに沙織は婿を迎えている。 「それにしても、八重と源助をどうやって説得するか・・・」  八右衛門も八郎も、将軍から俸禄を受けて北町奉行所に所属する通常の与力だ。八重は与力の藤堂八郎の妻として、八丁堀の組屋敷の切り盛りと与力の家柄の体面を保つことに専念して欲しい、と八右衛門は思った。 「八重は、日頃、何をしておるのだ」 「子どもたちに読み書き算盤を教えて、呉服問屋加賀屋の仕立て物をしております」  北町奉行所と日本橋元大工町の八重の長屋は三町ほど離れている。長屋から八丁堀の組屋敷は七町も離れていない。そして、呉服問屋加賀屋がある日本橋呉服町二丁目は、八重の長屋がある日本橋元大工町の東の斜め隣町だ。 「八重は、長屋を離れたくない訳があるのだと思います・・・」  八郎は八右衛門にそう言った。 「調べてみてくれ」 「非番の折に探ってみます」  八右衛門の指示に八郎はそう答えた。
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