十六 怨み

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十六 怨み

 八重が十九歳の弥生(三月)十日。曇天の昼。 「藤堂様の側室の八重さんの家はこちらですか」  顔を隠した三女の佐恵を伴って、従叔父の木村玄太郎が八重の長屋に現われた。  八重は木村玄太郎と佐恵の急な訪問に驚いた。 「従叔父上。それに佐恵。急なお越し、如何なさいましたか。  何はともあれ、お上がりください」  玄太郎と佐恵の様子から、八重は父源助と多恵の身に異変があったのを察した。  父は仙台に行ったまま、ひと月も音沙汰がない。その事を不覚にも親戚の間を泊まり歩いているのだろうなどと思っていた私が悔まれる・・・。そう思う八重の顔から血の気が引いたが、仕立て物を片づけて二人のために座布団を敷き、気丈に振る舞った。  木村玄太郎と佐恵は険しい面持ちで八重の前に正座し、挨拶もそこそこに、玄太郎が口を開いた。 「八重、これから話すことを、落ち着いて聞いてくれ」 「はい。父と多恵が亡くなったのですね」  八重は感じたままを言った。父源助から音沙汰が無いままひと月が過ぎ、前触れもなく従叔父上と三女の佐恵が訪ねてくれば、父と多恵の他界は察しがつく・・・。 「その通りじゃ。源之介と多恵が亡くなった・・・」  玄太郎は八重に、父の源助と多恵が亡くなった事を話して事件の一部始終を語り、源助の刀(打刀と脇差)と、位牌分けした源助と多恵の位牌、そして母の奈緒の文を八重に渡した。  母の文には、父源助と佐恵が他界するまでの経緯がしたためてあり、 『下級侍の平士とはいえ、仙台の武家としての生活が忘れられず、江戸に到着するや、仙台に舞い戻った己の身勝手をお許してくだされ』  と詫びていた。  奈緒は江戸に出てくる前から、多恵に男がいるのを知っていた。 『多恵の相手が商人というから、不覚にも相手が夜盗とは露知らず、多恵の思いを叶えてやりたいと思っていた己の愚かさが悔まれてなりませぬ。  実家にて源之介と多恵の菩提を弔い、供養する所存にございます』  としたためていた。  八重は母の文を握り締めた。 「無念です。八重は、父と多恵の仇討ちをしとうございます」  この怨みを晴さずにはおかぬっ。如何なる手を使っても、我が手で与三郎を捕えてやるっ。そして与三郎を八つ裂きにしてやる・・・。 「与三郎は仙台での夜盗と殺しでお尋ね者になった。仙台を出て江戸へ向かったと風の便りに聞いている。与三郎の一味は江戸で夜盗をする気だ。  何としても、源之介の従兄上と多恵の仇討ちをせねばならぬっ」  玄太郎は正座した膝の上で拳を握り、今はまだ晴らせぬ怨みに耐えていた。 「与三郎は江戸で口入れ屋をする気ですね」  八重は、日本橋呉服町の越後屋に入った夜盗の事件を思いだした。あの夜盗事件の主謀者は越後屋福右衛門の後妻だった。あの後妻のように与三郎を手引きして捕縛できぬものか・・・。  玄太郎は八重に訊いた。 「八重は藤堂様に頼んで、与三郎を捕縛するつもりか」 「佐恵は、どう思いますか」  八重は三女の佐恵を見た。 「与三郎を多恵に会わせた私の責任です。何としても私の手で与三郎を葬りたい・・・」  佐恵は歯を食いしばって悔しがっている。 「佐恵がこう言うので、佐恵を連れてきたのです。  一度言いだしたら後には引かぬ娘故、それは八重も同じだな・・・」  玄太郎は、娘たちの気丈さと決意を納得していた。 「父が心を通わせた方がいます。その方に、父の死を知らせとうございます」  八重は、父の死を、お麻さんに知らせたい、と思った。 「わかった。知らせてくれ」と玄太郎。 「では、父の長屋にまいりましょう」  八重は父の遺品となった刀(打刀と脇差)と、位牌分けした父と多恵の位牌を携え、玄太郎と顔を隠した佐恵を伴って、日本橋元大工町二丁目の父の長屋へ向かった。  八重は元大工町二丁目の父の長屋で、玄太郎と佐恵を、麻と昼餉で長屋に居合せた麻の父の大工の八吉に会わせ、父源助と妹の多恵が亡くなった経緯を説明した。 「なんてことだ・・・。  あたしは何としても、源助さんと多惠さんの仇討ちをして、怨みを晴したい・・・」  麻はそう言って悔しさを噛みしめた。  八重はここでも気丈に振る舞った。 「私に、策があります。  従叔父上は御役目もありますゆえ、仙台に戻って与三郎の行方を探り、私たちに知らせてください」 「はなから、そのつもりであった。従兄上と多恵を殺害された怨みは晴さずにはおかぬ。  与三郎を見つけた折は、この手で首を討ち取ってやるっ。  与三郎の行方を必ず知らせるっ」  玄太郎は再び拳を握り締めて歯噛みした。 「今は、与三郎が夜盗である証も、父と多恵を殺害した証もありませぬ。  殺害の証は従叔父上の証言だけですが、従叔父上が証言すれば、討ち入りの件が露呈して話がややこしくなりまする」 「あいわかった。それでは、八重の策を聞かせてくれ」 「では、説明します」  八重は、日本橋呉服町の越後屋に入った夜盗の主謀者が越後屋福右衛門の後妻の菊だった事件を話し、如何にして与三郎を捕縛するか説明した。 「与三郎の顔を知るのは佐恵と従叔父上だけですから、佐恵が架空の従弟の木村多恵之介に扮して、口入れ屋の山王屋を探すのです。  その一方で、私が呉服問屋加賀屋に下女奉公して店の内情を探り、その後、多恵に扮して与三郎にその事を知らせ、加賀屋に夜盗に入った与三郎を、八郎様に捕縛してもらいます。  というのも仙台から江戸に出てきて以来、加賀屋の呉服の仕立てを引き受けており、加賀屋の主の菊之助と顔見知りなのです」 「八郎様との暮らしをどうするんだい」  麻は、八郎の側室の八重を気にかけた。 「しばらく離縁してもらいます」  八重は毅然として言い、それ以上八郎との関係を口にしなかった。今は、八郎様との暮らしより、父と多恵の仇討ちが先だ・・・。 「わかったよ。それで、私は何をするのさ」  八重の決意を知った麻の問いに、八重は答えた。 「ご説明します。  私が離縁したら、元大工町の長屋には居れなくなりまする。その折はここに引越し、佐恵と二人で八重と木村多恵之介に扮して与三郎を探します」 「与三郎を見つけたら、八重さんと佐恵さんは与三郎の夜の相手もするのかい」  麻は八重と佐恵の身を案じた。  すると佐恵が言った。 「与三郎は、最初、私を誑かして近づきました。それなのに、たまたま屋敷に来ていた多恵を、与三郎が私だと勘違いした結果、多恵が与三郎の一味に引き込まれたのです。  ですから私が多恵に扮して山王屋へ行き、与三郎の相手をします」  八重は佐恵を制した。 「それは与三郎を見つけてからの話です。  何かあれば、私と佐恵が入れ代わって与三郎を探します」  その時は、お麻さんと八吉さんに、いろいろ世話になりたいのです」 「わかった。あたしとおとっつぁんにも、任せておくれよ」  麻は閃くものがあった。いずれあたしも、呉服問屋加賀屋の呉服の仕立てを引き受けよう・・・。  玄太郎は黙って女たちの話を聞いていた。 「従叔父上。お願いがありまする。  父は仙台に指物を仕入れに行き、流行病にかかって従叔父上の屋敷で他界した、と一筆したためてください。  心苦しいのですが、八郎様には事実を伝えずにおきます。  事実を知れば、八郎様は与三郎を捕縛しようと探索します。  その前に、与三郎に夜盗をさせて、動かぬ夜盗の証を掴まねばなりませぬ」と八重。 「与三郎が夜盗をする現場を押えるのだな」 「はいっ」と八重と佐恵。  毅然とした態度の八重と佐恵を見て、玄太郎は八重と佐恵の決意の程を知った。 「わかった。八郎様に見せる文をしたためよう・・・」  玄太郎はその場で、八重の父の源助が流行病にかかって仙台で他界した、と文にしたためた。そして、 「では、私は仙台に戻って与三郎について調べる。何かわかったらすぐさま知らせる。  皆、くれぐれも気をつけよ」  と言って四人を見詰めて頷いた。この四人ならきっと旨くやってのけるだろう・・・。 「はいっ」  八重と佐恵と麻はそう答えた。八吉は頷いている。 「では、一刻も早く仙台に戻ろうぞ」  玄太郎は佐恵を残し仙台に戻っていった。
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