野鳥と唄の先生

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野鳥と唄の先生

 そんな彼からいつの日からか毎週火曜日になると『行こか⁉』と誘われるようになった。行き先は彼の行きつけのカラオケ喫茶だった。 「へぇー真昼間から人前で、しかも素面で唄うなんて照れ臭くないんですか・・ねぇ先生?」  彼は歌が上手いだけではない、野鳥の話をさせるとまるで弁士の如く語り始める。 当初、彼に声を掛けたのは私からだった。 風呂上りの彼は腰に手拭い(てぬぐい)状態で誰かさんと二人、丸椅子に腰をかけ話をしていた。例によって良く通る声だからロッカールームのどこに居ても野鳥の話だとすぐ分かる。  「あいつを最後に視たのは○○山だった、そりゃオオタカは難しいで・・ なにせ峰から姿を現したと思うと、カメラを構えた瞬間もう旋回してまって姿はない。一瞬だ!」  最初の印象から彼は野鳥の写真家のように思えた。だからこそ私が彼に掛けた最初の一声が『先生』だったのである。  私だって『君はもう飛べるんだよ』と題したコンテンツを○○チューブに幾つかアップしている。 それは2014年の初夏だった。幾ら戻してあげても再び巣から落下するツバメの雛がいた。  幾つかの行政機関に相談しても(らち)が明かず、成鳥になるまで私が育てることにした。だが困ったのはツバメの餌ってペットショップには置いてなかったことだ。冷蔵庫にある幾つかの刺身を口元に近づけてもそっぽを向かれた。  ネットの情報から私は毎朝近くの公園まで虫取りに出掛けた。 餌の時間を使っては自然界に放鳥した後のことを想定し、空中に虫をぶら下げてはホバーリングの訓練に付き合ったことが思い出される。  そしてその7月の台風一過の朝、成鳥になった彼女は大空に向かって勢いよく舞い上がった。あの瞬間の熱い感動は私にとって生涯忘れることの無い希少な体験となった。    そんな私の話に目を真っ赤にしながら耳を貸してくれたのが彼だった。 「先生なんて言うなよ、恥ずかしいやないか」 「でも、これほど野鳥に詳しい人は滅多に居ませんよ。それに唄が絶品と訊かされては、私にとっては立派な先生ですよ。ね~先生」  その後何度か火曜日を迎えるうち、成り行き任せの私は結構ハマってしまっていた。  お店が暇な時なんかママさんにリクエストして貰ったりすると『社交辞令』と知りつつも自分の存在価値に酔いしれたりしてそれはもう大変、でもそれが結構幸せだったのかもしれない。 少しずつ常連のお客さんとも顔なじみになり、夫々の十八番(おはこ)と顔とが一致し始めたころだった。
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