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空白
『m大学 お笑いサークル 定期ライブ』。毎月二十日、このワードを検索欄にかける。だいたいXに上がった出演者の写真がいちばん上に出てくる。前の方に移っている人達はどうだっていい。だいたい前の人の頭の間に見切れた、168センチの細長い女を探す。彼女はスタッフをしているから、写っていないこともあるが、今月は珍しく、見切れていない姿があった。オレンジの方肩にかかった髪、ブラウンの生地に白い花柄のワンピース。それに見たことがない金のピアスがあった。
二限に向かう電車の中、毎月一回しか開かないXのアカウントを見る度気持ち悪いなあと思う。別にお笑いに興味もないし大学も違うのに、もう数年合っていない幼馴染の顔が映っているところを拡大して、髪切ったんだ、とかメイク変えたな、とか思う。ただそれだけのためのアカウント。だけどこれがないと矢印さえ消えてしまうと分かっている。
電車が最寄りの二個前の駅にとまって、大学生らしい男女が乗って来た。隣の空いている席に座って、静かな朝十時の電車にしては大きな声でおしゃべりを続けている。
「有名なの?そのお祭り」
「うん、なんか外人いっぱいいるらしい」
何気なく話を聞いていると、二人が浅草の三社祭に行くらしいことが分かった。今日、明日明後日と続くらしく、最終日には名前の通り三つの大きな神輿が担がれるらしい。
「人込みやかも」
中学の時、地元で開かれる小さな祭りに言った時、ゆりこも言っていたなと思った。スマホに目線を戻して、何気なくサークルのアカウントを見ていたら、新しい役員のお知らせ、という文言が目に入った。
『役員長 山口 スタッフ長 飯塚』
一年浪人していた自分と違ってゆりこは今三年。サークルで役職を任される学年だったのを思い出した。その一年、一年が自分とゆりこの接点を消してしまった。いいや、交わるチャンスはいくらだってあっただろうに、自分が消してしまったのだ。降りる駅の一個前について、春のお風呂場に籠った風みたいなしめったやつが吹いてきた。ふと、生徒会の副会長をしていた時の三つ編みを思い出した。
『めっちゃ久しぶり! 急だけど土日空いてない? 三社祭ってやつ友達と行く予定だったんだけど、バイト入ったみたいで。。。空いてる人捜してるんだけどゆりこいけん?』
送信を押す気はさらさらない。こんなことを毎月やっている気がする。それが積み重なってもう二年。回数を重ねる度ただのルーティーンになってくる。それなのに、久しぶり、の後に顔文字をつけた方が怖くないかな、とか、最初は挨拶だけにしとくか、とか考える。
意味のない文の語尾を消したり打ったりしていたら、大学の最寄り駅についていた。駅から五分くらい歩くだけだが、今日は何も聞かずに歩くのが億劫で、イヤホンをつけた。
好きなアルバム曲を再生する。ジャズっぽいイントロが流れ、自分に向く考えが消えていく。この感覚にももう慣れてしまった。
ボーカルの声が始まる直前に音が止まった。すぐに聞きなれない着信音が流れたので、急く大学生の流れから離れた道の反対側にとまって携帯を見た。電話をよこしたのはゆりこだった。3コール、4コール、その音をただ聞いていると、なんか地べたに携帯おいて、その上に上着かぶせて走り出したくなった。いまさら何を話せばいい? 何を提供できる? でも、出なかったところでどうもならない。また20日になればゆりこの姿を探して、ラインを開いて、閉じる。そんなくだらないことを繰り返すくらいならば、いっそ。
「も、しもし」
「あ、さき? 久しぶり」
記憶の中よりも少し高い声が耳石を揺らした。その振動に『久しぶり』と返して、続きの言葉が出てこなかった。毎月、シミュレーションしてきたはずなのに、いざ声を聴くと言葉が出ない。
「あのさ、話したいことあるんだけど、明後日とか空いてない?」
携帯のカレンダーも開かず、空いてる、と言っていた。今早歩きしなければ2限に間に合わないが、歩き出す気にもなれなかった。私たちの最寄りにあるちょっと高いファミレスに午後2時に待ち合わせて、ゆりこはじゃあねと言って電話を切った。
待たせた回数は私の方がダブルスコアで優っている。その差が縮まる日など来ないと思っていたし、正直来てほしいとも思わなかった。しかしこの角の窓辺のボックス席でどれくらいの時間、私を待っていたのだろうと考えてしまうこの矛盾。正午過ぎの太陽は白く、向いの空席に埃がキラキラと舞っていた。浮かれた気分などはもう焼かれてしまって、頬杖をつく中私の陰を隠す方法を探している。やはり、自分から連絡を取らなかったのは正解だった、と思った。
「ここの席覚えてたんだ」
白い光の中、一人の女が見つめてきた。別に特別顔が変わったわけでも、雰囲気が変わったわけでもなかった。ただ、あまりに心の中で結んだ像に手を伸ばし続けていたので、最初に目の前の人間を女だと認識してしまったのか。
「あ、うん。」
『寺にいる奴?』と彼女が笑った。その笑いに、ようやく心の像と目の前の現像が光を結び始めた。肩くらいまで伸びたオレンジの髪、淡い黄緑のブラウスに、ブラウンのパンツ。それにオレンジのアイシャドウが目じりに輝いて、少しつり目の美人に映えていた。ブラウンとオレンジが混ざったようなリップとチーク、太めの並行眉。写真ではわからなかった化粧が、彼女を女にしていた。自分の方が厚いメイクをしているくせに、なんだか変な気分になった。
「なんか、話、あるの?」
助動詞が思い浮かばなくて、自分の声に困る。ゆりこは期間限定のスイーツメニューを広げていて、『その前に何か頼も』と言った。私は一番上にあるのが目に入ったので、反射的にイチゴのパフェにする、と言った。ゆりこは『甘いの好きだったっけ?』と言った。メニュー名の下に小さく書かれた“558キロカロリー“のピンクの文字にすこし後悔した。
「お待たせしました。イチゴのパフェ2つです。」
注文してから運ばれてくるまで、ゆりこは私と一緒に居た時のことを話した。中学の修学旅行、同じ高校を受験した時のこと、毎年行った小さいお祭り。ゆりこが勝手にたくさん話してくれたので、大変助かったのだけど、私が存在する記憶を聞いている時、私は全然面白くなかった。普通の女の子がするみたいにオチのない話。私の中で彼女と昔した話が磨かれすぎているのか、それとも彼女が変わったのか、私が変わったのか、分からなかった。
「おいしいね、これ」
『うん』と返して、私の責任もあるのではないかと思う。それに、ゆりこがそう思っていないのならばどうしよう、とも思った。
「話なんだけどさ」
ゆりこはイチゴを先に全部食べてしまって、禿げたソフトクリームのキラキラを前に改まった。眼鏡の代わりに色素が薄くなった瞳は私を見る。私は目を合わせるのが苦手で、やっぱり目を逸らしてしまった。
「セックス、してくれない?」
ゆりこはそう言って一口、ソフトクリームを食べた。私もよくわかんなくなって、イチゴを食べた。
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