【第一部】第4章 怒涛の悲劇②

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   * * *  クロは重い身体を引き摺りながら湖へと向かった。もっと、もっと早く動いてくれ、と思っているのに、なかなか身体は前に進まない。  それでも一歩一歩確実に足を進めて、ようやく宵闇の後ろ姿を見つけた。走っている彼に追いつこうと必死に身体を動かす。  宵闇が木の根に足を取られて躓くのが見えた。だが、その先に湖があるのに気づいてクロは焦る。 「待って下さい……お願いです、行かないで下さい」  彼の声は宵闇には届かなかった。宵闇が湖に足を踏み入れる。 「終わらせたくないんです……君が消えたら世界は形を保てない!」  悲痛な叫び声を上げても、宵闇には届かない。彼は湖に沈んでいった。 「……あ、ああ、ああああああああ!」  クロは泣き叫ぶ。目からは次から次へと涙が零れ落ちる。  足の力が抜け、その場に崩れ落ちた。  今の彼は感情のない人形のような顔をしていない。この先に起こる出来事を想像して彼は泣いているのだ。 「残念だったね」  楽しそうに笑う女の声がする。クロが顔を上げると、嬉しそうに微笑みながらこちらを見下ろすフィーネの姿。  唇を噛みしめて苦しげに声を出す。 「君の望み通りになりましたね」  怒り、軽蔑、憎しみ……様々な感情が入り混じった瞳が、フィーネを射抜く。それでも彼女は動じることなく、怪しげに目を細める。 「ふふ、望んでなんか、いないよ。私はただ、ナハトに会いたいだけ」  フィーネに掴みかかろうと立ち上がれば、背中に激痛が走る。伸ばした手は、ひらりと優雅に躱され、空を切るだけだった。 「くっ、同じことでしょう! 宵闇がいる限り、ナハトは現れない! 彼はナハトの生まれ変わりなんだから!」  涙に濡れ、怒りと痛みで歪められた顔。強い、強い怒りがフィーネにぶつけられる。  突如、辺りが明るくなる。  光の粒子が木や地面から現れ、辺りに舞っているのだ。 「宵闇が、ナハトの生まれ変わり? そんなの私は認めないわ。あいつはただナハトを奪っただけよ。彼はこのまま世界とともに消えてしまえばいいのよ」  フィーネは踵を返して何処かへ消えて行った。怒りをぶつける相手を失ったクロは再び膝をつく。もう彼にはどうすることもできない。光の粒子が舞い散る中、クロは地面に顔を伏せる。  宵闇がナハトの生まれ変わりだという確証はクロにもない。ただ分かるのは、この歪な世界は宵闇が生きているからこそ成り立っているということだけ。ナハトの代わりに宵闇が無理やり世界を繋ぎ止めていたのだ。  何故ならこの世界は既にナハト()に見放されてしまっているのだから。 「俺はただ……終わらせたくなかっただけなのに……」  光の粒子は集まり、強い光を放つ。
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