41人が本棚に入れています
本棚に追加
「嗚呼、綺麗な音だった」
「ありがとうございます。私は旅芸人の一座で横笛を奏でている者ですので」
旅芸人の一座。つまりそれは長く此処に留まらないということ。それは少しばかり寂しいかもしれない。恋慕の情などではない。純粋にもう一度その笛の音を聴きたい、ただそれだけのこと、それ以上の意味はないと自分に言い聞かせる。
「いつまでこの辺りに滞在するのだ?」
「夜が明けたら西へと向かうつもりです。本当は今日には移動するつもりでしたが、夜が来ましたので、夜が明けるまでは待つことにしたのです。夜道は危険ですから」
それもそうだ。夜の回数が減っているのにわざわざ危険を冒してまで夜道を旅する必要もないだろう。もしも今日夜が来なければ、彼女は今此処にいることはなかった。再び彼女と相見えることはなかったのだ。
「私、夜はあまりお好きではなかったのですが、今日ばかりは夜に感謝しなければいけませんね。宵闇様に会わせて下さった夜に」
心を読まれたのかと胸が騒ぐ。その台詞は今彼が口にしようとしたものとそっくり同じであった。単なる偶然だと分かっていても心が動いてしまう。これこそ運命だと誰かが囁いた気がした。
「でも私そろそろ戻らなければいけません。ここを経つ前に宵闇様にもう一度会えて嬉しかったです。またいつかこの地に来ることもあるでしょう。そのときまたお会いできたら嬉しいです」
日菜はそう言って宵闇に背を向けた。彼がその背を追いかけることはなかった。彼女のいう〝いつか〟は必ず来るとこのときはまだそう思っていた。
最初のコメントを投稿しよう!