わたしの推しが死んだ日

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 夜乃の隣にリリカが並ぶことが一曲だけの措置なのか、今後も続いていくことなのか、そのどちらだろうという思案顔だ。  ファンたちの疑問を宙に浮かせたまま、「聴いてくださいー」と夜乃が叫ぶと、耳をつんざくような激しい音が鳴った。新曲の前奏が始まったのだ。  私は慌てて定位置につき、ステップを踏んだ。  ギターがぎゅうんっと響いたのを合図に、困惑しているファンをねじ伏せるくらいの気迫で歌い踊る。  消えるのは自分か、相手か。「ウチ」は一歩も引く気はないし、諦めるぐらいなら今すぐ死んでやる、と歌っている。でもそれは恋愛ではなくただの執着で、自覚はあるのに衝動は止められなくて、自己破滅に向かって血だるまになってでもその手だけは絶対に離さないから、という若干いかれた復讐ソングだ。ドールズ初のロックテイストの曲。  前向きなラブソングや応援歌が多かった今までと毛色が違いすぎて、ファンの大半が引いているのがわかった。  私も不安だった。  変わったのは曲調だけではない。衣装の方向性もがらっと変えて、淡いピンクのリボンやレースがついたフェミニンなものはやめて、黒と真紅のコントラストの強い、ゴスロリ風ミニスカートを着用している。素材はフェイクレザーで、ほぼ運営の手作り。  どよめきや悲鳴も聞こえる中、わからないなりにペンライトを掲げたり、リズムを刻んでくれる健気なファンもいた。  会場中の歪みを全て引き受けるとばかりに夜乃は慣れないリリカを目配せでリードしつつ、よくできたお人形のようにくるくると、時には激しく体をくねらせながら踊り続けている。  リリカはいつもの悪い癖で声が割れ気味になっていたが、夜乃が澄んだ声を自分のパートじゃない時でもそっと被せてやり、不安定な歌唱を優しく包み込んでいた。徐々にファンの手拍子が聞こえはじめ、勢いづいていった。  夜乃はこの1000席のライブ会場を完全に支配している。  私はいつも彼女の背中や弾む髪の向こうに広がる景色は、本当にきれいだと思っていた。ファンの熱気のせいか、揺れるペンライトが生み出す浮遊感か、それとも夜乃自身が発光しているのか。  あたたかなオレンジ色の輝きに満たされて、この世界が美しくて泣きそうになる。さっきの歌詞じゃないけど、このまま死んでもいいとさえ思う。声援が遠のいていくのだ。  夜乃は私の「推し」といってもいい。  喉や手足を規則的に動かしながら、ファンにアピールすることも忘れて、信仰に近い気持ちでただひたすら彼女の姿を目で追ってしまう。  もっともっと見つめていたかったけど、ポーズを決めたリリカに邪魔されて、その尊い背中は見えなくなった。
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